厳密にいえばどちらからどちらに移動したのか、とか、現在はどちらのものか、とかは言えるにしてもそれらのかなり薄らいでいるというような状態。
2012-01-04 01:39:40@natsuko_sss なるほど。たしかに共有とは違う。互いの所有物と認識していながらもハードルは通常よりも低い感じ、というのも「交換」だからか。
2012-01-04 01:49:48交換という言葉がなー、多分でもどっか引っかかるんだよなぁ。交換という言葉には等価性がある感じするけど、この場合は全然そうじゃないんだもん。
2012-01-04 01:54:43機能は使用価値でしょうね。等価について考える場合は交換価値が問題になる。水とダイヤモンド、どちらが「価値」があるか…。 RT @y_tawara: 等価について考える前に価値について考えないと。自分いままで機能と呼ぶべきもののことを価値って言ってた気がする…。
2012-01-04 03:07:23@moritayusuke なるほど。そうして考えると交換価値とは、使用価値をある基準(例えば金銭への換算)によって並べたものということでしょうか。
2012-01-04 03:26:29@y_tawara その通りです。普通、主観に基づく価値と価値は交換できない。そこで、何か共通の尺度が求められる。その尺度を生産物を作るのに費やされた時間(=労働時間)としたのが、いわゆる「労働価値説」です。机1台=服3着=…=。やがて貨幣を軸にそれらの価値比率がまとめられる。
2012-01-04 03:53:24@y_tawara こうやって考える価値の問題は、マルクスの『資本論』によるもの。しかしもちろん違った考え方もあります。例えば「価値とは稀少性だ」と簡潔に言い切ることもできる。ダイヤモンドが高いのは、採掘により多くの時間がかかるから(マルクス)ではなく、存在量が少ないからだ、と。
2012-01-04 04:05:15@y_tawara この部分だけまとめると、①等価交換できるのは交換価値。②交換価値は貨幣が司る。③何を価値とするかはいろんな説がある。④おやすみ~
2012-01-04 04:20:35@moritayusuke 一晩寝かせてちょっと理解できた気がします!「等価」と「等価なものの交換が起こり得るのか」というのがなんか引っ掛かっていたのですが、使用価値の等しいものにおいて交換は起こり得ないけど、交換価値の等しいものには交換が起こり得るんですね。
2012-01-04 22:15:19使用価値への主体の評価、交換価値を司る基準への主体の評価、使用価値から交換価値への変換に対する主体の評価。結局主体依存だから価値のやり取りというのが難しい。のかな…?
2012-01-04 22:18:52@y_tawara その問いよくわかる。「等価交換」っていうと、“そもそも等価のものを交換する意味あるの?”と思うよね。タワラさんが言うように、「使用価値が違うもので、交換価値が同じもの」の間に等価交換は成り立ちます。ちなみに使用価値が等しいものが交換されれば贈与交換となります。
2012-01-05 00:13:37@moritayusuke そうなんですよー!等価のもので交換が起こり得る場合というのは「交換によって補強される関係性」とかが重視されるん場合じゃないかと思って、だからそういうのは「贈与」でしか行われないんじゃないかって。
2012-01-05 00:17:17@y_tawara マルセル・モース「贈与論」、ジョルジュ・バタイユ「呪われた部分 有用性の限界」(ともにちくま学芸文庫)あたりを読むと、贈与という行為の、経済学というか経済性から外れた蕩尽としての側面がいろいろ書かれていてとても面白いですよ。
2012-01-05 00:56:34@agaskortur アフリカのどこかの部族では、人から贈られたものをまた他の人に贈るのが普通だということを思い出しました。これも蕩尽とは真逆のベクトルで経済性からは外れてますね。卒論終わったら読んでみます~。
2012-01-05 01:18:03