芦田宏直 @jai_an 氏の「なぜ、人物重視にまつわるコミュニケーション能力必要論が声高に叫ばれるのか?」

RT @jai_an 社会の実務現場からする、コミュニケーション能力必要論や社会人基礎論などは、すべて、現在の学校教育の停滞に対する「せめても」能力論だと思います。まともな教育などできていないのだから、「せめて社会マナーくらい」というものです。 「まともな教育」ができていないのなら、を前提にして、せめても能力養成に走ったら、まずます学校教育は衰退するに決まっている。いま、必要なのが、そういった“あきらめ”を跳ね返すことのできるような学校教育本来の再生な訳です。
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芦田宏直 @jai_an

「近代的自由」とは、したがって、〈人物評価〉を止めることから始まったわけです。〈人物〉とはながーい時間によって形成された指標の評価になるからです。世の中の「差別」「偏見」とは、すべてながーい時間によって形成されたものに関わっています。

2013-10-29 22:57:49
芦田宏直 @jai_an

人差別はDNAというながーい時間の差別、民族差別は民族の歴史というながーい時間の差別、その他その他、DNA、民族、階層差別、文化差別、それぞれ万年、千年、百年、数十年という時間単位によって形成されたビヘイビアに基づいた差別です。

2013-10-29 22:58:07
芦田宏直 @jai_an

近代社会は、そういったながーい時間によって形成されたビヘイビアを括弧に入れて、個人が自分の意志や努力で身につけられるビヘイビアによって社会を再構成しようという社会です。

2013-10-29 22:58:22
芦田宏直 @jai_an

試験点数に集約される一回の入試(短い時間の評価選抜)こそが、個人の意志や努力をもっとも反映しやすい「自由な」再構成の原理をなしているわけです。

2013-10-29 22:58:45
芦田宏直 @jai_an

これが、点数を超えて、人物評価にまで拡張されると、結局のところ、その青年が生きてきた10年、20年の平均値(ながーい時間によって形成された実績)によって問われることになります。長くなればなるほど、青年個人の努力の形成物を超える要素が増えていくわけです。

2013-10-29 22:59:04
芦田宏直 @jai_an

東京の名門私立の選抜原理は、まさに「人物重視」試験です。ある種の文化的階層(階層とまで言えないにしても、ある種の文化的グループ)を再生産するための選別なわけです。だからこそ家族面接などが附帯している。

2013-10-29 22:59:26
芦田宏直 @jai_an

したがって、点数だけで選別することこそ、もっとも「人間的」「近代的な」選抜です。動物や植物の世界は、すべて(意志の介在しない条件反射のながーい時間をかけた)「人物重視」選抜です

2013-10-29 22:59:51
芦田宏直 @jai_an

なぜ、人物重視にまつわるコミュニケーション能力必要論が声高に叫ばれるのか?

2013-10-29 23:01:32
芦田宏直 @jai_an

コミュニケーション能力は「社会に出てから求められる」とたやすく言われますが、では、その社会で、コミュニケーションに長けた人がいったいどれくらいいるというのですか。毎日の営業の接遇でも、毎日の社内会議でも、そして国会の審議でも、ほとんど「コミュニケーション」不全です。

2013-10-29 23:02:18
芦田宏直 @jai_an

コミュニケーション能力そのものの範など「社会に出てから」も、どこにもないのです。どうして、死ぬまで追い求めなければならない「ハイパー」な課題を〈学校教育〉に特有な課題であるように語るのか、そこが私にはわかりません。

2013-10-29 23:02:49
芦田宏直 @jai_an

社会にもないからこそ、学校で、その基礎を、という議論もあり得るかもしれませんが、〈範〉不全の状態で、誰がその教員資格を持てるのでしょうか。

2013-10-29 23:03:08
芦田宏直 @jai_an

コミュニケーションそのものの〈範〉があるとすれば、見抜けない嘘をつく方法しかないわけです。本当のことは伝えやすいから、ウソをつくことの方がコミュニケーション上級になります。そうすると、「オレオレ詐欺」の人たちは、最強の教員資格を有すると言えます。

2013-10-29 23:03:23
芦田宏直 @jai_an

私の考えでは、社会の実務現場からする、コミュニケーション能力必要論や社会人基礎論などは、すべて、現在の学校教育の停滞に対する「せめても」能力論だと思います。まともな教育などできていないのだから、「せめて社会マナーくらい」というものです。

2013-10-29 23:03:47
芦田宏直 @jai_an

問題は前半の認識にあるわけです。「まともな教育」ができていないのなら、を前提にして、せめても能力養成に走ったら、まずます学校教育は衰退するに決まっている。いま、必要なのが、そういった“あきらめ”を跳ね返すことのできるような学校教育本来の再生な訳です。

2013-10-29 23:04:02
芦田宏直 @jai_an

また、グローバル化人材対応とは、教育の局面では、英語力対応ではなくて、短大や専門学校程度の資格教育を超えた高度職業人材の育成という点にあります。つまりアジアに流れた低位ジョブ職をコントロールすることができる人材センターとしての日本市場人材をどう形成するかということです。

2013-10-29 23:06:23
芦田宏直 @jai_an

そこに手を付けない限り、日本の若者は高学歴プアーと非正規雇用を脱することができないままに、不毛な20代を過ごすことになります。組織や仕事の基礎を学ばなければならない20代のキャリアが不毛というのは致命的です。

2013-10-29 23:06:59
芦田宏直 @jai_an

つまり家族を形成したり、子供を養育したりする30代、40代になっても年収300万円を超えない“社会人”になる。これこそが今の若者の危機です。

2013-10-29 23:07:31
芦田宏直 @jai_an

英語を話すかどうか、なんてどうでもいいことです。アジアや非正規やコンピュータに奪われた低位ジョブ労働を超える高度職業教育を日本の若者に体験させるかどうかが課題です。大学全入時代はそのチャンスなのです。

2013-10-29 23:07:42
芦田宏直 @jai_an

2011年の文科省中教審「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」は、まさにこの職業教育の高度化課題(高等教育に耐えうる職業教育大学の新設)に取り組んだ答申でしたが、最後には、「中堅」人材、「地域」人材に局限されることになりました。

2013-10-29 23:08:08
芦田宏直 @jai_an

この答申の前座の委員会などでは、「高等教育のグランドデザイン」などが議論されていました。「高等教育のグランドデザイン」とは、一言で言えば、偏差値70の学生(高校三年生)に耐えうる高等教育としての職業教育組織を、リベラルアーツの軸とは別に打ち立てるというものです。

2013-10-29 23:08:38
芦田宏直 @jai_an

残念ながら、現在の大学にはたとえ工学部であっても、たとえば「システムエンジニアになりたい」と思っても、材料工学や熱力学の授業を取らなければいけないというカリキュラムがまだまだ多い。

2013-10-29 23:09:13
芦田宏直 @jai_an

商学部であっても在庫管理やマーケティングの専門家になるには、科目数が圧倒的に足りません。そもそも現在の大学のカリキュラムは91年の大綱化以降、「選択」科目主義が蔓延し、必修科目自体が(124単位以上の卒業要件の中で)20単位あるかないかにとどまっています(特に私立大学)。

2013-10-29 23:09:51
芦田宏直 @jai_an

必修科目が少ないのは、大学が人材像を意識した科目配置を行っておらず、概論主義的な教養主義にとどまっているからです。今の大学に〈カリキュラム〉など存在しないのです。

2013-10-29 23:10:22
芦田宏直 @jai_an

だから高校生が、具体的な仕事をイメージして学部を選択しても人材として卒業できない。一部の自分にマッチする概論授業に啓発されて自分で勉強するしかない。大学内で学生の人材志向が放置されているわけです。

2013-10-29 23:10:48
芦田宏直 @jai_an

偏差値の高い大学の学生なら、苛烈な受験勉強の経験で、それを受験勉強的に再生させて就職準備に備えることができますが、偏差値の低い大学生になるとそのような自立志向は皆無ですから、ますます就職難になる。

2013-10-29 23:11:31