宮腰吉郎 @miyagoshi さんによるチェルノブイリ原発事故被災者へのインタビュー

宮腰吉郎 @miyagoshi さんによるチェルノブイリ原発事故被災者へのインタビューをまとめました。 宮腰さんのプロフィールをTwitterから以下に転載させて頂きます。 チェルノブイリ被災地で「ナロジチ再生・菜の花プロジェクト」を取材、今年中にも編集作業に入る予定。現在、チェルノブイリ原発労働者の街プリピャチの被災者互助団体「ゼムリャキ」のDVD制作中。自作動画をYouTubeにアップしてます。 http://j.mp/lwYJ0V 滋賀県 · http://twilog.org/miyagoshi/
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宮腰吉郎 @miyagoshi

5日前からウクライナなう。ずっとキエフのゼムリャキなどに行っていたが、今はジトーミルにいる。今から放射線防護の専門家である、農大のディードフ准教授と、彼の指導教官だった教授のお話を聞きに行き、その後、移住者の村に行く。そこは地元住民と新住民が半々ぐらいで、うまくやっているらしい。

2012-01-19 14:57:10
宮腰吉郎 @miyagoshi

本日、キエフを発ち、帰国の途につく。昨冬滞在時には2回も40度近い熱が出てまいったが、今回は早めに対処するようにしたのが奏功したのか、体調を大きく崩すこともなく、無事過ごせた。いつもは長期滞在だが、今回は1週間ほどの滞在で、ほとんど自由時間がなく、ツイートする暇もなかった。

2012-01-23 14:20:25
宮腰吉郎 @miyagoshi

今回も後先考えずにまたビデオをいっぱい撮ってもうた。やはり、こちらでも福島事故への関心が高く、撮影後、それぞれメッセージをいただいた。編集&字幕作成する時間がなかなか取れないと思うが、ぼちぼちアップしていきたい。

2012-01-23 14:24:14
宮腰吉郎 @miyagoshi

昨日、インタビューさせてもらった方の話は強烈だった。戦争や飢饉を生き延び、村で土と共に暮らしていたところ、チェルノブイリ原発立地で強制立ち退きとなり、プリピャチへ移住。しかし、事故が発生し、再び移住を余儀なくされた。

2012-01-23 15:14:40
宮腰吉郎 @miyagoshi

続)一回目の移住時はアパートの割り当てが補償代わりだったが、二回目はお金による補償がなされた。しかし、それもソ連崩壊で無となった。

2012-01-23 15:15:51
宮腰吉郎 @miyagoshi

続)事故当日は当直で4号炉そばで勤務していて多量の放射能を浴び、モスクワへ移送。米国人医師ロバート・ゲイルに診察された。一緒に運ばれた人の中には死んでいく人もいたが、彼は戻ることを強く希望し、10日後キエフへ戻った。

2012-01-23 15:16:51
宮腰吉郎 @miyagoshi

続)親類がまだ村に残っているだろうと、危険を顧みず、原発から15kmの街へ向かった。まだ原発からの煙が見えているような状態の時で、途中から車を降り、歩いて向かったため、再度多量の被曝をした。

2012-01-23 15:17:21
宮腰吉郎 @miyagoshi

続)村に着くと犬が一匹さまよっているだけで、全員避難した後とわかり、鶏を放して餌をやったあと、その親類が避難したと思われる村に行き、無事を確認した。当時は各自が電話が使えるわけでもなく、情報源は口コミだけだった。

2012-01-23 15:17:46
宮腰吉郎 @miyagoshi

続)家畜も集団移送されたが、そのとき、自分の飼っている2匹の豚の背中に赤い印をつけておいた。見に行くと、その二匹が寄り添って、主を待っていた。牛を見に行き、「カリーナ」と名前を呼ぶと、牛が主を見つけてやってきた。牛の目からは涙が流れていた。

2012-01-23 15:18:12
宮腰吉郎 @miyagoshi

続)彼には小児麻痺の娘がいて、食事も自分で出来ないので、彼女が生まれてからずっと彼は介護を続けていたが、その娘さんも息子の運転する車で避難していた。その後、しばらく娘さんと奥さんと暮らしていたが、二人は相次いで亡くなり、一人取り残された。

2012-01-23 15:18:51
宮腰吉郎 @miyagoshi

続)一人で住むようになってから、彼の住む住居をだまし取ろうとする連中が来て困るので、息子名義に変えたが、その息子さんもつい2か月前に58歳で亡くなられた。今、毎日泣いて暮らしている。

2012-01-23 15:19:10
宮腰吉郎 @miyagoshi

続)息子さんは週に一回チェルノブイリ原発に通わなければならない仕事を事故後から死ぬまでずっと続けて来られた。亡くなる少し前から目に見えて、体調が悪くなっていて、放射能のせいだったのだろう、とのこと。

2012-01-23 15:19:41
宮腰吉郎 @miyagoshi

続)戦中、ドイツ軍が村に来て、男性を集め、銃殺していったが、彼の父親は一発目太ももを貫通、脳天を狙って撃たれた二発目は顔面をかすめただけで、奇跡的に生き延びた。彼自身も17歳だったが、母が助けを請い、「年齢は?」と聞かれ、彼が咄嗟に11歳と答えたので、見逃され、助かった。

2012-01-23 15:21:18
宮腰吉郎 @miyagoshi

続)原発立地で立ち退きになったとき、近隣の村に移住する選択も与えられたが、プリピャチ移住を選択した。しかし、土が恋しく、その村に土地をもらい、家を作って、年金生活はその村で過ごそうとしたが、事故でその夢も絶たれた。その家は事故後すべて取り壊され、埋められた。

2012-01-23 15:21:53
宮腰吉郎 @miyagoshi

ステイ先の方に紹介されて訪問したのだが、ご本人はウクライナ語で話されるので、逐次ロシア語に訳してもらい、それをさらに撮影しながら日本語に訳していたので、ちょっと大変だったが、びっくりするような話の連続であっという間に時間が過ぎていった。

2012-01-23 15:25:51
宮腰吉郎 @miyagoshi

ご本人は87歳で多少腎臓に問題があるとのことだったが、かくしゃくとしていて、ご自身も「健康だ」とおっしゃっていた。母は90歳まで生き、父も長生きされたらしい。またの再会を約束して別れた。

2012-01-23 15:27:46