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…その上、大学科目には、(わずかに残された必修授業でさえも)、サンデル授業人気にも見られるように、発表型、討議型、グループワーク型が増えつつあり、2単位の授業の中にも、数多くのoutput型(=コミュニケーション型)の授業が紛れ込んでいる。
2012-02-16 01:37:48学生達は短い時間にinputした知識や技術を使って、短い時間のoutputを繰り返しているだけ。これではすべての授業は、講義も含めて(専門学校的な)実習授業にすぎない。
2012-02-16 01:38:17中曽根臨教審の「個性を活かす教育」以降、大学「大綱化」も「新学力観」もキワードは、特色化、個性化、多様化であったが、そもそも「個性」とか「特色」というものは他者と代替不可能なものを言う。
2012-02-16 01:38:37そして、この種の教育しか受けることの出来ない大学層が、就職難であえいでいる(もはやオフショワ化か、非正規雇用化かIT化によって消失した「潜在的な」高卒労働マーケット)。
2012-02-16 01:40:34全入時代以前、あるいは新学力観時代以前(大学進学率が、1970年代初頭以降1990年初頭まで30%前後に推移していた頃まで)においては、受験勉強が半年から約1年のinputの正念場だった。
2012-02-16 01:41:39(承前)それが、4単位授業が2単位授業になり(通年授業が無くなり)、コミュニケーション型授業が蔓延することになって、受験勉強に匹敵する集中度の高い(outputを延期する)経験がどんどん減少していった。
2012-02-16 01:48:16大学のカリキュラムなど、大綱化以前にはほとんど意識されなかった。違いがあっても、教授個人の(=講座の)質の高低に留まったし、また、またそれでも充分に機能した。大学受験のストックがあったからである。
2012-02-16 01:48:38就職活動において、高学歴=偏差値(受験勉強の質量)と並んで、体育会系が評価されるのは、彼らの健康や体力を企業が評価するのではなく、彼らが運動競争上の「タイム」(=reference)を意識して自分の思考や行動を整えているからである。
2012-02-16 01:52:08就職活動において、高学歴=偏差値(受験勉強の質量)と並んで、体育会系が評価されるのは、彼らの健康や体力を企業が評価するのではなく、彼らが運動競争上の「タイム」(=reference)を意識して自分の思考や行動を整えているからである。
2012-02-16 01:52:08こういったobject=referenceへの集中こそが、inputからoutputまでの長い時間の質量によって形成されるものなのだ。
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