例えば、学校でいじめがあったとして、いじめられた人とその未来に着目すれば「いじめの責任はいじめられた側にある」と言える。一方フォーカスを変えていじめのあったグループ/クラス/学校/国など別の対象に着目すると責任を持つ者はそれぞれ異なってくる。これらの責任は排他的ではなく分割されることもなく、複数同時に十分に存在する。
一般に「責任を問う」「責任を取る」と表現される言葉は、ある人が過去に『責任』を持っていたとされる問題によって発生した不都合を引き受ける、という意味に解釈できる。
『悪い』における一連の働きのなかでも、共感の切断が重要であり、人が何かを『悪い』と判断するときの起点となることが多い。
おじ木
@Ozi_Ki
どうしても不都合を被ってもらわなければならない人がいたとして、周囲の人がその状況を見て、あまりにも理不尽で見ていてしんどいから、その人は「悪い」から仕方がないんだよって、共感から切り離すこともあるんじゃないかな。
2012-01-23 04:03:53
おじ木
@Ozi_Ki
利害当事者が責任を果たさない場合、それは「悪い」ことである、という意見は説得力を持つ。また、利害に関与しなくとも独占的責任を持ちそれを果たさない場合もどうように悪さに説得力がある。
2012-01-23 04:24:32