Azar Gat "A History of Military Thought" から、エンゲルスに関して

まだ途中。後で続きを投下します。
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名無し整備兵 @seibihei

「などと答えたとしたら、試験官は一体何と言うだろう?彼はその若き士官に、その答えは戦略のもっと基本的な法則の二つに反している、と教えるだろう。一つは相互支援が出来ない状態で隷下の部隊を分割してはならず、統合を巧妙に保て、ということ。」

2012-01-22 00:12:00
名無し整備兵 @seibihei

「そして第2に、複数の経路を使用して前進する場合は、敵と接触しない距離にある地点で合流せよ、ということ。即ち、出された答案は最悪のものだ・・・。しかし、これこそがプロイセン軍の賢明でよく研究している参謀将校が採用したものなのだ。とても信じられないが、しかし本当のことなのだ。」」

2012-01-22 00:12:33
名無し整備兵 @seibihei

「3日後、ナポレオンとジョミニの遺産により教育された他の全ての専門家と同様、エンゲルスも前言を撤回せざるをえなくなった。彼はこう書く。「この戦争は、プロイセンの驚くべき失敗により始まったものだが・・・」

2012-01-22 00:19:15
名無し整備兵 @seibihei

「彼らのとてつもない戦術上のエネルギーを費やして続けられ、ちょうど8日目に(プロイセンの)勝利で幕を閉じた。」」

2012-01-22 00:19:37
名無し整備兵 @seibihei

「後に、彼の広範囲にわたる論争である「反デューリング論(1876~8)」において、エンゲルスは2,3ページを割いて、戦争の歴史的本質についてのマルクス主義的観点を概括している。彼はあらゆる物質的変化及び、暗示的には経済的状況により、戦争は変化し違った形式になると論じている。」

2012-01-22 00:20:02
名無し整備兵 @seibihei

「「14世紀の始めに火薬がアラビアからヨーロッパに伝わった。そして・・・戦争の形式を完全に変えてしまった・・・その初めから・・・火器は都市と都市からの支援を引き出した台頭しつつある君主の兵器だった・・・封建領主の鎧に身を包んだ騎士たちと同様、封建領主の主権も打ち砕かれた。」

2012-01-22 00:22:03
名無し整備兵 @seibihei

「ブルジョワ達の発展に伴い、歩兵と火器が次第に決定的な兵器になっていった・・・18世紀の初頭になり、銃剣を装着できる燧石マスケット銃が、ついに歩兵の装備から槍を駆逐した。この時期の歩兵は、貴族達の傭兵だった。」

2012-01-22 00:23:15
名無し整備兵 @seibihei

「彼らは社会で最も不道徳な階層からなっており・・・鞭によってのみ繋ぎとめられていた。新しい火器を与えられたこうした兵士達にとって唯一可能であった戦闘は、横隊戦列を組む戦術だった・・・」

2012-01-22 00:23:43
名無し整備兵 @seibihei

「(独立戦争での)アメリカ人と同様、フランス革命は対仏同盟国の訓練された傭兵軍に対し、全国家的な動員による、練度の低い大量の兵士で対抗した・・・大兵団にとって使える戦法が発明されなければならなくなった。そして縦隊戦術こそがそれだった・・・」

2012-01-22 00:25:29
名無し整備兵 @seibihei

「全国民を武装させる革命的なシステムは、義務兵役制により規定された・・・そしてこの形態は、ヨーロッパ大陸におけるほとんどの大国で採用された。(未来におけるこの過程の発展により)貴族達の軍隊は人民の軍隊に変化していくのだ。」」

2012-01-22 00:25:53
名無し整備兵 @seibihei

「「戦争論」を読むと、これに著しくよく似た一節があることに気付くだろう。このことはエンゲルスのひらめきの元はこれなのではないか、という疑問を生むかもしれない。クラウゼヴィッツによれば、戦争の性質は以下のような点にかかってくる。」

2012-01-22 00:27:19
名無し整備兵 @seibihei

「国家と社会の本質は、その時代及び支配的な状況により決定される・・・半野蛮なタタール人、古代の共和制、中世の封建領主と交易都市、18世紀の王達と19世紀の統治者及び民衆・・・彼ら全ては違った方式を用い、違った目的を追求して、彼ら独自のやり方で戦争を遂行するのである。」

2012-01-22 00:27:44
名無し整備兵 @seibihei

「エンゲルスは「反デューリング論」の中で、海軍の発展にも似たような概観を書いているのだが、しかしこうした見方には、「共産党宣言(1848)」で打ち出された有名な歴史観からの影響の方が、クラウゼヴィッツからの影響より強い。」

2012-01-22 00:30:02
名無し整備兵 @seibihei

「実際のところ、「反デューリング論」における軍事関係の記述は、彼の素晴らしいがあまり広くは知られていない著作「1852年における神聖同盟による対仏戦争の状況及び展望(1851年4月)」で著述したものから、思想的な発展はほとんど見られない。」

2012-01-22 00:30:51
名無し整備兵 @seibihei

「この著作は、彼がまだ一行もクラウゼヴィッツを読んでいないどころか、軍事関係の書物を大量に読み出す以前に書かれたものだ。同じように、エンゲルスの歴史分析は、彼がクラウゼヴィッツよりもはるかに多く参考にしている急進派の同志であるリュストウからも、影響を受けてはいない。」

2012-01-22 00:32:03
名無し整備兵 @seibihei

「つけくわえると、「反デューリング論」のすぐ後に始められ、リュストウから一部影響を受けたデルブリュックの偉大なる歴史学上の功績も、エンゲルスの影響を受けたものではない。」

2012-01-22 00:35:41
名無し整備兵 @seibihei

「上記の人物は全て皆、同じような思想を同じような言葉で表現しているが、それは互いに影響を及ぼしあう関係があったわけではなく、何よりも彼ら全てに刺激を与えたドイツ歴史主義の、広範囲にわたる影響のためである。」

2012-01-22 00:36:07
名無し整備兵 @seibihei

「戦争は、他の全ての事象と同じく、恒久的な本質などほとんどない。全ての事象と同様に、それは人間社会の他の分野に影響を受け、または相互作用しつつ、継続的に変化していく。」

2012-01-22 00:37:16
名無し整備兵 @seibihei

「この基本的な歴史主義的概観は、クラウゼヴィッツの軍事哲学とヘーゲルの弁証法の共通の源であり、彼らの後継者である唯物論者や社会主義者とともに、19世紀ドイツ歴史主義学派の大きな潮流をなしたのだった。」

2012-01-22 00:37:31
名無し整備兵 @seibihei

「エンゲルス自身にとっては、こうした基礎的な類似や親和性は、大して重要なものではなかった。ドイツ文化全体に歴史主義思想から派生した様々な思想が浸透しており、そのほとんどはマルクス主義の論敵とされていた。」

2012-01-22 00:40:21
名無し整備兵 @seibihei

「19世紀半ばのドイツ及びヨーロッパで、ヘーゲルの亜流に限っただけでも、少なくとも数ダースの思想家がマルクスとエンゲルスによって辛らつな論敵だと名指しされている。」

2012-01-22 00:44:46
名無し整備兵 @seibihei

「エンゲルスのヴィリセンに対する態度や、クラウゼヴィッツへの賛辞の中に彼が示した区別に現れているように、彼は軍事に哲学を持ち込むことについて、あまり寛容ではなかった。マルクスとエンゲルスにとって、哲学的考察はドイツ人の「病気」だった。」

2012-01-22 00:45:34
名無し整備兵 @seibihei

「後のマルクス主義者たちにとっては、事情は必ずしも同じではない。例えば、軍事専門家ではないのだがレーニンが第1次世界大戦の勃発とともにクラウゼヴィッツの「戦争論」を学ぼうとした時には、主要な軍事大国の間ではクラウゼヴィッツは押しも押されもせぬ軍事理論の大家とされていた。」

2012-01-22 00:48:52
名無し整備兵 @seibihei

「この時、レーニンにとっても彼の演説の聴衆にとっても、ドイツ歴史主義の実例は2,3世代前のマルクスやエンゲルスにとってほど、ありふれたものではなくなっていた。戦争中のレーニンの特異な政治的関心事を考えれば、彼がクラウゼヴィッツに特別な興味を持ったのも自然だろう。」

2012-01-22 00:49:22
名無し整備兵 @seibihei

「こうしてクラウゼヴィッツの様々な戦争理論をマルクス主義の概念と結びつけるのは、レーニン他のマルクス主義指導者たちに任されることとなった。」

2012-01-22 00:49:38