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斉藤清二先生による「物語の視点から見たEBM」~3つのEBM物語~

斎藤清二先生(@SaitoSeiji)による,日本における「正統派:Orthodox School」「ガイドライン派:Guideline School」「伝統科学派:Conventional Scientist School」の三つのEBM(Evidence Based Medicine)物語 ■関連まとめ 「医療におけるエビデンスとナラティブ」と「心理学におけるエビデンスに基づく実践」について http://togetter.com/li/236616
心理 EBM nbm
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斎藤清二 @SaitoSeiji
「物語の視点から見たEBM」についての連続ツイートをしてみたいと思います。すでに何度か公表しているものですが、あくまでも私的な考察であることをご承知ください。
斎藤清二 @SaitoSeiji
①私がEBMを学び初めてすぐに、痛切に感じたことは、「エビデンス」や「EBM」という言葉が、本邦の医療現場や学術の世界において、おどろくほど多様に意味づけされており、甚だしい場合は、まるで正反対の影響を実践に及ぼすような使われ方さえされているという事実だった。
斎藤清二 @SaitoSeiji
②私は最初、「EBMについての正しい理解」を確立し「EBMについての誤解や曲解を質すことが必要だ」と考えた。しかしすぐに「それは現実的ではないかも知れない」と考えるようになった。なぜならば、そのような努力はすでに十分に行われていたはずなのに、誤解が消滅する気配はなかったからだ。
斎藤清二 @SaitoSeiji
③そうではなくて、このような事態は、キリスト教という一つの世界宗教においてさえ、ローマカトリックとギリシア正教とプロテスタントが同時に併存しているということと良く似ており、そのような現状を認めることから出発すべきではないかと考えるに至った。(クリスチャンの方、ごめんなさい)
斎藤清二 @SaitoSeiji
④ここでは「EBMそれ自体も社会的に構成された物語であり、複数の異なった物語のヴァージョンがあり得る」という視点から、考察し直してみたい。現代の日本において、エビデンスあるいはEBMということばが語られる時、少なくとも3つの異なったヴァージョンの物語を抽出できるように思われる。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑤EBM物語の第1のヴァージョンは、「エビデンスを、原則として疫学的方法で得られた経験的、実証的な情報であると定義し、エビデンス自体の批判的吟味と、エビデンスを用いた臨床実践の批判的吟味こそがEBMの本質であるとする考え方」である。これを私は「正統派のEBM物語」と呼びたい。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑥ほとんど全てのEBMの教科書は、この正統派の理論と方法論を説明することを目的に著されており、この考え方に基づいた教育ワークショップも頻回に行われている。しかしながら、奇妙なことにこの正統派のEBM物語は、必ずしも日本におけるEBM理解の主流にはなっていない
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑦正統派EBMにおいては、サケットらのEBMについての2つの定義、「EBMとは臨床実践において、エビデンス、患者の意向、臨床能力の三者を統合することである」と「EBMとは個々の患者の臨床判断において、最新最良のエビデンスを明示的に良心的に一貫して用いることである」が遵守される。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑧正統派EBMでは、EBM実践の5つのステップと、臨床的疑問の定式化の4要素(PECOあるいはPICO)が、実践ツールとして重要視される。上記の定義が引用されず、5つのステップと臨床的疑問の定式化に触れられていないEBMの記述は、おそらく正統派とは異なる物語を採用している。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑨EBM物語の第2のヴァージョンは、エビデンスとは基本的に疫学的情報であるとする考えは共通だが、「EBMとは、エビデンスを収集してそれに基づいた診療ガイドラインを作成し、それを医療実践に普及させることであるとする考え方」である。ここでは、医療の標準化がEBMの最大の目的とされる。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑩この第2のEBM物語のヴァージョンを、私は「ガイドライン派のEBM物語」と呼びたいと思う。ガイドライン派のEBMは、正統派が5つのステップを重視するのに対して、むしろエビデンスの階層表(いわゆるエビデンスのレベル)と、リコメンデーション(推奨)のレベルをツールとして重視する。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑪ガイドライン派のEBMにおいても、5つのステップが無視されているわけではないが、ガイドライン作成手順と作業に焦点をあてるので、ステップ2,3のエビデンスの質の評価が主な関心となる。ゆえにガイドライン派のEBMは、ある意味では最も素朴な意味でのEBM的な印象を与えることになる。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑫ガイドライン派のEBMは、厚生労働省が後押しをしているという政治的理由、薬剤メーカーの資金的援助などの経済的理由も加わって、日本の医療の世界では依然として多数派である。しかし、ガイドラインが医療者の裁量権を侵害しているとする一般医療者側からの感情的反発も無視できない。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑬ガイドラインをEBMの実践にどのように位置づけるか、正統派の視点からはいくつかの議論を提起できる。ガイドラインはエビデンスそのものではなく専門家の推奨(見解)を必ず含む。そうすると専門家の見解を最も質の低いものとみなすというエビデンスの階層表とはある意味矛盾することになる。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑭EBM物語の第3のヴァージョンは、「エビデンスを臨床疫学的な情報に限定せず、むしろ生物科学的な理論や病態生理を推定する実験的研究の成果などを重視し、“科学的でない”医療を排除しようとすることがEBMであるとする考え方」である。私はこれを「伝統科学派のEBM物語」と呼びたい。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑮伝統科学派のEBM物語は、正統派の視点から見れば、EBM出現以前の古典的な科学的医学論を、エビデンスという口当たりの良い名称にすり替えて、伝統的医学の復権を目指しているように見える。また、ガイドライン派の視点からみれば、エビデンスの階層表の順位を無視しているように見える。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑯伝統科学派のEBM物語が力を持っている理由の第一として、EBMの出発点が偽権威への挑戦であったということが挙げられる。ここでいう偽権威への挑戦とは、なぜその臨床判断が行われたのかという過程を明示しないまま、権威者によって臨床判断の規範が押しつけられていたことへの挑戦である。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑰伝統科学派のEBM物語が強い力を持つ第2の理由は“科学的”という言葉が依然として保持している権威による。「科学的である」ということは「客観性を持つ」ということとほぼ同義と理解されるので、伝統科学派のEBMは、医療における「主観性」を徹底的に排除しようとする傾向がある。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑱伝統科学派のEBM物語は、医学周辺領域へEBMの概念が拡大、浸透する時「我々の分野も、今までの非科学的な○○から、エビデンスに基づいた科学的な○○に転換しなければならない」というスローガンとして広く採用されてきた。伝統科学派の物語はその領域の価値を高める強力な武器となるのだ。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑲「正統派:Orthodox School」「ガイドライン派:Guideline School」「伝統科学派:Conventional Scientist School」の三つのEBM物語は、それぞれが異なった目的に奉仕する異なった機能をもつ物語であると考えられる。
斎藤清二 @SaitoSeiji
⑳EBMを物語として理解するということは、EBMの価値を貶めることではなく、EBMを深く理解し、実践のコンテクストに応じて全てのヴァージョンを役立てるために有効な視点であると思われる。実際に物語とはわくわくするほど面白いものであるから。 ・・これで連続ツイートを終わります。
CMECジャーナルクラブ @cmecjc
個別の問題に向き合う臨床医の問題解決には、サケットを継承する正統派EBMが向いている。
切り取り線 @kiri_tori
✄------------ PM 1:00 ------------✄
*サイパブ @psypub
正統派のEBMの考え方を踏まえたうえで,たとえばこれ(http://t.co/K8d0pMJ7)を読むと,この議論の中でなにが起こってるかが少し見えてくるんではないでしょうか。
斎藤清二 @SaitoSeiji
薄々は聞いてましたが、初めて全体像を知りました。なんとも言いようがないというのが正直なところですが、3つの物語のそれぞれからK先生のお話を分析・解釈してみることには価値がありそうですね。@psypubhttp://t.co/eF6PttUp)を読むと
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コメント

*サイパブ @psypub 2012年1月14日
その後のお話も追加しました! 「斉藤清二先生による「物語の視点から見たEBM」~3つのEBM物語~」
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