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f_zebraさんの「エネルギー問題について思うところ」

知識がないのでうまく言えないんですけど、こういう冷静な(冷徹なとも言えるかも)が議論がたくさんあってこその原発問題だと思います。 色々な考え方や切り口があって、こうやってその色々を示してもらえるのは市民としてとてもありがたいです。 初めてのまとめなので、不手際がありましたらごめんなさい。 ご指摘くださいませ。
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Flying Zebra @f_zebra

エネルギー問題について思うところを。食糧自給率について色々な議論がありますが、自給率が低すぎることを問題視する意見の多くは、その理由を安全保障に求めているようです。食べることは人間の生存に直接関わることだけに、飽食の世代でも食べ物が無くなることへの不安は大きいのかもしれません。

2012-02-04 12:24:48
Flying Zebra @f_zebra

国民の食糧が国内で確保できるのは安心ではありますが、我が国ではエネルギー問題を無視して食糧自給率を語ることには実はほとんど意味がありません。と言うのは、現代の食糧生産は大量のエネルギー消費なくして成り立たず、日本はそのエネルギーの96%を輸入しているのです。

2012-02-04 12:26:32
Flying Zebra @f_zebra

なお、エネルギー消費のうち、最終的に電力として消費される割合は2008年度のデータで23.6%です。1970年度の12.7%からはほぼ倍増しており、電力化率は現在も増加の一途です。電力のうち原子力を「純国産エネルギー」として自給分に含めると、自給率は4%から18%に増えます。

2012-02-04 12:27:25
Flying Zebra @f_zebra

原子燃料の原料であるウランは全量を輸入しているのですが、エネルギー密度が桁外れに高いため備蓄が容易で、市場動向や紛争などの地政学リスクに左右されにくいことから資源依存度の低い「純国産エネルギー」として扱われることがあります。

2012-02-04 12:28:09
Flying Zebra @f_zebra

エネルギー密度とは、ある体積なり重量なりのエネルギー源からどれだけのエネルギーを取り出せるかという値です。大型原子力発電所が1年間運転するのに必要な原子燃料は約35tですが、同じ電力を石油火力で発電すると200万kL、石炭火力なら300万tの燃料を必要とします。

2012-02-04 12:35:53
Flying Zebra @f_zebra

さらに、今や幻となりつつありますが、核燃料サイクルが完成した暁には国内で新たな再処理燃料を産出できるようになるという願いも込めての「純国産エネルギー」だったのでしょう。

2012-02-04 12:37:12
Flying Zebra @f_zebra

一次エネルギー(電力は二次エネルギー)供給に占める化石燃料の依存度は83%です。主要国ではフランスが51%と際立って低く、これは原子力発電の比率が高いことによるものでしょう。電力以外での一次エネルギーはほぼ全てが化石燃料ということになります。

2012-02-04 12:37:51
Flying Zebra @f_zebra

エネルギーの輸入が完全に止まれば、食糧の生産はできず、調理もできず、交通機関は動かず、あらゆるライフラインが止まり、短期間のうちに社会は破綻するでしょう。エネルギーを将来に渡って安定的に確保(日本の場合はイコール輸入)することは、日本が生存していく上での必須条件です。

2012-02-04 12:39:34
Flying Zebra @f_zebra

日本にとって、エネルギーに関する最大のリスクは供給リスクです。市場や国際情勢に左右されるリスクを減らす特効薬的な方策はなく、基本的にはリスクを分散することしかできません。特定のエネルギー源、供給先、輸送ルートなどに依存せず、なるべく多様な調達先を確保しておく必要があります。

2012-02-04 12:41:32
Flying Zebra @f_zebra

今のところ、日本の社会は時期はともかくとして、いずれは原子力から脱却するというのがコンセンサスとなりつつあるように感じます。それが果たして「安全な社会」に貢献するのかどうか、少し慎重に考えてみたいと思います。

2012-02-04 12:43:03
Flying Zebra @f_zebra

供給リスクのような社会的要因を除いて、それぞれのエネルギー源にどういった固有のリスクがあり、その程度がどれほどなのかをなるべく定量的に評価してみます。輸送用燃料のように化石燃料以外での代替が難しいものは除き、ここでは発電用エネルギーに絞って考察します。

2012-02-04 12:44:01
Flying Zebra @f_zebra

まず、化石燃料やウランなどの地下資源は採掘、輸送、加工、貯蔵の各段階で事故のリスクがあります。水力、風力、太陽光などの自然エネルギーにはそれらがありませんが、施設の建設、運用中にはやはり事故の可能性があります。これらは地下資源でも同様です。

2012-02-04 12:45:42
Flying Zebra @f_zebra

リスクの定量評価には様々な方法がありますが、ここではそれぞれの発電用エネルギー利用に起因する死者の数で評価します。単位発電量(TWh:テラワットアワー)当たりの死者数の比較です。データはこちらから引用しました。http://t.co/inBOLuGD

2012-02-04 12:47:48
Flying Zebra @f_zebra

お断りですが、引用したのは個人のブログで、元の情報源、算定根拠などは不明です。アメリカ政府または国際機関のデータを利用しているようですが、トレースできませんでした。データの信憑性についての担保がないことを予めご理解下さい。http://t.co/inBOLuGD

2012-02-04 12:48:25
Flying Zebra @f_zebra

詳しくはリンク先を見て頂くとして、(死者数/TWh)を上位から並べてみます。石炭(161)、石油(36)、バイオマス(12)、泥炭(12)、天然ガス(4)、太陽光(0.44)、風力(0.15)、水力(0.10)、原子力(0.04)となります。

2012-02-04 12:50:19
Flying Zebra @f_zebra

石炭の死者が多いのは大気汚染が大きな原因で、特に中国が酷く、中国だけだと278人/TWhです。逆にアメリカだけなら15人と、石油の半分以下です。日本のデータはありませんが、排出基準が厳しいので更に少ないと思われます。

2012-02-04 12:51:07
Flying Zebra @f_zebra

太陽光は小規模な屋根上タイプがメインで、メンテナンス時の転落事故が多いとのことです。メンテナンスフリーのタイプが普及すれば「安全性」が高まるだろうとコメントされています。

2012-02-04 12:51:44
Flying Zebra @f_zebra

補足すると、屋根からの転落事故のような決して多いとは言えない死者数が影響するのは、分母である太陽光の発電量がまだまだ圧倒的に少ないからです。

2012-02-04 12:54:15
Flying Zebra @f_zebra

水力はかなり「安全」と言えそうですが、このデータは中国の板橋ダム決壊事故(17,000人死亡)の死者数を含めていません。これを含めると1.4人/TWhとなりますが、それでも天然ガスの1/3程度です。

2012-02-04 12:55:43
Flying Zebra @f_zebra

原子力が非常に少ないのは、発電量が大きい割に死者がほぼチェルノブイリ事故に限られるためです。チェルノブイリ事故の死者数は諸説ありますが、ここでは国連最終レポートの4000人という数字を採用しているようです。

2012-02-04 12:56:29
Flying Zebra @f_zebra

死者の数だけで安全性が評価できるわけではありませんが、人の健康に与える影響を定量的に比較するには他になかなか使える指標がありません。毒物の有害性評価などでも、半数致死率などで評価されています。

2012-02-04 12:57:32
Flying Zebra @f_zebra

ここで言いたいのは、原子力は安全だからどんどん推進しようということではありません。先に断った通り、このデータだけで判断するのは危険です。更に、エネルギー源の選択には供給リスク、言い換えれば調達性も考慮する必要があります。

2012-02-04 12:58:45
Flying Zebra @f_zebra

ちなみに、調達性の大きな要因となるコストについては政府や電力会社の試算はあまり当てになりません。市場動向や国際情勢で価格が大きく変動するのは化石燃料も同じですが、原子力に関するコストは政治的な要素が大きく、今後の政治判断次第でどうにでも変わり得ます。

2012-02-04 12:59:26
buvery @buvery

このリスクを死者で評価するのは止めた方がよいですね。原発事故は死者数は少ない。それは、初期のプルームが来ても逃げたり、屋内退避できるからです。ただし、社会的な損失は巨大なので、例えば経済損失で評価した方が良い。RT @f_zebra: (死者数/TWh)原子力(0.04)

2012-02-04 12:59:50
Flying Zebra @f_zebra

特に中間貯蔵、最終処分などのいわゆるバックエンド費用については、未だ具体的な計画が一つも無いにも関わらず非常に楽観的なシナリオに基づいてコストを算出しています。今後しばらくは天然ガスの供給過多が続くこともあり、原子力のコスト競争力はそれほど高くないと思います。

2012-02-04 13:00:45
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コメント

Satoru Inoue @Inoueian 2012年2月5日
大事な話なのですが毎度思うのは、「理系」の人達(自分含む)は経済学の人との繋がりをもっと持った方がいいのではないかな、ということです。事故や公害などの「外部性」と、それをどうコストに反映させるか、という話は経済学では前々から議論されている話だと思うので、その辺を聞ける相手はいないのかな、と。
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Satoru Inoue @Inoueian 2012年2月5日
あと電力会社は(建前上は)民間企業ですし、国がエネルギー問題にどういう関与をするのが適切/有効なのか、というのも経済学の方向から論点が出てくるとなお良いと思います。(人任せですいません)
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@1F9kLsF 2012年3月7日
f_zebraさんの最後の一文が結論であり正解なんでしょうけどそれができないから安易なポピュリズムに走るんだよねどこの民主主義国も。それが出来た国家はおそらく本当の意味で世界最強の国家になれると思うよ。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月24日
buberyさんの言われる通り「経済損失」を基準のものを見ることが一つは大切かと思います。しかし農林付表被害の現場などを回っていると「損失を小さく見せようと補償を値切る原因者の不誠実」にぶち当たります。これも「原発のリスク」でしょう。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月24日
技術としての原子力発電のメリット・デメリットだけでなく、「現実社会の中での事故の影響と後始末の不誠実さ」を見たとき、ゼブラさん言われるほど原発が理性的に考えて妥当な存在と言い切れるかは疑問です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月25日
事故の補償が遅々として進まない中、「原因者の不誠実」と感じてしまうのは致し方ないと思いますし、実際に不誠実な面もあると思います。それでも背景事情を考えず理由を不誠実だけに求めるのは建設的でないと思います。以下にまとめて頂いた内容をつぶやいたのは、shinさんのツイートを拝見したのがきっかけです。 http://togetter.com/li/504601
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月26日
f_zebra 拝見しました。電力安定供給における専門業者の存在意義などはわからなくはありません。だからと言って、資金的余裕や法律知識な圧倒的に優位な大企業が相対的弱者たる個人を追い込んで良い理由にはなりません。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月26日
f_zebra ゼブラさんの専門的知識にはこれまで何でも助けていただき、敬意を持っております。しかし被害の現場において「合意済みの賠償金支払いが理由なく遅らされ運転資金の枯渇に追い込まれる個人」や「風評被害に対応するための計測を自腹で行環ざるを得ない状況にある個人」を見るにつけ、それを不誠実と呼ばずして何と呼ぶのか私にはわかりません
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月26日
f_zebra ゼブラさんのご意見はマクロには理解できるのです。ただそうした「鳥の目目線」からのご意見のみならず、現場での現実という「虫の目線」から見たとき同じことが簡単に言い切れるかをお考えいただきたいのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月26日
f_zebra ご紹介いただいたまとめには「優先順位」というお言葉がありました。全く同感です。まさに私が問題にしているのは「優先的に救済されるべき、実害を被っている人たちを放置」したまま原発を再稼働することが正しいと言い切れるのか、ということです
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月26日
f_zebra それは合理性の視点と正当性の視点とも言い換えられるかもしれません。被害の現場におけるえげつない現実は、おそらくゼブラさんがお考え奈なるよりもひどい状況です。僕にはこの「えげつなさ」を放置したままにすることはできません。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月26日
f_zebra それは私が別に優しいわけではなく、もしもいつか同じような状況が生じたときに自分が「えげつなさの中に放置されるのは嫌」だからです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月26日
f_zebra いつも言っていることですが私自身は「原発即時全面廃止」が可能とは思っていません。ただもしも再稼働をするとするならば、まずは少なくとも実害を被った方々への落とし前をつけてから筋ではないのだろうか思うのです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月26日
仰るとおり、私は補償の現場でどのようなえげつない現実があるのか把握していませんし、十分に理解もできていないでしょう。ただ、仮に東京電力が限りなく「誠実」だったとしても原資がなければ補償の実行は不可能です。現在の補償計画が柏崎刈羽の再稼働による収益の安定を前提としている以上、再稼働が遅れれば補償も遅れる、または縮小するのは避けようがありません。再稼働の遅れは被災者の方の意思や思いとは関係のないところで決まっていますが、結果として「実害を被っている人たち」の救済を更に遅らせています。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月26日
原子力利用の是非や長期的なエネルギー戦略がどうあるべきかについては色々な意見があり得ますし、それは実際に原子力災害の被害に遭われた方でも同じでしょう。また、起きてしまった事故のために現実に苦しみ続けている人たちが一刻も早く救済され、二度と戻らないものはあるにせよせめて十分な補償が為されるべきであることは当然で、これは原子力に対する是非とは無関係に誰しも同意するところでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月26日
仮に悪意をもった原子力マフィアのようなものが存在するとして、彼らにとって原子炉の再稼働は死活問題でしょうが、原子力災害の被災者に対する補償をケチることは何の得にもならないばかりか、確実に不利になります。湯水のごとく資金を注ぎ込み、札束で被災者の顔を叩いて有無を言わせず黙らせる方が明らかに得策でしょう。もちろんそんな権力や資金力を備えた原子力マフィアなんて存在しませんが。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月26日
ただでさえ滞りがちな補償を少しでも前に進めるためには、無い袖を振ることを強要するのではなく、実現可能な対策を考え、社会がそれを受容しなければなりません。東電に頼らないのであれば、国民が全体で負担を受け入れる覚悟が必要です。どちらにせよ、早く決めないと補償は遅れるばかりです。補償については思いを同じくしているはずの人たちが、別のところでいがみ合うことで結論が出ず誰もが損をするというのは、どうにも歯痒いものです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra有難うございます。 基本的にはおっしゃることには反対ではないのです。ゼブラさんはご覧になったかわかりませんが、たしか平川秀幸先生の呟きで原発にかかわる議論がかみ合わない理由として「合理性」と「正当性」の問題が混在したままだからだというものがありました。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra ゼブラさんのご発言は「合理性」の面からいえばおおむね同意できるのです。ただし平川先生のたとえ話を援用すれば、以下のように聞こえます。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra 満員電車で足を踏んだが、込み過ぎでどけられない状況です。踏んだ側が「確かにあなたの足を踏んでいる。だが怪我をするほどじゃないし、どけられない。そもそも満員電車の存在がなければ東京圏の経済は成り立たない。だから我慢しなさい」というい感じです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra 踏まれた側からすれば「まず足をどける努力をしろ。どけられないにしても踏んだことを謝罪したうえで、どけられないような状況を改善するための取り組みを一緒にやろうというのが筋」だろうと思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra 正当性の面で「被害者の納得を得るための努力」を加害者サイドは十分になさっていますかという点です。補償の優先順位をつけるのはやむを得ないことですが、優先順位が下になる側の方には誠意を尽くして説明し、面積してもらうの筋ではないのでしょうか。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra 少なくとも「原資がないから無い袖は振れない。補償するためには稼がなきゃならんからいままでどおりの活動を認めろ。それでも全額賠償は無理だから優先順位の低いものは我慢しろ」というのは原因者サイドの態度ではないのではないかと思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra ゼブラさんが原因者ではないことは重々承知しております。これは東電さんの現場での態度ということです
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra また、これまでも現場で起きていることとして呟いた事実の中には「合意されたはずの賠償の払い込みの遅れ」など純粋に原因者の不誠実と判断できることも多々あります。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra 私自身、事故がなかった状態に戻すことが不可能なことは存じておりますし、多くの被災地域の住民の皆様もそんなことはわかっています。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra 原因者サイドが一度は被害者再度同じ地平に立ち、その苦しみを共有し、その上で合理的判断からできること出来ないことをともに峻別し、できないことに関して免責を得るという手順を踏まない限り、現場の怒りは蓄積されていくでしょう
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra 少なくとも被災サイドが「愚かで、物事の全体像を見るかとができないから文句をいっている」ととらえて欲しくはないのです。そういう方がいないとは言いません。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra ただそういう方はやはり少数であると思います。多くの場合は、合理的な判断として無理なことはわからんではないけれど、理不尽な目にあわされているのは自分たちなのに何故加害サイドが上から目線で補償のあり方などを押し付けてくるのかという純粋な疑問と怒りなのだと思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra 私が問いたいのは「正当性を回復・担保しうる和解のプロセス」の重要性です。得られる結論はゼブラさんのご提案とそう大きく異なるものではないのかもしれません。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra ただし、たとえそうだとしても結論を原因者・加害者サイドが押し付けることは許されるべきではないのです。ICRPの提言に住民参加のプロセスが含まれている理由はここにもあると私自身は考えています。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
先に述べた通り私は補償の現場を知りませんし、東電の態度がどのようなものかも把握していませんが、交渉に当たる被災者にとって誠意を感じられないものであることは想像に難くありません。一方、東電の経営状況の実情を鑑みるに、東電側の担当者を責めても仕方がない、という感想も変わりません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
なお、東電の担当者が「無いものは払えない、あなたの優先順位は低いので我慢して下さい」などと言うことは立場上も考えにくく、ひたすら「最大限の努力」を約束し、「ご理解とご協力」を求めるしか方法はないはずで、実際にもそうだと思います。ただし、受け取る側がどう受け取るかはまた別問題でしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
仮に私が東電側で補償の交渉をする立場に置かれた場合を想像してみると、どうすれば苦しみを共有し、どう説明すればできないことに関して理解と免責を得られるのか、正直なところ思い付きません。同じ人間ですからもちろん苦しみは理解できますし、それ故に提示できる内容が到底納得できるものではないことも痛いほど理解できると思うのです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
現実として今目の前にいる人が納得できる補償を約束すれば他の被災者を切り捨てざるを得ず、提示できる内容は変えられません。自分でも納得できないと分かっている内容を、どう説明すれば理解を得られるでしょうか。何を言えば、何をすれば、相手は「誠意」を感じてくれるでしょうか。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
土下座しようが、泣いてお詫びしようが、極端な話死んでお詫びしようが、提示できる内容では納得できないことは担当者自身も理解しているでしょう。結局、職務をこなすには極力感情を交えず、淡々と理由を説明し、取って付けたように「深くお詫び」するしかないのではないでしょうか。それが「上から目線」と感じられるのかもしれません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
言い方や態度だけでも少しは受け取り方が変わるというのも事実かも知れず、東電の対応の仕方に改善の余地があるのもおそらくその通りでしょう。ただ、補償交渉はあくまでも限られたパイの再配分の方法を決めているに過ぎず、パイ全体を増やさない限り実際の補償が今よりマシになることはありません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
なお、結論を原因者・加害者サイドが「押しつける」ことにも抵抗があるようですが、逆に被災者を個人も法人も一纏めにして、「原資はこれだけだからあとは被災者同士で話し合って配分を決めて下さい」とやってもうまく行くとは思えません。第三者が決めれば良いのかもしれませんが、「押しつけられた」感覚はあまり変わらないのではないでしょうか。東電としては膨大な作業を第三者がやってくれるのなら願ったり叶ったりでしょうが。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
補償の原資を確保するのは東電だけの努力でどうにかなるものではなく、ましてや補償交渉の担当者の力の及ぶ話ではありません。原資の拡充を阻んでいるのが何かを考えれば、それは広い概念の「社会」ということになります。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
政治や世論といったものをふくめた「社会」が、例えば電気料金の大幅な値上げを受け入れる、または税金での補填を受け入れる、あるいは原子力発電所の再起動を受け入れて電力会社の体力改善を図るなどしない限り、問題は改善しないでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
私は被災者の方々が「愚かで、物事の全体像を見ることができない」とは全く思っていませんが、安全なところにいる「社会」の現状は残念ながら「愚か」の誹りを免れないと感じています。メディア等の論調を見ても、口では復興の重要性を説きながら、不安や不満を煽ることばかりに腐心して現実的な改善策を考えることも無く、邪魔ばかりしているように感じられます。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
そういう方が実際におられるかどうかは知りませんが、もし被災者の中に、値上げでも原発再稼働でも何でもいいからさっさとして、とにかく補償を充実し、確実かつ継続的に実行して欲しい、と願う人がいたとして、現在の社会でそのような意見が受け入れられるでしょうか。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
そうした意見に対し、心ない辛辣なバッシングが起こることは想像に難くありません。個人の被害を速やかに回復するための現実的な願いが「正義」を振りかざした社会に封殺されているのだとしたら、闘うべき相手は本当に東電なのでしょうか。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra 補償の配分方法あるいは補償の決定に改善の余地がないとは思いませんが、そのあたりはとりあえずおきましょう。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra また補償の担当者の方は人間として心痛めているであろうことは私も同意します。ただ、むしろ問題は「人として心を痛めなければならないような事」を社員にに行わせるようなシステムが本当にリーズナブルなのかということです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra 同様にゼブラさんは原発の利用がいかに合理的・理性的であるかを常に説かれますが、賠償しきれない状況をつくりだし、補償のために莫大な国民負担を必要とするか・被害者の切り捨てを必要とするようなシステムが理性的・合理的に考えて最も適切とするのは論理破たんではないのでしょうか?
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra 結局のところ日本の経済・社会を人質に、これまで通りのあり方を認めるようにと理由をつけているようにも見えてしまいます
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra 繰り返しになりますが即時全面停止は不合理だとしても、放射性廃棄物の処分問題も加えて考えれば中長期的には原子力の推進が手放しに合理的とは考えられないと申し上げたつもりです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra さらに言えば普通の経済活動であれば、自社が支払いきれない負債を抱えれば倒産し、株主・役員・取引先など皆がある種の責任をとる訳ですが、原子力発電というシステムは「too big too fail」としての東電という会社、原発事故という問題に救われて存続している事を考えれば、担当者個人の誠実さの問題ではなく、会社あるいはシステム全体の誠実さが問われるのは当然ではないのでしょうか
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月27日
f_zebra「 補償の原資を確保するのは東電だけの努力でどうにかなるものではなく」を前提にする限り、今回も、あってはならない次回も、被害は「優先順位の低い社会的弱者」に集中せざるを得ません。僕にはそれを前提に原発利用が理性的・合理的というのはやはりおかしいと思うのです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
発生しうる被害が大きいものは使うべきではない、という考えだと凡そ科学技術のほとんどは利用すべきではなくなってしまいます。想定される(未来のことは分からないので、あくまでも「想定」です)被害の大きさとその発生頻度に対し、便益の方が大きいと判断され、実証されてきた技術が生き残っているのです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
実績で見れば、少なくとも関連する「人の死亡」については発電方式として、単位発電量あたりの死者数はチェルノブイリや福島など複数の過酷事故を経てなお、原子力発電は他のほとんどの発電方式よりも圧倒的に少ないというのはまとめ本文の通りです。経済損失で比較するにしても、「命の単価」をかなり低く抑えない限り順位を入れ換えるのは難しいでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
チェルノブイリの事故で得られた大きな教訓の一つは、原子力災害では放射線そのものによる被害よりも、社会的な影響の方が遙かに大きな被害をもたらすという事でした。これはつまり、事故の内容は同じでもその後の社会の対応で被害規模が大きく左右されるということでもあります。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
福島では、初期の内部被曝についてはチェルノブイリの教訓が活かされ、迅速な摂取制限と流通制限によって非常に低く抑えることに成功しました。しかし時間的余裕のあったその後の規制、さらに避難指示やその解除、除染の方針については放射線リスクに偏重した非合理的なものとなってしまいました。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
避難時の混乱、長期化する避難生活でのストレス、地域社会の崩壊、農地の荒廃などにより、多くの方が亡くなり、現在も苦しんでいます。放射線リスクに対し、例えば事故後1年間で20mSv、その後段階的に減らすといった現実的な目標に従っていれば、実質的な「被害」はかなりの部分で限定することができたでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
事故後に合理的な対策が取れず、いたずらに被害を拡大した原因の一つは事前の備えが不十分であったためで、この点については政府や自治体に加え、事業者の東電にも大きな責任があります。しかしその後から今に至る無用な混乱については、事業者にのみその責任を求め、自らを含む「社会」をその外に置いて批判するというのは無責任に過ぎると思います。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
事故の補償が十分に行われず、被災者も事業者の担当者も「心を痛めなければならない」状況を作り出しているのは原子力発電というシステムなのでしょうか。火山噴火や水害などの自然災害、あるいは伝染病などの疾病対策では同様の問題は起きないのでしょうか。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
「想定外」は産業事故だけのものではなく、自然災害、テロ、戦争など、直接の原因者を特定できなかったり、できても補償を求めることが現実的に不可能で、それでも国民全体が負担して復興や被災者の救済をしなければならない事態はあり得ます。その時の社会が誰か「悪者」を仕立てて責任を押しつけ、現実的な解決策を考えようとしない社会であれば、被災者は救済されるでしょうか。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
改めて言うまでもありませんが、事故の補償を阻んでいるのは東電でも原子力というシステムでもなく、我々一人一人が何らかの負担を受け入れない限り補償も復興も進まないという現実から目を逸らし、考える事から逃げ続けている「社会」である、というのが私の認識です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
原子力の是非やエネルギー戦略については様々な考えがあって然るべきで、手放しで賞賛するのも頑なに拒むのも褒められた態度ではありません。日本という国の将来、我々の子孫の安全と豊かさを大きく左右する問題なので、合理的にじっくり考えていかなければならないと思います。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
私個人を含め、現時点では原子力の利用を推進すべきと考えている人の多くにとって、目的はあくまでも将来に渡る安全で安定したエネルギー利用であって、原子力はその手段に過ぎません。原子力を質、量共に代替し得るエネルギー源が利用できるようになれば、原子力に固執する理由は何もありません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
日本の経済・社会を「人質」に取るような理論には抵抗があるかもしれませんが、逆にそこを犠牲にして、「悪者」を虐める行為に一体何の正当性があるのでしょうか。経済が弱まり、社会が不安定化すれば最も影響を受けるのは社会的弱者です。弱者を守るには、社会を底上げするしかないはずです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
補償の「優先順位」についても誤解があるようなのです。私の意図は、発言力の弱い者は順位が低いという意味ではありません。リソースが不足した場合により大きな影響のあるところに優先的にリソースを割り振る、という意味での優先順位です。尤も、順位付けが正しく為されているかどうかは別問題です。誰がどう順位を付けても、絶対量が足りない限り正解などあり得ませんが。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
なお、東電がその影響の大きさから倒産させることが社会的に許容できないのは事実ですが、株主、役員、社員、取引先が何の責任も取らずのうのうと生きながらえていると思っておられるのであれば、その認識は間違いだと言わざるを得ません。社員の多くにとって、個人的な利害だけであればこの状況で職に留まるメリットは大きくありません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
誇りを奪われ、社会から憎まれ、収入は激減し、将来の展望もなく、外からは魅力的なオファーも少なくない中、それでも家族に負担を掛けながら困難な職に留まるのは、偏にインフラを守る電力マンとしての責任感によるものです。私たちの安全な生活が彼らの自己犠牲的な献身なしには維持し得ないものであることは忘れて頂きたくありません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月27日
東電の社員の給料がどれくらいなのか具体的には知りませんが、減ったとは言え平均的な社員が被災者の多くよりも高い収入を得ているのは間違いないでしょう。その収入は彼らの仕事、担っている責任に対して不当に高いのでしょうか。もっと下げても、社会は問題なく回るでしょうか。私はそうは思いません。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra 「社会」のせいだといわれるなら原発を推進したい方がなされるべきは原発の得失を余すことなく訴えて「社会」に負担を受け入れるよう説得すべきであって、相対的弱者たる被災者に負担のすべてを押し付けて「社会が受け入れないせいだ」と責任を転嫁すべきではないのではないかと思います。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra ゼブラさんは、原発ありきの「経済的低負担」と原発なし・あるいは保障による「経済的高負担」社会の二者択一を常に提起されますが、私にはそのような想定がすでに極端すぎるように思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra 岡田ぱみゅぱみゅさんのこちらhttp://okapamyujustice.blog.fc2.com/blog-entry-6.htmlの議論のように、もう少し中庸な道はあろうと思うのです。私自身何度も申し上げている通り即時全面撤廃が可能とは思っておりません。ただゼブランさんの議論は活断層の議論も含め、全てかつての状態にするのがベストというスタンスにお見受けします
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra また東電はじめ事故の収束あるいは電力の安定供給のために働いておられる「従業員」のみなさんおご苦労には私も深く感謝するものであり、感情的に待遇を下げろという議論にくみするものではありません
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra しかしながら株主・役員・取引先企業など通常の会社であれば当然、市場経済におけるアクターとして「自己責任で責任を負うべきだった主体」が救済され、直接的利害関係者でない被災者が救済されていない事実に対する指摘のカウンターとして、「従業員が頑張っている」のにという言葉で反論されるのは事実の切り分け方として誤りがあるように思います。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra 「社会が受けいれていないのが悪い」という点にもうなずける点はありますが「一億総ざんげ」を提起することは被害者側が言うならばともかく、原発推進者側からの発言としては適せtではないでしょう。ある事象に対する責任の度合いは当然、コミットの深さに応じて違うのですから社会が悪いですまされない関係者も当然いるし、それは原発から経済的利益を得てきた人には当然あてはまると思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra 「優先順位はリソースの不足が大きな影響をあたえるところから先に」ということを僕が誤解しているという事ですが、それも誤解ではなく、視点の違いだと思うのです。自分自身の生活が成り立たなくなる危機にある農林業者からすれば「大きな影響」です。「何が大きな影響」で「誰を助けるかことが社会的に大事か」をきめるステージに社会的に弱い人は常に立たせてもらえません。その上で、その決定ステージにおいて原因者の方が大きな影響を持っていることをさして、発言権について述べています。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra 近年の社会的意思決手をめぐる議論やなにが「公共性が高いのか」をめぐる議論に触れたとき、社会的立場の弱い人たちがその決定過程から排除される傾向が高いことはこれまでも議論されてきました。今回もそれは確実に生じており、私たちは少しでもそうした弊害を取り除けるよう努めるべきではないかと思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra 先に申しあげているとおり大事なことは「正当性を回復・担保しうる和解のプロセス」です。そこで得られる結論はzebraさんのご主張とそう大きく隔たることはないだろうとも申し上げています
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra しかし原因者サイドがそうしたプロセスを踏むことを不可能と断じ、自らが公共背を判断する権利を持った主体としてふるまい、相対的弱者とのコミュニケーションを拒み、意思決定ステージから排除し続ける限り、その決定は決して正当性を持ちえません
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra ゼブラさんのように聡明な原発関係者の方々にはぜひともそのことに思いをいたし、原発・事故補償を巡る議論が、すこしでも納得可能なものになるようご協力願いたいと考えています。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra 推進も反対も原理主義的な立場から相手の言うことを否定するだけでは何も生み出しません。僕自身何度となくゼブラさんと議論させて頂き(ご迷惑をおかけしております<(_ _)>)、少しずつ考えを深めることができています。かつての在り様がすべて正しいわけでなく、現状の事故対応が最善とも言わず、さりとて原発の即時全面廃止や被害の全面普及や全面補償という非現実木前提にも立たない何かを生み出す社会的仕組みを創りだせないものかと思うのです
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月28日
f_zebra 議論の途中ではありますが、貴重なお時間を割いてお付き合いいただいていますことに心より御礼申し上げます。有難うございます。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月29日
私が「社会の責任」を言う場合、当然ながら私自身をその中に含んでいます。事故の原因者(という言い方には「加害者」同様に違和感を禁じ得ませんが)の東電が悪いのは自分たちではなく「社会」だ、などと言うことは不適切ですし、実際にあり得ないでしょう。東電の社員だけでなく、株主、経営者、役員が「救済」されているとは思いませんが、それについて本人たちが怨み節を公にすることもないでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月29日
起きてしまった事故の補償が進まない事に対する「責任」と、今後のエネルギー政策に対してどういった考えを持つかという事は別問題であり、分離すべきだと思います。原子力についてはこれまでも指摘され続けながら顧みられなかった問題、今回新たに露見した問題もあり、かつての状態がベストでなかったことは明らかであり、それを改善するのは私自身を含め原子力に身を置く者の務めであり責任です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月29日
原子力を今後も推進しようとする者、あるいは原子力産業に関わる者は事故の補償やその不履行についても原子力ムラの外に責任を求めることは一切まかりならぬ、というご意見ではないと思いますが、一昨年頃は私のような者でも考えを公にすることは許されないという空気を強く感じました。今なお、関係者の多くは口を噤んだままです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月29日
補償内容の決定については現状に問題があることは同意しますが、具体的にどうすれば改善できるのかについて私は正直なところ、分かりません。相対的弱者である被災者とのコミュニケーションを補償側が拒むことは少なくとも形式的にはあり得ないと思いますが、実際にどうすれば正当性を持った意思決定ができるのか。何度も考えてきましたが、未だに答えは思い付きません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月29日
限られた枠の中で正当性を模索するより、枠そのものを拡げるべきだというのは私なりの一つの「答え」ではありますが、それを実現するため社会の一員として具体的に何をするべきなのかは分からないままです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月29日
一方、今後のエネルギー政策に関しては自分なりにまとまった意見があり、特に専門分野である原子力については人並み以上に勉強し、熟考しているつもりです。とは言え、事故の際の影響評価などではshinさんのような方と議論させて頂く中で自分の考えの至らない所に気付かせてもらうことも多々あり、この点は私も感謝しております。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月29日
専門分野であっても、私個人がその職責の中で実際にできることは限られています。日本のエネルギー政策に影響を及ぼすことなどできようはずもありません。日本の社会の将来について考える時、長くても定年するまでしか関わりの無い会社や「業界」の行く末は比較的どうでもいいのです。(創業者とかなら別でしょうが)
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月29日
私にも子供がいますが、自分の子供を含む子供たちやその子孫が住む社会は自分がリタイアした後もずっと続きます。社会全体の「公共の利益」のために社会がどうあるべきかはしばしば意見が対立しますが、50年後、100年後の社会を考えるのに自分が今現在関わっている会社なり業界なりの利益に基づいて考える人はあまりいないと思うのです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月29日
私は、少なくとも今後数十年間の短期スパンにおいては原子力を積極利用すべきと考えていますが、それは大抵は原子力業界と何の関わりも持たずに暮らしていくであろう子供たちやその子孫が豊かに安全に暮らせる社会を残したいと願うからであって、その想いは原子力の利用に反対する人も同じでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年5月29日
意見が対立する相手を敵視して打ち負かそうとするのではなく、究極の目的は共有していることを確認した上で、意見の相違は認めつつも事実に対する認識の差を埋めて妥協点を探る。そうした議論ができれば建設的だと思いますが、具体的にどうすれば良いのかは難しい問題です。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月31日
f_zebra ご返信が遅くなりしました。丁寧なご返答に感謝申し上げます。その上で、もう少しだけお付き合いいただければ幸いです
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月31日
f_zebra 第一に原発を必要とされゼブラさんのお立場を一旦、受け入れたうえでの質問をさせた頂きます。今回の意見交換以外の部分を含めたゼブラさんの御立場は、震災後十分な対策が取られたので絶対とは言えないものの、確率的には無視していいレベルまでリスクは下がった(あるいは近い未来に下がる)ので、事故前の計画(再処理を含め)通りにやって行くのがベストというお考えとお見受けいたしましたが、この点誤解はないでしょうか?
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月31日
f_zebra 以上を前提とした場合において「原発の即時全面停止を求めないい立場」からでもいくつかの疑問が残ります。そこから見出される疑問の第二はリスクが量の概念であるとするならば、たとえ対策をとったとしてもリスクの高低は原発ごとに存在し、その高低に基づいて社会的に稼働するもの・廃止するものが再度判断されるべきで、震災前の計画をそのまま進めるのが合理的とは思えないという点です。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月31日
f_zebra第三に震災前の専門家の想定を超えた事故が起きた以上再稼働が必要だとしてもより厳しい基準が必須と思います。現在の原子力規制委はその方向で努めを果たしているように一般人からは見えますが、ゼブラさんは一貫して活断層問題のように規制委の在り方を批判なさいます。テクニカルに間違っているというお答は十分に予想できますが、それを別としても原発のどれを再稼働するかを判断するのは「専門家だけでなく、異なる価値観を持つ人々の判断」を加味して行うべきと僕は思うのですがいかがでしょうか。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月31日
f_zebra震災以前の計画に戻ることをよしとされているとお見受けしたのは斗ヶ沢さんとの再処理施設に関するやり取りがダメ押しでした。そこから考え付く第4の疑問は再処理にかかわるものです。再処理は排気物の「量」を増やしてしまわざる得ないものであり、ただでさえ廃棄物処分の先行きが不透明な状況で推奨することが合理的とは思えません。日本学術会議ですら廃棄物の最終地下処分の困難さを認めざるを得ずにいます。そう考えれば再処理の断念、中長期的には原発の縮小は合理的な判断と燃えるのですがいかがでしょうか。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月31日
f_zebra 補償の問題に関わって「分配の正当性より枠の拡大を」とのご意見は解ります。ただその推進はどこかで社会が耐え切れなくなることもゼブラさんの言及の通りです。だからこそ限られた原資をいかに納得のいくように配分する仕組みを作るかが同時に検討されるべきと思うのです。僕自身具体的な方法を今すぐ提示はできませんが、そうした考え方が共有されれば方法は後からでもよいと思うのです。今回の事故で傷ついた人が立ち上がりやすい補償や支援についての原則をもう一度皆で考えることが大事だと思うのです
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年5月31日
f_zebra ゼブラさんの言われる通り、難しい問題が山積しています。だからこそ解り易いけれど誰かを泣かせる解決法に飛びつくことなく、泥臭いけれど、少しでもましな方法を追及していく必要があるのではないでしょうか
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
原子力を利用することの「リスク」について、改めて私の考えを整理してみたいと思います。誤解のないよう始めに断っておくと、私がリスクについて「気にしなくてよい」、場合によっては「気にしない方がよい」というのはそのリスクが十分に小さいだけでなく、その大小に自分の力が及ばない場合です。現実に起きてしまった福島の事故による放射線の健康影響などがこれにあたるでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
一方、社会の仕組みを考える場合にはどれほど小さなリスクも決して無視すべきではなく、ただしその個別の大小だけで判断せず、あくまでも他のリスクとの相対的な比較で考えるべきだというのが私の考えです。エネルギー問題で言えば、まず十分な供給量を確保するべきか否かという選択があります。この場合、エネルギーの確保には何らかのリスクが付きものですが、そのリスクと供給不足のリスクを天秤に架けることになります。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
人の価値観は色々ありますが、より多くの人が健康で安全に暮らせる社会を目指すのであれば、潤沢なエネルギー供給による経済的に豊かで活気のある社会だからこそ実現できる衛生的な生活環境、整った医療体制、肉体的負担の少ない労働環境などによるメリットは、エネルギーを確保するためのリスクによるデメリットを大きく上回るでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
十分なエネルギー供給を確保することにしたとして、ではそのエネルギーを何から得るのかという選択があります。2年前まで、電力については日本では3割程度を原子力で得ていました。これを代替できるのは現時点では火力にほぼ限られるので、原子力と火力のリスクを比較することになります。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
原子力には発生頻度は小さいものの甚大な過酷事故のリスクがあり、より発生頻度の高いマイナートラブルのリスクもあります。更に、不確実性の高いリスクとして廃棄物の最終処分方法について未だ実績がなく、政治的コストがどの程度まで膨らむのかを正確に推定することも困難です。ただし、ある程度の幅を持って、根拠に基づいた試算を行うことは可能です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
一方の火力については、発電段階の事故で原子力災害のような甚大な被害を及ぼすことは考えにくいでしょう。ただし、採掘、輸送段階では広大なエリアの海洋環境に甚大な被害をもたらす事故はこれまで何度も起きており、今後も一定のリスクは見込まざるを得ません。同じエネルギーを得るのに原子力に比べ大量の燃料を必要とするため、その分採掘・輸送段階での事故の発生頻度は高くなります。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
更に、化石燃料を燃やせば否応なくCO2が排出されます。世界中で現在のペースで排出量が増え続ければ産業革命以前に比べ平均気温ベースで6℃上昇のシナリオが現実味を帯びてきます。そうなればもはや加速度的な気温上昇を止めることはできず、ペルム紀末に起きたような生命の大量絶滅が引き起こされるかもしれません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
気候変動によるリスクは不確実性が高過ぎるため通常は計算に入れていませんが、リスクがないわけでも、小さいわけでもありません。その大きさを正確に計算することはできなくても、人類の力が及ぶ範囲を凌駕したリスクがあることはほぼ間違いありません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
つまり、原子力の利用を推進する理由はそのリスクの絶対値が小さいからではなく、別の手段、例えば化石燃料による火力発電で同じ量のエネルギーを得ることによるリスクに比べて「比較的マシ」だと思われるから、ということになります。定量的な比較についてはまとめ本文の通りです。我が国を取り巻く環境を考えたとき、長期的なエネルギー戦略の前提が福島事故の前後で結論を変えるほどに変化したとは思っていません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
個別の原子力プラントに固有のリスクについては、基本的に許容できるリスクのレベルは同じであるべきだと考えており、規制の考え方も震災以前からそうなっています。型式や立地条件によって他のプラントより特定のリスクが高いのであれば、事業者はコストを掛けてでも対策を施し、社会が要求する一定レベルの安全性を確保し、規制がそれを確認するというのがあるべき姿だと考えます。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
その上で、あるプラントをいつまで運転するのかは、規制要求を満たすために必要なコストと運転によって得られる収益のバランスからプラントの運転者が判断するべきだと考えます。社会は個別のプラントの特殊な事情を考慮する必要などなく、ただ求めるべき安全性、逆に言えば許容できるリスクのレベルを示せばよいのです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
ここで留意すべきは、許容リスクのレベルは原子力以外の発電方式のリスクレベルとバランスを取らなければならないということです。原子力だけに極端に低いレベルを要求し、その結果事業者がより安全性要求の低い発電方式に切り替えれば、社会全体のリスクは結局高くなってしまうからです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
ここで留意すべきは、許容リスクのレベルは原子力以外の発電方式のリスクレベルとバランスを取らなければならないということです。原子力だけに極端に低いレベルを要求し、その結果事業者がより安全性要求の低い発電方式に切り替えれば、社会全体のリスクは結局高くなってしまうからです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
同じ安全性のレベルを求めるにしても、大地震と津波によってこれまで想定していなかったシナリオで事故に至ることが明らかとなった現在、従来と同じ安全性(許容リスク)を確保するには従来通りの設備、対策では不十分なことは言うまでもありません。失敗した経験から学ぶことで、これまでも人類は技術を発展させてきたのです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
原子力災害を経験した私たちの社会がそれでも原子力の利用を続けるのであれば、従来より安全性を高めるという要求は当然であり、規制もより安全な規制とするべきです。ただし、「厳しい規制」と「安全な規制」は違います。私が現在の規制委員会を批判しているのは、彼らの方向性が厳しいだけで安全性には繋がっていないからです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
科学的合理性を欠いた厳しいだけの規制は安全性に寄与しないばかりか、却って安全性を損なう場合も多いということはこの場ではありませんがこれまでも再三主張してきました。安全に対する効果の薄い対策にリソースを浪費すれば、事業者の自主的な安全性向上が妨げられるというのがその理由です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
エネルギー戦略や社会の在り方について多様な価値観を加味するのは大切ですが、原子力プラントのリスク評価といったテクニカルな場面で非専門家による誤った評価は社会にとって百害あって一利なしです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月1日
(眠気に耐えられなくなってきたので続きはまた後日…)
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lhm4000cc @lhm4000cc 2013年6月1日
「科学的合理性を欠いた厳しいだけの規制」という断言がすでに客観性を欠いて見えます。現実に「科学的合理性に基づいての規制」があるので過酷事故などありえないと言われていながらの現状で、この断言は虚しいです。
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鴻吉(こうきち)Jr. @ken73ok 2013年6月1日
(原子力のように)他の電源システムもあるタイミングで突然稼働させられなくなる可能性がある。電源の多様性を追求したくなる理由の一つです。
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njamota @njamota 2013年6月2日
「科学的合理性を欠いた厳しいだけの規制」について、f_zebraさんが具体例を挙げているのが別のまとめ http://togetter.com/li/488696 にあります。また、「科学的合理性に基づいての規制」があっても過酷事故を完全に防ぐことはできないと思います。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
f_zebra 有難うございます。リスク論については僕も不十分ながら勉強しており、基本認識はゼブラさんと変わりません。また「健康で安全に暮らせる社会」にエネルギーが必要なことも同感です。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
f_zebra 火力発電に温暖化等のリスクが伴うことも事実と思います。ここまではゼブラさんの認識と全く変わりません
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
ここからが認識の違いなのですが、簡単なところから。エネルギー・エントロピー問題で有名な同志社大学の室田武先生は原子力の採掘から廃棄物処分までのライフサイクルアセスメントを行い、そのために使用される化石燃料(施設建設などを含む)・CO2排出量は長期には発電量当たりで見れば火力発電と変わらない事を指摘しています。発電中の排出が少ないことをもって原子力が単純に優れているとは言い切れない部分もあると思います。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
原子力のリスクが小さいのではなく、他に比べて比較的的マシとのご意見についてです。これで話が最初に戻るのですが、たしかに死者で比べると少ないですが、buberyさんのご指摘通り経済的に見てみましょう。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
事故後2年余を経ていまだ多数の方々が避難を余儀なくされ、幸いに健康影響は少なくて済みそうですがそのための検診・受信者の機会費用の損失、農林漁業を再開できたとしてもカリウム・ゼオライト投入や計測などの余分なコストを余儀なくし、「風評」を含め震災復興に深刻なおくれをもたらしていることな死亡以外の「計測可能なコスト」+「計測可能ながら無視されているコスト」は枚挙にいとまがありません
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
公害被害研究で著名な飯島伸子氏は公害が健康被害にとどまらず、被害者の周囲の人間関係(家族や地域)、あるいは自然との関係(農林あるいはマイナーサブシステンス的な自然とのかかわり)という関係性の破壊を伴うことで被害を大きく広げることを指摘しています
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
上記の「計測可能なコスト」+「計測可能ながら無視さているコスト」についての補償だけで電気料金あるいは多額の税金投入の必要性をすでにゼブラさんは認めておられます。この上飯島が指摘する「計量化の難しいコスト」を加えた場合、それでも原子力のコストが「比較的マシ」とは僕には思えません。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
だからといって「再生可能エネルギーが直ちに原発の代替になる」のような技術的困難さや導入までのタイムラグを無視した言説にも大いに違和感を覚えます。社会への摩擦を小さくしながらもう少し別なエネルギー供給体制を構築するには時間と多様な技術が必要なことと思います。その点、僕自身、原発の即時全面廃止は難しいと考えているゆえんです。それな動機こそ違いますがゼブラさんご自身の「今後数十年は必要」とのお考えと両立可能ではないかと思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
このように「次なる社会の在り方」をどのように構想するかの問題を専門家だけが話し合って決めてしまうことには大きな問題があります。かつて僕のような林業屋たちも「木材供給基地」としてのみ森林を眺め、「合理的・効率的に森林を改変」していきました。数十年後、森への期待は木材供給とどまらず、生物多様性・CO2吸収、癒し、レク、水源涵養など多様に広がっていることにようやく気が付き軌道修正を測らなばならなくなりました。専門家の考える木材供給はもちろん大切ですが、それがすべてではありません。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
専門を持つということは同時に視野を狭めて深くものを見ることになり、社会全体の要請とずれを生じやすくなることは明かです。素人からの意見は専門家からすれば時に稚拙であり、事実誤認に基づくものもあり、わずらわしく感じられることも多々あるでしょう。それでも釈迦に大きな影響を及ぼさん業に関係する以上、ステークホルダーとしての市民=素人の意見を無視することは許されません
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
またあえて素人と書きましたが、ここ二年間のネット上の動きを見る限り、高等教育の浸透した先進国において、素人や市民を単純に「専門性のかけた無知な大衆」だけだとみなすのは明らかに間違いであろうことも解ります。それぞれの方が自らの専門性を駆使して、問題の理解や普及に努めてくれたからこそ、今回の事故の影響が当初恐れていたものよりも小さくて済んだことを理解でき、パニックに陥らずに済んだ人がどれほどいるでしょう。私もその一人です。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
これは他の方の意見の受け売りですが「専門制には二つの種類がある。一つは研究者のように専門を極めてそれにオリジナルの知見を加えて発信する専門性。もう一つは現状まで積み重ねられた知見を理解し、自らの頭で新しく付け加えられた状を吟味できる受信する専門性である」と。こうした「受信する専門性を備えた素人」こそが本来の意味での「市民」であり、こうした方々との対話を通じて社会に受け入れられる「エネルギー供給体制の在り方」や被害者の方をも加えて「あるべき補償の方法」などが検討される必要があると思うのです
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
「厳しい規制」と「安全な規制」についてですが、ことなるディシプリンを持った専門家の間で意見が分かれていることは理解できます。すくなくとも現在危険を指摘する専門家は事故前には意思決定の場に加われなかった専門分野の方々であり、事故後安全性をより高めるために異なる角度からの知見をもたらすために加えられたものと理解しています。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
少なくとも「素人」である私の目から見れば「異なるディシプリンを持つ専門家の間で意見が分かれるような事柄」は事故の影響の大きさを考えれば安全側にふった意思決定を行う方が妥当と考えます。それはまさに「どちらの専門性が正しいか」の決着がつけられない(同じ分野内で99:1みたいな異論の場合は別です)からこそ判断を留保する必要があると思うのです
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月3日
プラントのリスク評価のような高度に専門性を必要とするリスク評価はできる限り幅広い専門家同士の議論を市民が見守る形で、「エネルギー戦略や社会の在り方の在り方」の様な大きなくくりの話には討論型世論調査やラウンドテーブルにつくような形で市民の意見が反映される場を作る必要もあるのではないかと思うのです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
エネルギー源を金銭的なコストや、CO2排出量といった指標で評価する際、採掘から処分までのライフサイクルで評価しなければならないのは当然で、これまでも基本的にはライフサイクルの全てのステージを考慮して評価されています。ただし、例えばCO2排出などは最近まで全く考慮されていなかったように、時代と共に考慮する範囲が変わることはあり得ます。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
原子力については評価結果に大きな幅がありますが、不確実性を高める大きな要素は廃棄物の最終処分です。「管理」するべきリスクレベルを高くすればその分管理しなければならない期間が長くなり、コストやCO2排出量はいくらでも高くなります。極端な話、ゼロリスクを求めれば「ライフサイクル」が閉じないため、コストは無限大になります。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
まちがえた。管理するべきリスクレベルを「低く」すれば、ですね。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
一方、化石燃料の利用にも不確実性が高すぎるために正確な評価が困難な、CO2排出のインパクトという要素があります。CO2を回収・固定する技術も研究されていますが、エネルギー収支が割に合う、つまり利用できるエネルギーよりも小さなエネルギーでそれに伴うCO2排出と同量を回収・固定できるようになる目途は全く立っていません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
CCS(二酸化炭素の回収・貯蔵)技術が意味を持つのは、原子力などCO2を排出せずに大量のエネルギーを産み出せる技術と組み合わせた場合のみというのが現状です。化石燃料を利用し続ける限り、CO2排出量の増加は避けられません。そしてそのインパクトは、定量的な評価が非常に困難です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
人為活動によるCO2排出が気候変動に影響するということ自体に異論を唱える人もいますが、さすがに専門の科学者や政策決定者の中ではごく少数です。産業革命以前から平均気温が6℃上昇してしまえばそれ以降の加速的な気温上昇を止める術はなく、そこは何としても避けなければならない、というのはコンセンサスとなっています。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
CO2排出リスクを考慮しないとしても、避けようのない自然災害などのリスクのバックグランドレベルに対し、極端な低リスクを追及することに合理的な意味はありません。原子力のライフサイクルでのCO2排出量が火力発電と変わらない、といった評価は多くの場合非合理的な前提に基づいており、少なくとも一般的ではありません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
このことは、ごく一部の例外を除いて多くの国が今なお原子力の利用を推進しようとしていることからも理解できるでしょう。国内に100年近く枯渇の心配のない化石資源を持ち、供給不安が小さいはずのアメリカやロシアですら原子力を手放すつもりはありません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
原子力のリスクのうち、事故の際の経済的損失についてはこれまでほとんどデータがなく、福島事故が今後のモデルケースとなるでしょう。風評対策や過剰な避難による社会基盤、産業基盤の破壊については個人的には政府の不手際によるところが大きいと感じており、被害を数倍に拡大してしまっていると思っています。こうした不手際は原子力災害に特有のものではないでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
未知のリスクに直面した時、合理的、定量的な評価による「安全」よりも感情に流された「安心」を優先するような社会であれば、他の事故や災害でも同じように無駄に被害を拡大してしまうでしょう。とは言え、こうした社会の未熟に起因する被害の拡大は定量評価が困難なので、ここでは無視することにしましょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
福島事故による経済的損失を、通常無視されるような表に出ないコストも含めて仮に100兆円としましょう。これは日本の国家予算のほぼ半分に相当します。TMIやチェルノブイリなど、原子力災害の経済損失を全て合わせて大雑把ですが200兆円と考えて計算してみます。この数字に不満があれば、最終的に出てきた結果に係数を掛けて調整して下さい。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
原子力のこれまでの発電総量は10万TWh程度なので、単位発電量あたりで福島事故の経済損失を加味するとざっと20億円/TWhのプラスとなります。死者の数はまとめ本文にある通り石炭で60人/TWh、石油では36人/TWh、天然ガス4人/TWh、原子力は0.04人/TWhです。火力発電に伴う原油流出事故などの経済損失はとりあえず無視して単純に比較してみます。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
原子力のリスクよりも火力発電の方がマシということは、TWhあたりで35人程度の死者数の差が20億円よりも小さいということになります。命の値段が6千万円足らずとすれば、この前提でほぼ釣り合うことになります。もう少し現実的な数字で計算すれば、命の単価は更に下がるでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
以上の計算は非常に大雑把な前提に基づく振れ幅の大きな概算ですが、何らかの数字を仮定して計算してみないことには比較はできません。「どちらがマシかは分からない」というところから一歩前に進むには、まずは粗くても定量評価が必要なのです。そうすれば、前提条件を精査するなどして意思決定に役立つ程度に精度を上げていくこともできるでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
私が規制委員会の姿勢を科学的合理性がないと批判するのも、彼らにリスクを定量的に評価するという姿勢が見られないからです。三条委員会という立場上科学的な合理性を無視して政治的判断(あるいは独善的思い込み)で事を進めることも可能ですが、科学のルールに従っていない以上科学的でないという批判は甘んじて受けるべきでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
もっとも、規制委員会の問題は委員個人の素質というよりはその仕組みにあると思います。彼らはその理由が科学的であろうとなかろうと原子炉の運転を阻止している限り何の咎めも受けず、責任も生じませんが、「安全」を認めた瞬間に万一事故が起きれば重大な責任を担う事になります。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
事業者の手足を縛ることが「安全側」だという誤解は根深いものがありますが、先行する米国や欧州の動向と逆行していることはあまり意識されないようです。合理性を欠く、つまり定量的なリスク評価に拠らない規制はリスクの低減には寄与せず、つまり「危険側」となる可能性が高い事も、なかなか理解されません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
現在の規制委員会のやり方をこのまま堅持すれば、彼らのいう「安全側」の判断によって再起動される原子炉の数は限られ、時期も遅れるでしょう。電力不足やそれによる産業活動の制限もこの先何年も続くことになります。その場合、原子力災害のリスクは少なくなるでしょう。ではその社会は、安全対策を済ませた全てのプラントが稼働している社会よりも「安全」なのでしょうか?
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
また、先にも触れましたが福島事故を経てなお日本の新基準よりずっと「緩い」規制で原子炉を運転し続けている各国(ドイツやスイスを含む)は、安全性の評価が日本より劣っているのでしょうか。専門家の間で本当に判断が分かれているのなら、なぜ日本より厳しくしようとする国がないのでしょうか。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
現実には専門家の判断が分かれていると言うよりは、専門ではない人たちが判断に口を挟んでいる、という方が近いと思います。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
フランスでは事業者の計画や規制の内容決定に住民が参加する仕組みがあります。アメリカにも住民への説明は丁寧に行われ、パブリックコメントにも真摯に対応しています。専門的な議論を見守るのに、必ずしも専門知識は必要ありません。ただし、リスクを定量的に評価する姿勢と、どこまでならリスクを「受け入れられる」か、という視点は不可欠です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
逆説的なようですが、多様なリスクが混在する中でトータルリスクを下げて安全な生活を手に入れるためには「受容可能なリスク」のレベルを決め、それ以下のリスクは受け入れるという合理的な姿勢が欠かせません。そうした建設的な考えができなければ、住民参加も異なる主張が交わることなく飛び交うだけの無意味な「討論」にしかならないでしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
日常生活の中でリスクの存在を意識しなくてもよいというのはそれだけ日本の社会が低リスクであるということなので、それ自体は素晴らしいことです。ただ、たまたま目に付いたリスクに過剰反応して結果的に社会全体のリスクを上げてしまうのは、今に始まったことではありません。環境ホルモン然り、BSE然り、新型インフルエンザ然り、ワクチン忌避然り…
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月6日
それでもなお他の国よりも低リスクな社会を維持できているのは、一つには日本が経済的に豊かだからです。今我々はその豊かさを手放す方向に向かっていますが、現在の子供たちが大人になる頃、日本はまだ「安全な国」でいられるのでしょうか。そうあって欲しいと心から願っていますが、同時に自分の子供には他の国でも生きてゆけるようになって欲しいと思っています。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月6日
ご心労も多く、またお忙しい時期にご返答を頂戴し、誠にありがとうございます。重ねて御礼申し上げます。僕の方が明日以降、少々立て込んでいるもので、少し時間を頂戴し、また書きこませて頂きます。取り急ぎ御礼まで
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
f_zebra ご心労多いところご返答有難うございました。本当に長期化に渡りおつきあい頂きまして、有難うございます。このまとめをご覧になられている方の数もかなりに上るようで、少しでも皆さんの考える材料を提供できているとすればお付き合いただいた甲斐もあったかと思います
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
f_zebra ここまでゼブラさんとお話させていただき、このあたりが折り合えないところなのだなというところが見えてきたように思いますので、その点について少し触れさせてください
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
まずは「安心して暮らしていける社会の在り方として「量の不足などをあまり気にすることなくエネルギーを使える社会」が望ましいということについては双方にあまり隔たりは無いように思います
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
ただゼブラさんは、そうした社会を実現するための方法として「原子力かさもなくば火力」という二項対立の想定を必ずなさいます。何度か述べましたが即時に全面的原発の代替として再生可能エネルギーが使えるとは考えておりません。しかし中期的には一部を代替することは可能であろうと思います。地熱・小水力など原発同様に間断なくエネルギー供給を行うことが可能でありCO2排出の少ない手法が取れれば、少なくとも「一部の原発の廃止・稼働停止」については非現実的とは言えないでしょう。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
この観点から僕は「即時全面停止は非合理だが、現時点で社会が受け入れがたい原発は停めるべき。その後の長期的脱原発の道筋についてはそこからもう一度考える」というスタンスです。ゼブラさんのご意見は「専門家による技術的な安全対策が十分にとられれば、基本的にはすべての原発を再稼働すべし。それが最もコストが低い」とのご主張かとお見受けします。この前提をよしとするならば二項対立的な議論でなく、どの原発が「相対的高リスクなのか」を考え、高リスクのものを場合によっては停める可能性を考えるのが合理的かと思うのです
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
次に「被害規模と被害の配分」の問題です。被害規模を大きくおいて頂き有り難く思います。ただ問題はそのあと発電量当たりの死者数に還元してしまうのは議論として奇異です。なぜなら現時点で今回の事故において「原発による放射性物質を直接の原因として亡くなった方はいない」というのが公式の見解なのですから。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
そう被害者は生きています。また100兆円とお示しになった被害には当然「賠償・補償対象」になっていないものを含んでいますね。ですからこの想定は「今回の事故により賠償額として顕在化したもの・賠償されずに潜在化しているものを合算した被害総額は100兆円と考えられ、多くの被害者は存命しているにも関わらず被害の賠償を受けられずにいる」と読むほうが普通です
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
僕自身が一貫して問題としてきたのは「原発とその事故にかかわる受益者と受苦者のずれ」です。受苦者が、何の恩恵も受けていないとは言いませんが、少なくともいくつか挙げた例のように塾に対して補償を受けられれない事例は沢山あります。ゼブラさんいうように、「全ての受苦者に賠償補償をしたら国民・国家が大きな負担を被るから難しい」というのだとしたら少なくとも100兆円の見積もりの多くは国民全体から見れば少数の受苦者がまとめて被害を引き受けることを「暗黙に社会が強制した」ことになります
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
「少数者の犠牲の上に成り立つシステムが本当にリーズナブルなのか」という問を繰り返し立てているのはそのためです。僕が普段関わるキノコ生産者など野山を生活の糧あるいは生活の一部とする人々は社会的影響力の小ささから「視えない受苦者」として国や原因企業から無視されています。「被害と認められない被害の存在」「認めてたとしてもそれを少数者に押し付けざるを得ない特性」からいって僕は原発が単純にリーズナブルな存在とは認められないのです
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
トータルなリスクを下げる議論については全く同感です。ただ原発もゼブラさんが考えてられるのとは別なリスクの存在をこれまでお話してきました。発電単位量あたりの死者数は火力の方が多いのかもしれません。でも火力発電所の事故により、プラントから100km単位の広さの農山村において数十年単位で伝統的な土地利用を制限させるということはないでしょう。これは土地と人間の織り成す歴史を破壊するものであり、原発特有の被害であり、補償されていないものであり、リスク計算に組み込まれていないものです
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
僕はこうしたリスクを顕在化させるために受苦者の声が「何がリスクであるか」を決定する場に反映されなければならないと考えます。そして社会的に合意された新しいリスクも組み込んだ上でトータルのリスクを下げるために、「技術的・立地条件的にリスクの高い原発」については停めることが事業者サイドからもビジネスとしても検討され、提案されるべきではないでしょうか。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
おりしも米国で原発の停止が決定されました。「問題の発見された施設を更新するよりも停めた方が安い」というビジネスの論理に基づいた決定です。それだけ米国においても原発のリスク見積もりは高いのではないでしょうか?
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
「三条委員会が科学のルールに従っていない」というのがよく解りません。何がリスクかは科学の観点からだけで決まる不動のものではないですし、どのようなディシプリンから考えるか、原発被害を「死亡者数など現在すでに計量化できるもの」に限定せず広げれば当然変わるでしょう。三条委員会側からは原発事業関係者の方が「あれだけの事故を経てもリスク低減を技術の問題からしか見ない人々」と視えているかもしれません(僕はそうは思いませんが・・・)。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
だからこそ「何がリスクであるのか」は受苦者・被害者の声のおも思反映させつつ、再度確定すべきでしょう。繰り返しになりあますが、この問題に興味はあるが、災害や技術の専門家ではない市民という立場から見れば「異なるディシプリンの専門家はリスクの別な面を見ているのであり、そこで諾否の判断が異なる以上、そこには大きな不確実性が存在する」としか判断できません。その再稼働はさすがに受け入れがたいです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月8日
ゼブラさんが問題視される「再起動される原発の数が限定される」ことは、これだけの事故をへて、リスクとは何かが見直される中ではむしろありうべきことと思うのです。これが最初の問いに戻り、全面再稼働が大前提なのはやはり極端かと思えます。事業者の廃炉費用の積み立て不足にいかに対応すべきかの行政措置の検討も始まりました。即時全面廃止にしろ全面再稼働にしろオールオアナッシングの議論は生み出すものが少ないと思うのです
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
原子力事故の経験を経て原子力のリスク評価が見直され、その結果事業者が一部の原子炉について廃炉を決断するというのはあって然るべきだと思います。東京電力の福島第二1~4号機、関西電力では美浜1、2号機などはおそらく再起動の申請はされないでしょう。一方、事業者が安全性と経済性を確認した上で申請するプラントについては、速やかな審査、承認を妨げる合理的理由はないはずです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
サンオノフレの廃炉が一部の人たちから変に持ち上げられているようですが、経済性を理由に廃炉が決定されるのは普通のことです。アメリカでは天然ガス価格が低いレベルのまま推移すればそれだけ原子力の経済的メリットは小さくなり、今年に入ってからでもフロリダのクリスタルリバーが補修をあきらめ廃炉することが決定されています。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
一方、現在も稼働している数多くのプラントや建設が進んでいる新規プラントについては経済的にも合理性があると判断されているのです。そもそも、民間事業者が運営するプラントの廃炉時期は事業者が判断すべき事で、規制が要求するのはあくまでも定量的な安全性というのがあるべき姿です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
規制が要求する安全性のレベルはどのプラントに対しても同じ(「他よりリスクの高い原発」は認められない)であり、事業者は必要なコストを掛けてその要求をクリアします。プラントが老朽化してくると要求レベルを満たすために掛かるコストが膨らむため、収益とのバランスを考えある時点で廃炉を決めるのです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
原子力だけでなく、火力や水力、再生可能エネルギーを含めた発電方式全てについて、リスクおよびコストと便益のバランスから最適なエネルギーミックスを考えるのがエネルギー戦略です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
再生可能エネルギーについては、短期的な経済性だけに囚われない戦略的な開発が必要であり、ある程度政府が後押しして普及を進めるべきだと思います。ただし、送配電系統の容量を無視した無謀な計画や高すぎる買い取り価格、更にベースロード電源の不足は結果的に再生エネルギー普及の足を引っ張ることにしかなりません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
また、かなり意欲的な(つまり他の部分で無理をした)計画でも再生エネルギーの割合は100年後でも半分程度であり、少なくとも現在供用中あるいは計画中の発電設備の供用期間において、エネルギーミックスに現実的なインパクトを与える可能性は高くありません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
特に自然エネルギーによる発電容量の大部分が風力や太陽光といった不安定電源である現在および直近の未来において、これらの電源は原子力のようなベースロード電源の「代替」とはなり得ず、原子力の発電容量削減は確実に再生可能エネルギー普及を妨げる方向に働きます。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
火力と原子力の比較について、起因する死者が圧倒的に多い火力では、死亡に至らない被害あるいは苦痛を受けている人が、原子力よりも少ないと考えるのは不自然です。日本国内では確かに火力に関する被害はそれほど多くないでしょう。それは、日本が化石燃料のほとんどを他国から輸入しているからに他なりません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
原子力と比べるとエネルギー密度に圧倒的な差があるため、火力発電所を運転している限り絶え間なく燃料の採掘、輸送、排出を繰り返す必要があります。それらの過程で環境や人々に様々な負担を与えますが、そのほとんどは日本の外で起こります。もちろんそれに対する対価を支払ってはいますが、そこを考えずにエネルギー戦略を考えるのはあまりに身勝手ではないでしょうか。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
原子力では発生頻度は高くないものの他の発電方式ではまずあり得ない過酷事故のリスクがあり、その際に発生してしまう救済しきれない被害者の存在を考慮しなければならないのはその通りだと思います。ただし、事故がなくても恒常的に発生する薄く広い負担との比較、かつ事故の発生頻度を考慮した冷静な比較が必要だと思います。繰り返しますが、頻度が低いから無視してよい、という意味では断じてありません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
リスクの定量化については、私はリスクの専門家が純粋に科学的に行うべきだと考えます。その上で、どのようなリスクをどこまで受容するかを決めるのは社会であり、そこには科学以外の様々な視点が取り入れられるべきでしょう。日本では残念ながらまだ「リスク」とは何ぞやという根本的なところで理解が進んでおらず、まずはここを改めることが全ての国民の安全と幸福のために急務である、というのが私の持論です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
後出しで揚げ足取りのような反論ばかりしているようで心苦しいのですが、shinさんの言わんとするところは理解しているつもりです。そして、意見が相違するところについて明確に論理的な反論を用意できないものがあるのも事実です。例えば事故の際の農地その他の回復方法について、外部の専門家が考える「合理的な解決法」が必ずしも当事者あるいは社会に受け入れられないという問題について、私は答えを見つけられていません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月8日
次世代に豊かで安全な社会を残したいという究極の目的は誰もが共有できるものだと思います。価値観や考え方の違いは仕方ありませんが、知識や視点の不足による誤解や行き違いは、こうして価値観、興味、専門の異なる者同士が議論することである程度解消し、歩み寄れないとしてもお互いに理解を深めることができ、非常に有益だと思います。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
f_zebra 「歩み寄れないとしても、誤解や行き違いを解消し理解を深めることができる対話」の有り難さについては僕自身が重々感じています。有難うございます。願わくばネット・リアルを問わない社会の多くの場所でこうした対話がなされることで相互の理解や更なる対話を促すために必要な「価値観の異なる者同士での信頼関係」の構築が進むことを願うものです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
さて原発のリスクを勘案した判断を最終的に行うのは事業者であることには、僕も異存はありません。とすれば問題は結局のところ「規制が要求する定量的な安全性」の決まり方とさらにそれをメタなレベルで規定する「社会におけるコストの見積もりとそれをどのように決定するのか」の二点に集約できるようい思います。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
まずは後者からです。僕自身、火力プラントの危険性をなしと考えている訳ではないことはご理解いただいていると思います。この問題はさらに、事故により生じた問題の種類すなわち「リスクとは何か」という問題とその「定量化」の二つに分けられます
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
原発による被害を非科学的なまでに大げさに語るデマとは一線を画した上で、賠償しきれない問題が残っていることはゼブラさんもお認めになられている通りです。こうした問題が現在もある以上、原発を原因とするリスクの種類は今措定されているものに限られないことは明らかだと思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
次に種類を確定あるいは確定できないものを含め、少し広めにリスクの種類を見積もり(ここでは受苦の不均等の問題はとりあえず置きましょう)、それを定量化(難しいですが)した場合、それが火力より小さいとは思い難いと僕は考えているということになります
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
結局「リスクの定量化」はゼブラさんのいわれる通り、そのリスクの専門家が科学的に行うべきと僕も思います。ただし「リスクの種類がなんであるか」は科学により自動的に決まるものではないということなのだと思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
今回放出された放射性物資の「健康へのリスク」は早野先生をはじめとした科学サイドの方のご尽力と生産サイドの必死の努力により、小さなものに抑えられたことは確かでそれは本当に喜ぶべきことです。ただしそれにより「放射性物質拡散によるリスク全体が少ない」という結論にはならないということが大事だと思うのです
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
「何がリスクなのか」に社会の意見を反映させること、そうして導きだれたリスクを「個別具体的問題に還元し、それを専門家が定量化する」ことが大事です。また還元時に必要な専門家は多方面のものにならざるをえません。工学的にプラントを見る立場も地質学的に活断層を見る立場もあるでしょう。そうした専門家同士の間で折り合いがつかないものは「稼働の判断が留保される」のはやむを得ないのではないかと考えます。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
再生可能エネルギーが単純に原発の代替にならないのは同感です。それでも一部であっても代替できることを踏まえれば(太陽光や風力に偏りすぎた再生可能エネルギー推進は間違いだと僕も思います)、将来的な原発依存度低下のためにも導入すべきでしょう。特に地熱や小水力のような安定電源としての再施性可能エネルギーの潜在力はもう少し高く見積もってもいいのではないかと思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
また「安定的なエネルギー供給の在り方」も社会の中にある多様性に合わせたものにすることで違うありかたが見えるかもしれません。例えば大都市や重化学工業の存する地区のためには大規模集中型の安定電源がどうしても必要でしょうが、農山村や地方ではもう少し小規模分散型エネルギー供給による「安定したエネルギー供給」の可能性があり得ます。そうした点などを含んで、事故前に合意されていたエネルギー供給の将来像には見直しの余地が生じていると思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
こうした点でも「当面の原発全面停止は別にして、もう少し想定的にリスクの高い原発を廃止していくあり方」が検討される必要があるように思います。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
放射性物質拡散によるリスクは,ブラさんが心情を吐露してくださった農業にかかわる問題(むしろ人為の介在があるため後述のものより技術的な対応可能性が高かったりします)の他にも、山菜・キノコ・狩猟・薪・炭の利用といった自然と人間の関係に制限を加える事態が生じています。それは一時的な利用を妨げるだけでなく経済的影響・獣害の拡大・人為の排除による植生遷移の進行による生物多様性の低下、地域ならではの自然との関係によって育まれた地域個性である風土の喪失など多岐にわたります
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月9日
またその多くが「視えない」ままに放置されています。まずはこうした被害の存在を社会的に認知していただくことも「何がリスクなのか」を決めていくうえで不可欠なのではないかと考えています。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
原子力プラントのリスクについてなかなか世間に理解されないことの一つに、リスクはコストさえ掛ければ低くできる、ということがあります。チェルノブイリと同じRBMKなどの炉型の場合は現代的な要求レベルを満たすのに掛かるコストが現実的な額ではなくなってしまいますが、それでも不可能ではありません。つまり、どうやっても「リスクの高い原発」というものは存在しないのです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
特に現在国内にある軽水炉であれば、多くの場合現実的なコストで妥当な安全性、例えば大飯3、4号機と同等のリスクレベルを達成することが可能です。ですから、規制当局や社会が求めるべきはあくまでも定量的な安全性のレベルであり、どの炉を廃止してどの炉を残すのかという判断に口を挟むのは、控えめに言っても合理性を欠く行為です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
リスク情報を活用した規制で先行する米国でも、一般的に大容量で新しいプラントほど経済的に要求されるリスクレベルを達成しやすいのは日本と同様です。ただし、個々のプラントの経済性は接続される電力系統の特性や地域の電力需要特性、更に近くに天然ガスパイプラインがあるかどうかなど、様々な要因に左右されるため、古くて小さなプラントも未だに数多く現役で残っています。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
関西電力の美浜1号機はPWRとしては国内最古で、関西電力は40年目の高経年化技術評価が認可された後、50年目までには廃炉するという方針を発表していました。電気事業者は国の方針にただ盲目的に従っているわけではなく、独自に研究を重ね、長期的な需要動向や燃料調達などを考慮して事業計画を立てています。中途半端な知識と政治的な都合でその計画をねじ曲げることは、電気利用者の利益を著しく損なうことに繋がります。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
予測不可能な将来の様々な可能性に対応するためには、特定の技術に偏らず、再生可能エネルギーを含め様々なオプションを準備し、それらを有機的に連結しておく必要があります。時代が移ればその時々でエネルギーの「ベストミックス」の在り方も変化していって然るべきですが、現在はそうした緻密な検討に基づく議論が置き去りにされ、実現可能性の検討すらされていない無責任な「提案」が幅を効かせています。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
地方における小規模分散型エネルギー供給は可能性の一つとして有望だと思います。昔は考えられなかったような、系統側で細かく需給バランスの制御を行う技術も確立しつつあります。そうした有望な技術を確実に育てるためにも、拙速に現在のシステムを破壊することは避けるべきです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
リスクの想定に不確実性が伴うのはどうしようもありません。どんなに緻密にフォールトツリーを組み上げて確率論的リスク評価を行っても、必ず「想定外」は発生します。ただしそれは原子力に限ったことではなく、例えば地熱利用で全く思いもつかない弊害が顕在化する可能性もあります。大深度地下には地上の生命にとって致命的に有害な物質が大量に存在するのです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
だからといって「結局は分からない」と定量的なリスク評価を切り捨てるのではなく、不確実ながらも論理的にリスク比較を行って、現時点の知見で最良のものを次世代に残すのが、責任ある態度ではないでしょうか。社会の在り方はリスクだけで決まるものではありませんが、少なくともリスクの判断については正しく行うべきだと考えます。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
少し話は逸れますが、台風や津波の被害を避けるため、海岸沿いに人が住むのを禁止し、漁業関係者など海で仕事をする人は高台にある住居から海岸まで「通勤」するようにするべきだ、という意見があります。大津波の甚大な被害を目の当たりにした直後であれば、こうした「制御できないリスク」に対して海辺に住むことを諦める、という選択も理に適っているように感じられます。果たしてそうでしょうか。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
特に現在国内にある軽水炉であれば、多くの場合現実的なコストで妥当な安全性、例えば大飯3、4号機と同等のリスクレベルを達成することが可能です。ですから、規制当局や社会が求めるべきはあくまでも定量的な安全性のレベルであり、どの炉を廃止してどの炉を残すのかという判断に口を挟むのは、控えめに言っても合理性を欠く行為です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
千年に一度程度の大津波、もっと頻度の高い小規模な津波や大潮、台風。そのたびに何らかの被害を出しつつも、人は海辺に住み続け、そこで継承してきた文化があります。それらの一部は、高台に移転しても継続可能でしょう。しかし、確実に失われるものもあります。そうした文化や習慣は、水害の被害に対して取るに足らないものなのでしょうか。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
高台に移転すれば、そこで新たに生まれるリスクもあるかもしれません。漁業関係者の通勤による交通災害などは簡単に思いつきますが、他にも予想外の悪影響が出るかもしれません。もちろん、悪いことばかりではなく予想外のメリットが出ることもあるでしょう。いずれにせよ、外部の者が拙速に決めて押しつけるようなことではないはずです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
物事が自分の思い通りに行かないとき、私たちは他の誰かが邪魔をしているからだ、と考えがちです。「敵」を仕立てて対立構造を作れば、仲間内の団結を図りやすいという面もあるでしょう。しかし、本来協力して共に解決策を探るべき人々が対立してしまえば、いくら仲間内で結束を強めて充実感を得たところで、結局は双方とも損をすることになります。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
電力会社にとって、安全な電力供給を求める人たちは敵ではなく、電気を買ってくれるお客様であり、ともに社会を構成する仲間であるはずです。電気を使って生活している消費者にとっても電力会社は原子力ムラの勢力温存を図る利権団体ではなく、原子力も再生可能エネルギーも含めたベストミックスを模索し、将来にわたって豊かで安全な社会を支えてくれる頼もしい存在であるはずです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月9日
将来のエネルギー戦略にしろ、現在の事故補償における救済の網からこぼれた見えない(あるいは敢えて見過ごされている)被害への対応にしろ、当事者や外部の第三者が不要な対立を避け、異なる意見に対しても頭から否定せず合意できる客観的事実を一つ一つ積み上げ、大局的に考えることができれば、少しずつでも前進できると思うのです。ただ、一度できてしまったわだかまりをどう解きほぐせばよいのかは難しい問題です。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月10日
f_zebra 「当事者や外部の第三者が不要な対立を避け、異なる意見に対しても頭から否定せず合意できる客観的事実を一つ一つ積み上げ、大局的に考えることができれば、少しずつでも前進できると思う」はい。これについては全く同感です。わだかまりを解いていくのも結局コミュニケーションしかないのだと思います。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月10日
「どの炉を残して、どの炉を廃止にするか」の判断の最終決定権が事業者にあるのも繰り返しになりますが同意です。ただし前提として、どこまでの安全対策を求めるのかは社会の側のと応答の中で決められるべきでしょう、あるいはゼブラさんも認められている「救済の網からこぼれた見えない(あるいは敢えて見過ごされている)被害への対応」をきちんと「すでに発生している」&「これからも発しうるリスク」としてリスク計算に組み込むことも必須です。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月10日
これらの前提条件を満たした場合も事業者の経営判断は同じにならない可能性が高いと思うのです。これらの前提は、現在のリスク計算に限定的にしか取り入れられていないものです。まずはこうした手続き的正当性を制度に組み込んでいかなければ、得られた結論に「市民レベルでの納得」は得られにくいと思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月10日
現状の再生可能エネルギーが単純に原発にとって代わるものではないとの認識も「共有」しうるものだと思います。ただし中期的には一部は代替になりうるものであることも同様に「共有」できるものと思います。これらを社会の意思として促進することはある程度の合意が取れているものと思います。FITはそもそもそういうものでしょうし(日本のFITは少々ゆがんだ設計になっていますが・・・)、本来なら電力事業者の意思決定をもそちらの優先順位を上げ得るものと思います(接続の問題等単純でないことは理解しておりますが)
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月10日
エネルギー現在におけるベストミックス像はもう少し可変的なものであろうと思います。このあたりを本来ならもう少し社会的に議論する必要があると思うのです。これまでの前提に欠けていたものw加え、極論を廃した議論をおこなった場合、得られる結論はこれまでのこととは「ずれ」てくると思うのです。その手続きと「これまでとは「ずれた」ことによって、より多くの方の納得を得られた結論」を積極的に求めていく必要があると考えています。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月10日
別な話になりますが「津波の跡地に人が住むか否か」の問題と原発のリスクを比較するのは少々意味が異なると思います。岩手の沿岸で話を聞いても津波が来ても海辺に住みたい人は海からのメリットを受けている人が多いです(漁業関係者とか)。そこにはこれまで繰り返し述べてきた「受益者」と「受苦者」(者を圏と言い換えてもいいです)の一致があります。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月10日
原発事故被害の問題は「受益者」と「受苦者」が大幅にずれ、また「受苦者の多くが見過ごされがち」な点にあります。、こうした「悪い意味でのずれ」と「視えないコストの可視化・計量化」がなされない限り並列では語れない問題だと思います
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月10日
これもまた別な問題ですがBB45_Colorado先生の議論のように、僕などよりもはるかに原発にお詳しい立場からも「現状とは異なる将来ビジョン」が示されているのはまだまだあるべき「エネルギーのベストミックス像」は生成途中だと思うのです。それぞれの立場がこうあるべきといいう提案をすることは自由になされるべきです。ただし、現時点ではそれはまだ社会的合意ではありません。最初にのべた「コミュニケーション」を経て柔軟にずらしていくことが必要と思います
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
癌で亡くなった義父の精算手続きをしていて初めて知ったのですが、後期高齢者の場合高額医療費の自己負担は驚くほど少なくて済むのです(月に数万円程度)。制度自体に様々な問題を孕んでいるにしろ、誰もが治療費の心配をせずに高度な医療が受けられる仕組みは素晴らしいと思います。残念ながら私自身が高齢者になる頃まで現在の仕組みが持続可能だとはとても思えませんが。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
高額医療費に限らず、いつ誰に降りかかるか分からない「苦難」については、国が用意する皆保険的な制度で個人の負担を低減するというのが基本的な考え方だと思います。自然災害や、企業の補償能力を超える産業災害についても予め被災者を予測することは難しく、従って誰が被災しても国民全体が広く負担して個人の負担を救済するという仕組みはいずれにせよ必要でしょう。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
原子力災害に限らず大規模な産業災害では直接の利害関係者以外にも被害が及びますが、自然災害でもそれは同じです。違いは原因が人為活動であり、社会が選択すれば避けることが可能だという点でしょう。災害は実際に起きるまで誰が被害を被るかは分からず、その意味では社会全体のリスクとして総合的に考える必要があるのではないでしょうか。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
shinさんがおっしゃるように社会がどういったリスクをどこまで受け容れるかを決定する際には関係する人々、つまり社会の構成員全員の意見を何らかの形で反映する工夫が必要であり、現状ではコミュニケーションの不足を含め多くの課題があることは同意します。ただ、その際に誰かは分からない未来の被災者が受益者とずれることが、結論を左右するような問題だとは思いません。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
産業災害であれば「文句を言う相手」が特定しやすいために直接的な被害以外にも起因する苦しみがまだしも可視化されやすいという面もあり、自然災害であれば個人にとってどれほど理不尽であっても「仕方ない」と泣き寝入りを強いられる場面も多々あると思うのです。災害の原因によらず、被災者は国民全体で支える、つまり不慮の災害に対して互いに支え合うという合意が大切だと思います。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
天災を含む予測不能な災害に対してどう対処すべきかという問題と、社会がどのようにリスクを取捨選択してトータルリスクの低い状態を目指すのかという問題は分けて考えるべきだと思います。特定の人(誰かは分からない)に負担が集中するのを避けるためならトータルリスクが上がっても構わない、という考えもあるかもしれませんが、それならそれで社会が全体の負担増を受け容れるという合意が必要です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
私自身は、天災など避けようのないリスクが存在する以上、負担の平準化は別途仕組みを用意することにして、社会としてはあくまでもトータルリスクを下げる方向を目指すべきだと考えます。自由経済社会では広く受け容れられる考えではないでしょうか。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
社会全体のリスクを考える際、新たなリスク要因が顕在化すればそれに応じて最適解も変わって然るべきであることは先にも述べました。原子力のリスクについては、プラントの運転者に対する安全性要求のレベルが変われば、事業者の経営判断も変わってくるでしょう。「現在の」電気事業者の判断は、当然ながら福島事故を考慮したものになっています。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
発電方式の選択について、社会がどのようなリスクをどこまで受け入れるかを決めるのは電力会社ではありません。これまでも、これからも、それは変わりません。これまで電力会社がある程度影響力を行使できてきたとすれば、それは本来意思決定すべき社会が「無関心」という責任放棄によってそれを黙認してきたということです。社会が本来の役割を果たして主体的に意思決定すれば、電力会社はその意思に従うことになります。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
事故前まで問題なく稼働していたプラントのいくつかは、事業者の経営判断によって再起動の申請を出すことなく廃炉が決まるでしょう。それが長い目で見て本当に社会のリスクを下げるとは個人的には思いませんが、社会の合意であれば個人個人の考えと完全に一致しないのは当然のことです。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
しかしながら、事業者が現在の厳格化された基準の下でも運転継続を決定し、安全性向上への投資も済ませているプラントに対して合理的な理由もなく規制当局が審査を渋り、起動の時期を遅らせる事は社会にとって有害無益で、現在と将来の社会の構成員に不当にリスクを押しつける、極めて不誠実な不作為だと思います。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
私たちの日常も世界規模で動いている経済も、立ち止まることはありません。前に進むことを止めた瞬間に、後退が始まるのです。新しい事を試すにしても、前に進みながら考え、新たな道の先が見えてから乗り換えるべきでしょう。現在の日本のエネルギー事情は、何を食べるのが安全か分からないからとりあえず食べるのをやめて水だけ飲んで凌いでいるような状態です。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
起きてしまった事故の補償にしても、被災者にも日々の生活がある以上、立ち止まるということは後退することです。合意形成に時間を掛けなければならない場合もあるでしょうが、その結果に関わらず同時並行で進めるべき原資の拡充を止めてしまえば、補償計画全体が後退することになります。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月10日
現在の補償の問題、将来の補償のあり方、当面のエネルギー供給、中長期的なエネルギー戦略、それぞれはリンクはしていても、独立した問題です。分けるべきところはきちんと分け、無責任に前進を止めることなく、進めるべきところは着実に前に進めていくという姿勢が大切だと思います。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月11日
f_zebra 御義父上様のご冥福をお祈りいたします。公私ともにご多忙なところ長期にわたりお相手いただきましたこと心より感謝いたします。おかげさまをもちまして、色々と考えを深めることできました。また現時点で共有できる点、できない点なども明らかになってきたように思います。これを一区切りとさせていただくつもりにて、申し述べさせていただきます。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月11日
誰に降りかかるかわからない「苦難」・「災難」を国民全体で広く薄くカバーする必要性については全く同感です。脱線ですが「医療費の社会負担」を持続可能にするには給付制限による緊縮策よりは経済規模拡大によるやり方が望ましいと考えています。20年の緊縮財政はデフレによる社会システムの劣化をもたらしつつ、財政状況を悪化させただけでした。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月11日
話を戻して、「苦難をカバーする」システムの発動に社会的合意が得られるのは「汚染者負担の原則」が適用しがたい状況であることもゼブラさんご指摘の通りと思います。こうしたシステムの原発事故への適用を考えるとき一般論としては「福島第二にで見られたように備えを怠らなければ避け得た事故」だったのか「大規模な天災による不可抗力」だったのかの判断によって結論が分かれるように思えます。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月11日
しかし「原子力損害の賠償に関する法律」では事業者は過失の有無にかかわらず無限責任を負うことが明記されています。これは原子力という高リスクな物質を利用して行われる事業において事業者の責任を大変重く見たものといえるでしょう。この点、原子力利用においては一般論としての「救済システム」利用は許されず、より事業者の責任が社会的に求められており、事業者はそれを了解のうえで事業に臨んでいる以上、「重すぎる賠償」であっても避けて通ることは許されないのではないかと思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月11日
「発電方式の違いによるリスクをどこまで受け入れるのかを決定するのは事業者でなく社会」であることも仰せのとおりです。また「そこにおける意思決定の偏りは社会の無関心が一つの原因」とされるのもおおむね賛成です。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月11日
この問題の解決には、今後は「無関心・無責任になりがちな当事者である市民」を「真摯な当事者」として意思決定の場に参加させるようなシステム・手法・場の設定などがキーになるかと思います。こうした手法自体は様々試みられており、注目に値するものも多々あります。こうした手法を取り入れつつ「リスクにかかわる社会的意思決定の場」を制度化することが大事と思います。現在この点があまり議論されていないのではないかと思います。この点はゼブラさんとの意見交換のなかで大いに触発されました。御礼申し上げます
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月11日
また「事業者が現在の厳格化された基準の下でも運転継続を決定し、安全性向上への投資も済ませているプラントに対して合理的な理由もなく規制当局が審査を渋り、起動の時期を遅らせる事は社会にとって有害無益」とのご意見は手続き的正当性からいえば至極ごもっともと思います。問題は規制委員会による「厳格化された基準」自体を事業者サイドが受け入れていないように思える点です。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月11日
このあたりの専門性の高い議論については「異なるディシプリンから多角的に検討し、一致してOKが出ない限り稼働を認めない」というやや保守的なポリシーが望ましいように思います。科学も一枚岩でなく、異なるディシプリンから見れば異なる結論が導き出されることは「有り得る」訳で、事故の重大性を考えれば、やや保守的に考えておくことが「社会的には正解」ということもあるのかと思います。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月11日
「種々のリンクしているが独立の問題」をきちんと分けて議論することは賛成です。しかし議論の前提として「リンクしている部分をきちんと織り込む」ことも大事と思うのです。農林被害の現場では立ち止まることはそこでの暮らしをやめることに直結するが故、リンクしている部分をあえて問わず「自助努力」する取り組みが各地で行われています。その事は称賛されるべきことですが、「リンクしている問題が無かった訳ではない」ことを議論の前提としながらトータルな問題解決が目指されるべきと思うのです。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月11日
以上になります。zebraさん 長期にわたりお付き合い頂き本当にありがとうございました。 御まとめをつくられたButayama3さま、意図的ではなかったのですが、御まとめを私物化してしまった形となり、誠に申し訳ありませんでした。責任はすべて僕にあります。おかげさまをもって考えを深めることができました。併せて御礼申し上げます。
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moriokahiguma @moriokahiguma 2013年6月11日
最後にzebraさんとのやり取りを望外に多くの方々がご覧いただけたようです。zebraさんのご見識に触れ、コミュニケーションをとりたい方も多々おられたと思うのですが独占する形となってしまい、申し訳ありませんでした。  zebraさんとのやり取りを通じて折り合えるところ、折り合えないところが沢山見つかりました。コミュニケーションそのものの大切さをあらためて理解することができました。貴重な機会をお与えいただき有難うございました。改めて御礼申し上げます
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月12日
moriokahiguma こちらこそありがとうございました。あまりに長くなってしまったため堂々巡りになっているところもあり、そろそろ区切りを付けるべきでしょう。私自身にとっても、議論を見守ってくれた多くの人にとっても、非常に有意義だったと思います。
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Flying Zebra @f_zebra 2013年6月12日
この議論の場を提供して下さった@Butayama3 さんに私からも改めて御礼申し上げます。以前にもお伝えした通り、私がtwitterで及ばずながらも情報提供をしようと考えた動機の一つが、ぶたやまさんのように自ら学び、考えようとする人たちの手助けになればと思ったことです。このコメント欄での議論も読んでくれた人にとっていくばくかの「考えるきっかけ」となることを願いつつ、一旦筆を置きたいと思います。
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堀石 廉 (石華工匠) @Holyithylene 2013年6月12日
このコメント欄での議論を読むに、補償の遅れやパイの大きさについては、実は、原子力災害の補償を東電の資力のみに頼った現システムの問題がかなりの部分を占めているように思えます。原子力を社会に不可欠と考えるなら、社会全体、あるいは少なくとも運用事業者全体での保険のような相互補償システムが必要ですし、その補償システムの運用費用として原子力のリスクが経済的に見える形に出来るのではないか、と。
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njamota @njamota 2013年6月22日
原発の安全規制を考える際に事故後の補償を経済的リスクとして組み込むべきである。このリスクを正しく評価するために、今回の事故にともなう補償が当事者の納得いくものとなること、その内容が社会に周知され賛同を得ること、の2点が必要である。そして、現状ではこの2点は実現していない。ということだと思いました。特に、文化的な損失の補償をどう算定するかは、とても難しそう。
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ゆみこサソ@スパイ防止法希望 @nymk04 2019年3月13日
日本のエネルギー問題について。 これは、素晴らしくまとめてある。
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