モーリー・ロバートソン氏の「にわか脱原発」批判に対する違和感

モーリー・ロバートソン氏(@gjmorley)による1月25日の一連のツィートhttp://togetter.com/li/247731)を読んで感じたこと。 数日後にいろいろ再考した末につけ加えたコメント(下記)もぜひご参照ください。
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直立演人 @royterek

Morley Robertson氏@gjmorleyによる現在の脱原発運動に関する一連の辛口ツィートを複雑な想いで読む。氏は「この新たな「にわか脱原発」が自壊する」と予言する一方で、「大人同士で交わされたアジテーションで覚醒した」次世代の子供たちへの火付け役も果たしたと一定評価。

2012-01-25 23:13:10
直立演人 @royterek

Morley Robertson氏の展望に対する複雑な想いは、そこにメシアニズム的な歴史観を濃厚に感じるからだろう。たしかにカリスマの不在は運動の飛躍にとって致命的かもしれないが、次世代にそうした存在が現れる保障などどこにもないのだから、その不在を嘆いても始まらないのではないか。

2012-01-25 23:22:19
直立演人 @royterek

というより、カリスマの不在を嘆くだけならばまだしも、「貴族」でも「スター」でも「エリート」でもない「普通の人」の存在をあまりにも否定的に過小評価しているのが気に入らない。少なくともこれまでのラウンドの脱原発運動をここまで引っ張ってきただけでも、今の日本社会では脅威的なことだろう。

2012-01-25 23:29:41
直立演人 @royterek

間違えた、「驚異的」→@royterek:少なくともこれまでのラウンドの脱原発運動をここまで引っ張ってきただけでも、今の日本社会では脅威的なことだろう。

2012-01-25 23:38:13
直立演人 @royterek

カリスマの不在を嘆いたり「にわか脱原発」の自壊を予言する暇があるぐらいだったら、現に存在している「普通の人」出身のにわか運動家のアジテーションが、どうすれば覚醒しつつある次世代の子供たちの耳元へとより効果的に波及し得るのかといった実際的な助言をしていただきたい。@gjmorley

2012-01-25 23:36:39
直立演人 @royterek

それから、Morley Robertson氏の社会運動観にはやや矛盾したところも感じられなくもない(本人も書いてたけど)。カリスマの存在については、1920年代の社会主義運動などの一昔前のラディカルな革命観が濃厚に見られる一方で、静かなパラダイム・シフトを期待しているところなど。

2012-01-25 23:47:19
直立演人 @royterek

蛇足ながら、Morley Robertson氏は現在の脱原発運動の思想面についてあまりにもステレオタイプ的な見立てしかしてないところも気に入らない。私は、社会に対する異議申し立ては正義の押しつけとはイコールではないと思うし、「お金よりも命」という二者択一的メッセージも単純すぎる。

2012-01-26 00:08:09
直立演人 @royterek

「お金よりも命を!」という二者択一的発想は、たしかに運動のモチベーションの基礎となっていることは疑いないが、それを支えている醒めた現実感覚として、原発なくても電力十分足りてるのに、なんでそこまでのリスクや不条理を背負ってまで原発なんかに頼らなあかんの?という批判意識があるはずだ。

2012-01-26 00:19:07
直立演人 @royterek

原発の維持がもたらす経済的恩恵は、基本的に一握りの者たちだけが一方的に享受されていて、大多数の人々に等し波に行き渡っているようにはとても思えない。だとすると、原発に依存し続けることが、社会の経済的発展にとって本当にいいこと尽くしなのか、といった疑問も当然ながら生じる。

2012-01-26 00:11:42
直立演人 @royterek

Morley Robertson氏の辛口批評に対する最大の違和感は、あの文章の一部だけ読むと、カリスマが不在なら社会運動なんてやっても無駄だし無意味みたいに誤読されてしまう恐れがある点だ(結論部を読むとそうでないことはわかるのだが)。

2012-01-26 00:38:37
直立演人 @royterek

もともと限界の中でやってる運動に冷や水を浴びせるかのようなセンスも首肯し兼ねる。

2012-01-26 00:39:11
直立演人 @royterek

ともあれ、「にわか脱原発」運動の現状批判を通してその過中にある人たちの危機意識や戦術・戦略面の創意工夫への再考を促す限りにおいて、Morley Robertson氏の現状に対する批判は有益だったと思う。だけど、デモに参加しないといった宣言は一言余計だし、メシア待望論も有害だろう。

2012-01-25 23:56:47
直立演人 @royterek

結局のところ、その時々の状況に応じて、「覚醒した」「普通の人々」ができる範囲で、ただ淡々とやれることをやるだけだろう。

2012-01-25 23:58:49
直立演人 @royterek

今の日本社会では劇的な革命的変革の可能性がほとんどあり得ないということは、残念ながら、原発震災後の社会的動向が完膚なきまでに証明してしまっている。となると、今後の脱原発運動は静かなパラダイム・シフトをいかに後押しできるかという点にもてる力と知恵を結集し続けるしかないのだろう。

2012-01-26 23:00:30
直立演人 @royterek

劇的な社会変革には強力なカリスマやスターの存在が欠かせない。そうしたカリスマが今後現れる保障はどこにもないが、カリスマを生み出す土壌を創出するのは、いつの世でも草の根レベルでの地道な活動の積み重ねであるはずだ。大作先生の脱原発宣言だってそうした下地があったからこそ飛び出したはず。

2012-01-26 23:19:09
直立演人 @royterek

しかし、もちろん静かなパラダイム・シフトだけがすべてではない。今後眠っている原発の再稼働の動きが具体化してきた時には、一点集中型の抗議活動の輪をいかに広く厚く組織できるかにすべてはかかってくる。その時には誰もが一致団結して事に当たらなくてはならないが、その公算やいかに・・・。

2012-01-26 23:41:33
直立演人 @royterek

やはりどこまでいっても大学が癌だ。大学生や大学人には「エリート」という自覚すらないようだ。今のように草の根レベルにおける脱原発への潜在的願望が高まっている時に、1960~70年代のようなラディカルな抗議運動が展開すれば、原発容認体制にくさびを打ち込むことは十分可能なはずだろうに。

2012-01-27 00:03:43
直立演人 @royterek

私は「エリート」という言葉に原理的なむかつきを覚える口だが、今の日本社会には文化的な意味でエリートと呼べるような層がほとんど存在しないのだろう。そして、まさにこのことこそが脱原発運動における押しの一手の弱さとして現れてしてしまっているに違いない。

2012-01-27 00:17:10
直立演人 @royterek

ともあれ、仮に「エリート」不在の現状の脱原発運動に弱さや限界があったとしても、それが「普通の人々」を中心とする「にわか脱原発」運動家のせいでないことは火を見るよりも明らかである。私たちはできる限りのことを精いっぱいやっているだけだ。そのこと自体を責められる謂われは全くないはずだ。

2012-01-27 00:21:06