魏末期の尚書僕射について、他

司馬昭(と陳騫)に関連して、魏末期の尚書僕射の移り変わりについて考えた。 備忘録としてのまとめ
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Jominian @Jominian

傅嘏が守尚書僕射とされたのは、毌丘倹の反乱に際して司馬師が征討に赴く時だ。この時点で左僕射は盧毓だ。王觀も光祿大夫であるから、右僕射の名は見られず、傅嘏は守尚書右僕射となる。同年(正元二年)に傅嘏は亡くなり、その事で陳泰が中央に戻され、傅嘏の後任の尚書右僕射となったのだろう

2012-01-09 14:21:58
Jominian @Jominian

そして、甘露元年冬、盧毓が尚書左僕射から司空に遷り、代わりに陳泰が右僕射から左僕射に転じる。それに伴い空席となった尚書右僕射に王觀が入る。

2012-01-09 14:25:05
Jominian @Jominian

その後、曹髦が死に、陳泰が賈充に嫉妬して死ぬと、陳泰の代わりに荀顗が尚書左僕射となる。同じ頃、王觀も右僕射から司空に遷り、後任として裴秀が尚書右僕射となる。

2012-01-09 14:37:25
Jominian @Jominian

後に裴秀は尚書令となるが、この頃には荀顗も司空に遷っている。では、後任は誰なのか?晋書崔洪伝には、曹髦が即位した時に尚書であった崔賛が尚書左僕射になった事が書かれ、同羊琇伝には、羊琇の兄の羊瑾が尚書右僕射になった事が書かれている。この二人が尚書僕射を分け合っていたように思える。

2012-01-09 14:49:30
Jominian @Jominian

む。荀顗が司空に遷ったのは、武帝の受禅に際してか。となると、荀顗は魏の時代最後の尚書左僕射だったわけだな。では、崔賛はどうなるのだろうか?

2012-01-09 15:07:59
Jominian @Jominian

ああ、でも陳留王紀だと、受禅前に荀顗が司空になってるのか。晋書はこの辺を混同してしまっているのだな

2012-01-09 15:11:43
Jominian @Jominian

そうか。そもそも司馬昭が己の司馬としたのは裴秀なので、陳騫の相国司馬は司馬昭の司馬ではないのだな。甘露元年には既に裴秀も散騎常侍だが、この時は陳騫も既に尚書である。

2012-01-09 15:25:46
Jominian @Jominian

裴秀は本伝で尚書僕射になっているはずなのに、武帝紀では議郎から尚書令になったように書かれている。これは武帝紀が間違っているのだろう

2012-01-09 15:28:17
Jominian @Jominian

晋書礼志にある、「太宰司馬孚、太傅鄭沖、太保王祥、太尉何曾、司徒領中領軍司馬望、司空荀顗、車騎將軍賈充、尚書令裴秀、尚書僕射武陔、都護大將軍郭建、侍中郭綏、中書監荀勖、中軍將軍羊祜等奏」というのも気になる。これは武帝受禅直後の話だが、武陔が尚書僕射になっている。

2012-01-09 15:46:20
Jominian @Jominian

結局、崔賛は最後の一瞬だけ魏の尚書左僕射となり、そのまま晋にスライドしたのだろう。左僕射の流れは、盧毓→陳泰→荀顗→崔賛となる。そして右僕射は、傅嘏→陳泰→王觀→裴秀→羊瑾となる。羊瑾はもしかすると晋になってからかもしれないが、裴秀はその前に尚書令だから、羊瑾で合っているだろう

2012-01-09 15:52:43
Jominian @Jominian

陳騫と同じく、司馬昭の時代に尚書から都督に遷った人物として何曾が居る。彼も陳泰、荀顗、傅嘏らと仲が良く、当然、司馬昭とも仲が良かった。何曾は陳騫よりも一歩先に中央の要職に就いている。ただこれは、信任の度合いの差と言うより、適性の問題かもしれない。

2012-01-09 15:58:10
お菓子っ子 @sweets_street

@Jominian 何曾は法律に精通していて、しかも礼法に厳格でした。規律を維持するのにはうってつけの人物といえるでしょう

2012-01-09 16:02:32
Jominian @Jominian

@sweets_street やはり適性の問題ですよね。伝を読んでいてそう思いました。

2012-01-09 16:06:13
Jominian @Jominian

今しているツイートは備忘録として後でまとめる

2012-01-09 16:06:35
Jominian @Jominian

武陔の問題が片付かないが、本伝では泰始の初めに吏部尚書から左僕射に転じている。左僕射と言えば崔賛である。彼は崔賛の後任だろう。

2012-01-09 16:08:53
Jominian @Jominian

司馬昭の時代、司空は盧毓、諸葛誕、王昶、王觀、王祥、荀顗と遷ったが、その内、盧毓、王觀、荀顗は尚書僕射からの昇進である。反乱した諸葛誕を除けば、司空の前任は尚書僕射、都督、尚書僕射、司隷校尉、尚書僕射となる。そういう持ち回りなのか?

2012-01-09 16:13:03
Jominian @Jominian

詔勅を司り、司馬昭自身が録尚書事なので当然ではあるが、司馬昭と仲が良い人物は、往々にして尚書台の官僚を経験していたり、尚書台に留まっていたりする。陳騫もその一人だろう。司馬昭の時代に尚書台の官僚を経験しているか否かは、司馬昭との繋がりを考える上で一つの条件となろう

2012-01-09 16:16:16
Jominian @Jominian

そして、王経もまた、雍州刺史としてやらかした後の官職は尚書である。王経も司馬昭に信任された人物の一人だったに違いない。直接刑を受けたわけではないが、曹髦の死に関連して陳泰も死んでいる。あの事件は、司馬昭の側近の間でも何らかの動きがあった事件なのでは無いだろうか?

2012-01-09 16:18:22
Jominian @Jominian

姜維と司馬昭の違いは、この人脈であろう。司馬昭は仲の良い同世代の人物に、有能で、高官の子弟であり、名声の高い人物がたくさん居た。彼らが司馬昭の周りを固めているので、国家の指導者として大成する事ができた。姜維はそうした人物が軍人しかおらず、高官の子弟とは繋がりが薄い。

2012-01-09 16:21:07
Jominian @Jominian

とりあえずこの辺にして、一旦まとめよう

2012-01-09 16:21:45