カップの中のハムスターの悩み。「多神教的世界からパージされる人たちをどうするのか?」

1月22日にあるきっかけで悩んでいる事がすぐ目の前に提出されてしまいました。 私はこの問題に対しての解決策や行動指針を打ち立てる事が出来ないでいます。 何かできるのであればぜひ解決したいと思っています。 もしかしたら、解決できない事解決すべきではない事なのかもしれません。 もし、思う事があったらぜひぜひコメントや私宛のReplyをくださいませ。 続きを読む
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taku @_heathworld_

実は今日、20歳±2ぐらいの子たち(6人)ぐらいといろいろ話していたわけなんだけど、もしかして彼らに本当に必要なのは「説教や突き放しではなく、許容と導出を意識してコミュニケーションが取れる大人たち」なんじゃねのか?とかすごく思っていた。

2012-01-22 20:13:35
taku @_heathworld_

そして、一番難しいのは、彼らのここに来た理由。多くの場合は、彼らは孤独と孤立と社会からのパージを経験している。(もしくは、経験中)たまたま、私が救い上げた感じ。何が問題かって、そういう話がしたくても拒絶を恐れて年上にアプローチできないとかそういう問題。

2012-01-22 20:15:12
taku @_heathworld_

ここの部分ってどうすればうまくいくんだろうなー?とか考えながら、つか、教師や親は何してんだろ?とか思わないでもない。まぁ、でも、それは「与えられたもの」だから仕方ないよねって思うんだけど。

2012-01-22 20:16:13
taku @_heathworld_

私を含めて、多くの人たちが「年下の悩みとかそういうのって聞いてみたいよね」って思ってると私は信じているし、同時に年下の人たちでも「こういうのって不思議なんだけどぜひ聞いてみたいんだが」って思っている人たちは多いと思う。

2012-01-22 20:17:22
taku @_heathworld_

ここはどうやってリンクさせれば良いんだろうか??とか本当に悩む。難しいんだよ。この部分をうまく作ってあげれば何か役に立つような事が出来るんじゃないかな?うーん。。。

2012-01-22 20:18:13
taku @_heathworld_

ちなみに、私は教師になる気は微塵もない。

2012-01-22 20:18:34
taku @_heathworld_

つかね。20歳前後の例えばいい大学に行っていない様な子達でも、くすぶってる子はたくさんいるし、自分の言葉でいろいろ喋れる子はたくさんいるんです。でも、それを「許容と導出」に基づいてコミュニケーションが出来る大人が彼ら・彼女らの周りに少ないんですよ。

2012-01-22 20:25:26
taku @_heathworld_

何でかと言えばすごく簡単に言ってしまうと、その様なコミュニケーションスタイルは非常に許容コストがかかるからです。私も2時間半で5人の子と話したけれども、まったく十分ではなかったと思うし、後は時間だけではなくて精神的コストも。とてもとても疲れます。彼らの発言を予測できないから。

2012-01-22 20:26:51
taku @_heathworld_

これは、日本と欧米のコミュニケーションスタイルの違いにかなり似ています。私は、これについては宗教観が、その認識に大きく影響していると考えています。それは「世界が先で自分が後」という認識か、それとも「自分が先で世界が後」という認識かの2種類に大きく分けられると考えています。

2012-01-22 20:29:20
taku @_heathworld_

日本を含む東洋思想(主に仏教などにみられる多神教)は「世界が先で自分が後」という精神構造をしています。一方、欧米やイスラムの西洋思想(主にキリスト教・イスラームなどにみられる一神教)は「自分が先で世界が後」という精神構造をしています。

2012-01-22 20:31:06
taku @_heathworld_

これは、何処に現れるかと言えば、当然世界のでき方に現れます。例えば、聖書では「神が言った、光あれと」という有名な一節があります。よく考えると、これは世界よりか先に神様が生まれている事になります。そして、神様が海やら山やら川やら人間やら動物やらを作ったと。

2012-01-22 20:32:43
taku @_heathworld_

一方で、例えば、古事記では、天孫降臨と言って、神様が地上に降り立ちます。これはよくよく考えると、地上が先にある。そこに神様が降りてくる。つまり、神様より先に世界があります。この違いが、どの様な世界観の違いになるのか。

2012-01-22 20:34:30
taku @_heathworld_

一神教の世界においては「何よりもまず自分が先に生まれた後に世界と向き合う」という形になります。一方、多神教の世界においては「まず世界があり、その上に、その世界に内包されるように自分がいる」という形になります。これがどの様な影響を与えるのか。

2012-01-22 20:35:41
taku @_heathworld_

一神教の世界においては、「何よりもまず、自分とは何であるのか?自分はどう考えるのか?」という視点が大事になります。なぜなら、それがあって初めて世界と向き合えるからです。つまり、極論では「それを持っているから、自分が存在していると自己認識できる」という孤独な基本状態が生まれる。

2012-01-22 20:37:11
taku @_heathworld_

多神教の世界においては「何よりも先に世界がどうであるかを考える」という視点が大事になります。なぜなら、彼らにとって自分が生きているのは世界があるから。世界からパージされると、それは精神的な死に直結します。極論では「自分ではなく世界調和が先決」となり、世界と同化した状態が生まれる。

2012-01-22 20:38:49
taku @_heathworld_

これはどの様な問題が生まれるというと、一神教の世界では自分が中心となり、そこの理解を必要とするため、コミュニケーションコストがきわめて重くのしかかります。一方で、多神教の世界においては、世界が中心であるため、世界が安定しているほど、それとは異なる思想などを抑圧する傾向にあります。

2012-01-22 20:41:03
taku @_heathworld_

私は、これらのどちらが正しいか?という相対主義的な発想をしているわけではありません。どちらも捨てがたい長所短所があります。しかしながら、不安定な世の中においては、世界を変える事よりも個人を変える事の方がコストがかからないため、一神教的思想の方が生き易いと考えられます。

2012-01-22 20:42:20
taku @_heathworld_

これは如何いう事かというと、ダーウィンの「今、残っている種とは、より強靭であったから残っているのではなく、より変化の対応が早かったから残っているのだ」という事になります。この説を採用すると、不安定で変化の速い世の中では、変化のコストの低い一神教的思想が向いているだろうと。

2012-01-22 20:44:24
taku @_heathworld_

これを先ほどの若い人たちに当てはめると、いわば日本の多神教的思想の中にいながらも、その変化の弱い体制に対して疑問を持った結果として、一神教的思想が萌芽"してしまった"人たちであり、彼らは須く、周囲から早かれ遅かれパージされることになります。さてどうするか。

2012-01-22 20:46:03
taku @_heathworld_

この部分に対して、もう少しうまくアプローチできないものかとという点で、今逡巡しています。まだまだ答えが出てこないし、行動するとしても何処に焦点を当てるべきなのかを考える必要がある部分だと思います。結論がない話を長々とすいません。とりあえず、後々Togetterにまとめます。

2012-01-22 20:47:23