高橋けんじさんと藤田直哉さん +
.@KENXY 僕の見ていた感じでは、まず場外乱闘が始まって、観客席でバトルが始まって、外に出て、後楽園の遊園地でバトってジェットコースターに乗って遊んでいるうちにラクーンに漬かっていた、というような感じでしょうか。リング外の使い方が面白かったです。
2011-12-28 16:45:22.@KENXY 過剰な思い込みと一方的な「正義心」で炎上させているだけ、という意見をちらほら見まして、まぁ確かに電凸とかメールなどの部分”だけ”を見ればそう見えるかもしれないけど、相手の言説に則って作品を作ったり「アート」の定義を奪ったり、知的に面白かったと僕は言いたいです。
2011-12-28 16:48:06.@KENXY ということを、僕自身も整理するために、高橋さんにお付き合いいただいてしまったようです。こちらこそ、有難うございます。
2011-12-28 16:48:41
別にカオス*ラウンジに限らず、今年は倫理主義的な批判を随分と行った年だったので、もう一回自分の批評的な資質を確認しておいて、必ずしも「倫理主義」”だけ”で硬直した作品評価をしているわけではない、というのは宣言しておきたい気がします。
2011-12-28 16:59:57「駄コラ……じゃなくてアートが理解不能」って意見も聞いたんだけど、その「駄コ……アート」の美学である「うま味」って何かって言われたら、それこそ悪ふざけの意識と無意識が結合して、当初の目的を忘れて、図像自体が暴走していく集合的な現象の快楽、なんじゃないだろうか。
2011-12-28 17:17:17
人間とネットが接続された「マン=マシン」的な状態(カオス*ラウンジ宣言的に言えばアーキテクチャと作家が区別内状態)の、人間と機械の無意識のようなものが自走している状態なんだと思うんだけど、それが何故あんなに笑えるのかは、わからない。
2011-12-28 17:20:30「無意識は機械である」とか、ベルクソンの『笑い』に出てくる「機械的なこわばり」とか、フロイトの『機知』に出てくる「夢の論理」とか結びつければなんか言えそうな気がするけどなんともいえない。
2011-12-28 17:23:02でも「集合的無意識」とかファシズム的な融即とは違うよね。自分はそこに一体化していない、疎外されていることを感じながらも、その有限性(制限)自体に快楽を感じつつ、自分が投じたものが他のものと連鎖しながら自走していく快楽のようなもので。
2011-12-28 17:28:17そういう「快楽」というか「美学」の質をきちんと自分にも他人にも納得できるように説明するような批評を書こうというのは、三年前にしくじって以来ずっと心に決めてきたことだから、この際、一回ちゃんと書いてまとめてみようかしら。
2011-12-28 17:31:46WORDの一行目に「マジスタンスの美学」とタイトルを書いて、急に我に返った。こんなことをしている場合じゃない。
2011-12-28 19:19:47外を歩きながら、必要な参考文献と、必要な事実確認とかの作業を考えながら、「『美術手帖』第15回 芸術評論」の募集に送ろうかと考えていたんだけど、次はこれ一体何年後にやるんだろう
2011-12-28 19:31:13サボっているわけでも遊んでいるわけでもない、いや、サボっていたり遊んでいたりするが、それがまだ完成していない大統一理論に繋がっているんですよ! ということを説明するために理論を作る作る詐欺みたいになってきた。
2011-12-28 19:47:10「「うま味」の有無を判断しているその「主体=場」には、「趣味判断」、すなわちテイストに対する美学が存在しているのだ」という文章がWORDから出てきた
2011-12-29 18:33:05