Azar Gat "A History of Military Thought" から、エンゲルスに関して

まだ途中。後で続きを投下します。
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派生した質問。後で調べてみる。

@YouKey_Nowayne

そういえば、ドイツ民主共和国にマルクス勲章はあるが、相棒(尻拭い?)であるエンゲルスは何処に!と思ったらフリードリッヒ・エンゲルス賞があった国家人民軍の発展と功績の~か。

2012-01-10 22:51:14
名無し整備兵 @seibihei

@YouKey_Nowayne 軍ヲタのエンゲルスとしては嬉しいでしょうねぇ。

2012-01-10 22:54:37
@YouKey_Nowayne

@seibihei 確かクリミア戦争に関する論文?が非常に優秀だったんでしたっけ?また経営者としても優秀でその利益をマルクスを支援してましたね

2012-01-10 23:00:46
名無し整備兵 @seibihei

@YouKey_Nowayne そればかりじゃなくて、当時の新聞で軍事関係の良記事をいくつも書いています。またマルクスが書いたといわれる軍事記事も、エンゲルスがゴーストライターしていたのが多かったとか

2012-01-10 23:03:07
@YouKey_Nowayne

@seibihei なるほど。そうでしたか本当にエンゲルス凄いですね。( ..)φメモメモ

2012-01-10 23:15:05
名無し整備兵 @seibihei

@YouKey_Nowayne 最近復刊された「新戦略の創始者」かGatの"A History of Military Thought"に詳しく出てなかったかな

2012-01-10 23:17:47
名無し整備兵 @seibihei

「エンゲルスの軍事著作家としての顕著だがあまり知られていない経歴は、しかし学問的な注目は相当にひきつけている。1848~9年の経験で明らかになった、将来の革命を成功させるために必要不可欠な原則の基礎を学ぶため、彼は1851年から非常に真剣に軍事研究を始めている。」

2012-01-10 23:43:06
名無し整備兵 @seibihei

「研究に没頭した短い期間のうちに、エンゲルスは軍事研究の専門家となり、まもなくヨーロッパにおける最も鋭敏な軍事研究家のひとりとなった。彼の軍事関係の著作は、長い間彼の全著作物のうちで最大の割合を占めていた。友人により「将軍閣下」とのあだ名がつけられたのも納得がいく。」

2012-01-10 23:43:35
名無し整備兵 @seibihei

「1850年代を通じ、マルクスとの共著者として、又はマルクスの名を借り、エンゲルスはマルクスがロンドン特派員として勤めていた”ニューヨーク・デイリー・トリビューン”紙に大量の軍事関係の記事を寄稿している。」

2012-01-10 23:44:56
名無し整備兵 @seibihei

「この”トリビューン”紙が1858年に発行した”ニュー・アメリカン・サイクロペディア”において、マルクス自身はナポレオン戦争時の将帥について書いているが、エンゲルスも軍事におけるより技術的な部分について、多くを書き加えている。」

2012-01-10 23:48:30
名無し整備兵 @seibihei

「1860年代の初めには、またマルクスとの共著者として、エンゲルスはウィーンの雑誌”ディ・プレッセ”にアメリカ南北戦争の軍事的局面について寄稿している。」

2012-01-10 23:49:55
名無し整備兵 @seibihei

「投稿記事としては、”ボランティア・ジャーナル・オブ・ランカシャー・アンド・チェシャー”誌に様々な主題について10件投稿している。当然のことではあるが、彼は1859年のフランスの対英侵攻脅威に対し、イングランドで結成された民兵組織について注目した。」

2012-01-10 23:50:38
名無し整備兵 @seibihei

「最後に、彼は”マンチェスター・ガーディアン”誌と”ペル・メル・ガゼット”誌にそれぞれ、1866年の普墺戦争と1870~1年の普仏戦争の双方についてまとめている。」

2012-01-10 23:51:17
名無し整備兵 @seibihei

「エンゲルスの軍事著作家としての経歴を追っていく上で、多くの評論家はクラウゼヴィッツに名誉ある地位を与えている。彼らはこの印象について、一次的には二つの何気ない、しかしよく引用される史料を証拠としている。」

2012-01-10 23:52:58
名無し整備兵 @seibihei

「それは1858年1月のマルクス-エンゲルス間の往復書簡で、マルクスとエンゲルスがクラウゼヴィッツに特別の敬意を払っていた証拠として、広く翻訳されている。」

2012-01-10 23:54:18
名無し整備兵 @seibihei

「しかしこの何気ない史料は、同時代の軍事著作家に対するエンゲルスの態度からみると、文脈から切り離されて相当拡大解釈されたもの、即ち削除による大きな歪曲がなされている。しかもこの史料は表面的に取扱われており、しばしば偏見を伴う翻訳により誇張されている。」

2012-01-10 23:54:40
名無し整備兵 @seibihei

「エンゲルスの軍事学習の進め方とそれに関連する史料の多くは、彼の多数の往復書簡の中によく現れている。総合的な文献リストを作り上げる手助けとして、エンゲルスは革命家に転身したプロイセンの元将校であり、マルクスとエンゲルスの親友でかつ弟子でもあるヨゼフ・ウェデマイヤーに接近した。」

2012-01-10 23:56:44
名無し整備兵 @seibihei

「彼が軍事について学び始めた動機についてかなり長く説明して、エンゲルスは彼の興味の対象を順番を追って詳しく述べていた。特にエンゲルスが企画していたのは、戦争に関する職業の基本について、ある程度包括的に技術を習得することである。」

2012-01-10 23:57:11
名無し整備兵 @seibihei

「彼はウェデマイヤーに対し、モンテクッコリの古典的な著作については既に読んでおり、ネイピアの半島戦争史が「今まで読んだ中で最高の戦史だ。」と述べている。」

2012-01-10 23:58:05
名無し整備兵 @seibihei

「彼はヴィリセンとクラウゼヴィッツの名前を挙げてドイツ参謀将校について尋ねるとともに、ウェデマイヤー自身は彼らについてどう考えているか質問している。最後にエンゲルスはジョミニについて聞いている。これら大家の文献について、彼はまだ一冊も読んでいない。」

2012-01-11 00:00:42
名無し整備兵 @seibihei

「彼はまた1792年から1849年までの間の近代会戦の研究のためによく出来た専門の地図はないか、とも聞いている。ウェデマイヤーの返信を受け取ると、彼はいくつかのより掘り下げた質問をするとともに、デッカーの著作を既に手に入れた、と伝えている。(これはマルクスが置き忘れたもの)」

2012-01-11 00:01:28
名無し整備兵 @seibihei

「1853年4月までに、エンゲルスは彼が技術的及び歴史的な軍事研究の双方に関して成し遂げた大幅な進歩について、ウェデマイヤーに伝えている。「プロイセンの軍事書は、はっきり言って最低だ。」と彼は文句を言っている。」

2012-01-11 00:02:58
名無し整備兵 @seibihei

「彼は「1822年以降、(プロイセンの書物は)吐き気を催すもったいぶった衒学趣味・・・全知全能であるとの大変厄介な思い込み」によって特徴付けられている、と書いている。」

2012-01-11 00:05:42
名無し整備兵 @seibihei

「この批判において、エンゲルスは恐らく主としてヴィリセンや他の無名な著者達を念頭に置いていた事は間違いない。ここにも、他にも、これより以前からも、マルクスへの書簡の中で、彼はヴィリセンの有名な衒学趣味と軍事哲学もどきに対するおかしさと軽蔑とを、繰り返し表現している。」

2012-01-11 00:06:59