デザイン教育って、教養でもあるべきだと思う。デザイナーになるための教育だけでなく。こんなこと言っちゃうとすぐリベラルアーツとか、そういうたいそうな話になるんだけど、そうではなく。もっと今、ここの、生のリアリティに密着したような、そういう教養だ。
2012-02-02 11:41:52先日のセンター試験だって、きちんとマニュアルがデザインされていたら防げたミスがほとんど。必要なところにデザインが届いていない。その事実すら、気付かれない。いや、システムとして、スルーされている。
2012-02-02 11:43:15巷にあふれる(つまり日々の暮らしに決定的に影響する)行政資料はいつまで経ってもデザインされない。新聞折り込み広告を、デザイナーは「お客さんとして」鑑賞する。児童相談所のサイトがデザインされてないことに、気付かない。ラブレターは、誰かに発注したら「デザイン」になるのだろうか。
2012-02-02 11:45:30デザイナーを目指さない学生は、デザインは自分から遠い世界のお話だと思っている。あるいはデザインってさぁって感じでスミに追いやる。一定の(頑なな)距離を保ちながら、「自分ができる」可能性と「他者に託す」可能性を追求しない。
2012-02-02 11:47:36相手に理解してもらいたいという切実な衝動や、思いやりや、道徳や、付加価値を主張しない道具の姿形とは、別の次元の話だと思っている。おしゃれさとかかっこよさとか。デザインは、必ずしもそうではないということに気付く機会がないまま、大学4年間を終えてしまう(職に就く)。
2012-02-02 11:49:12別にデザインって言葉を使わなくてもいいかもしれない。でも、経験上、そういう風だと、律儀さや論理性や分かりやすさに過度に回収される。ぼくらの生きる糧になっている、ぷっとした笑いやふわっとした高揚感と距離ができてしまう。生のリアリティから遠い一面的な「ノウハウ」になってしまう。
2012-02-02 11:53:38ぼくは、教育学部で「教育とコミュニケーションデザイン」という科目も一応掲げている。時間がなくて開講できてないんだけど…。それを掲げた本意は、そういうところにある。来年、教育情報工学(だったと思う)という講義を担当する。そこで少しでも教養としてのデザインに触れたい。(挑戦したい)
2012-02-02 11:57:19そうだ。来年は、教育学フィールドワークなる演習も担当するんだけど、その中では、小学校のウェブサイトを当事者とともにデザインしていくこと、デザインを考えていくことをやっていきたいと思っている(予定)。学校にも、いろんな意味でのデザインが足りてない。
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