未明から早朝にかけて夜明けの「本格ミステリ」語り(睡魔で中断…続きは未定)
いわゆる「マイ本格」を一つ付け加える意図でも、強引な「統一場理論」を振りかざそうとするものでもなく、そこを拠り所として論を噛み合わせられる「土台」のモデリングが出来ないものかと考えている。
2012-02-17 07:22:16『「本格ミステリ」を論ずる前に「ミステリ」を論じよう』や『「ミステリ」について少し考えを進めてみる(除雪しながら脳内円卓会議)。』で、大分考えがまとまったが、近現代に文字や文章が伝達・記録・物語の手段から、作り手と受け手による遊戯の基盤へと質的変化を起こしたのではないか。
2012-02-17 07:22:46つまり再三述べたように「手段の目的化と目的の手段化」であり、「作り手と受け手の互換」である。一方的送信・受信という関係ではなく、将棋や碁の如く「盤」を挟んでの双方向性であり、大衆作家が連載中に読者の反応に応じて筋を変更するような形から、それはスタートした。
2012-02-17 07:23:14ディケンズなど正にそうだが、この方式ではまだ「作者>読者」の力関係に変化は生じない。作り手の一方的送信とほぼ変わらないのだ。変質するのは、連載中に「読者ポー」が筋を看破してからだ。「盤」を挟んでの双方向性が図らずも実現する。
2012-02-17 07:23:40そこに遊戯の面白さを担保するための「フェア・プレイ精神」や、読者の反応に応じて筋を変更するあまり脱線を繰り返していた有象無象の連載小説に苦言を呈する意味で「十戒」・「二十則」が必要になってくるという図式だ。
2012-02-17 07:24:04つまり「ミステリ」とは「遊びをせんとやむ(生)まれけん」なわけで、(理由もないまま)「フェア・プレイ精神」を履行したり、「十戒」・「二十則」で縛り付け、型に嵌めようとする不自由なモノとは思えない。
2012-02-17 07:24:24文字や文章の「伝達・記録・物語」の手段から「遊戯」の基盤への変質が顕在化していくことで、同じ組成のモノが過去にも存在していたことが再発見される。それが古代エジプトや聖書にミステリの淵源を求める動きであろう。しかしそこにはツッコミ役たる「読者」が不在なのだ。
2012-02-17 07:24:49ゆえに「卵」は孵らない。オパーリンのスープに「生命」は宿らなかったのだ。ミステリには「遊戯として楽しむ他者(読者=将来の作者)」が必要なのである。
2012-02-17 07:25:14一方で、乱歩による形質分類的なモジュールから紆余曲折を経て「本格」という「看板」が一人歩きしていく現象がある。これは世界的に見ても評価に値する「奇妙な味」をカテゴライズした乱歩の独創的センスに由来するモノだが、「看板」が掲げる内容は時代の変遷に左右される。
2012-02-17 07:26:47初期には探偵小説の枠に収まらないSFや怪奇モノなども含めた広義のミステリである「変格」に対して本来の探偵小説を「本格」という概念で括ろうという試みであったことは私がここで述べるまでもない。要は「言霊的」に「本格」が一人歩きしたのだ。
2012-02-17 07:27:08恐らく視界を明瞭にするためには「日本人論」から論ずるべき問題であろう。これも現在日本古代史を思索している私のテリトリー内の問題なので、いずれまとまったら述べることもあるだろう。ここで肝心なことは、なぜ「なぜ」を問わないのかという点だ。
2012-02-17 07:27:28「フェア・プレイ精神」、「十戒」・「二十則」の受容の際に(翻訳による間接性もあるが)、「なぜ」それらが必要なのか深く考察し納得するという段階を経ないまま「トリック」同様ミステリを構成するパーツとして受領してしまった迂闊がそこに厳然としてにある。
2012-02-17 07:27:52ミステリに限った話ではない。科学技術など「スキル」の導入は積極的(つまり和魂洋才)であっても、そこには「なぜ」が欠落している。ゆえにそこに芯の通った「自信」は生まれない。前後左右盗み見ながら「ぽい」こと「らしい」ことへ収斂していこうとする心理が働く。
2012-02-17 07:28:13乱歩没後に生じた定見の喪失、自信なきゆえに「ぽい」こと「らしい」ことへ極端に収斂した挙句「トリック偏重」、「○○殺人事件」、エッセンスやガジェットをちりばめることで「本格ぽく」あるいは「社会派ぽく」設えたモノの濫発が起こった。海外翻訳偏重読者の出現は必然であろう。
2012-02-17 07:28:37出版・編集が「自信喪失」の裏返しで「ぽい」こと「らしい」ことを作者に半ば強要する。理由として錦の御旗にした「それが読者の望むことだから」には大いに疑問がある。それは完全にリサーチ不足な「非実在読者」の要望だったのではないだろうか?
2012-02-17 07:29:00「盤面」の向こうを(作り手も受け手も)見失ったのが、いわゆる「本格冬の時代」の正体なのかも知れない。無論「ぽい」こと「らしい」ことの追求は、方向として「不純物除去」にもつながる。「冬の時代」に一方では純化された傑作が生まれたのは決して偶然ではない。
2012-02-17 07:29:27しかし、純化は同時にカオスなエネルギーをこそげ落とすことでもある。「新本格」は出版社の仕掛けに乗る形でスタートしつつ、純化され、牙を失った「本格」に対する食い足りなさから、カオスなエネルギーの復権を試みることとなる(無論そればかりではないのだが…)。
2012-02-17 07:29:49それにつけても「本格」の何という罪作りな「言霊的魔力」であろうか。これは「自信のなさ」の裏返しで、より確からしいモノを希求する心理が一方で働いているのではないか。そうした意味で「本格ミステリ」を考えるという行為は一方で「日本人論」でもある。
2012-02-17 07:30:12海外に「本格」の良い訳語がないのはその証左であろう。「本格」とは何かを扱う場合は、それがパーツやガジェットのような「ぽい」モノ「らしい」モノがいかに揃っているかではなく、それがミステリとしてどのように機能しているのかに「日本」的解釈を施すことになろう。
2012-02-17 07:30:43いずれにせよ「本格ミステリとは何か」と一括りに論じることは、これまで述べたようにベクトルの違うモノをごった煮に論じることであり、交通整理以前に、土台としてのミステリ観の突き合わせ、「本格」とはどのような状態なのか検討することからやり直す必要があるのではないか。
2012-02-17 07:31:22この続きは、現在進行中の日本古代史の解析(「統一」ではなく「割拠」として再考察する)と並行しつつ、「日本」がどのように形成され、「なぜ」言霊信仰が生じたのかについてと最終的には合流していくことになるかも知れないなあ。
2012-02-17 07:31:54