2011年11月6日芦田先生神戸講演 daihikoさんの中継まとめ
- hironakayuriko
- 10154
- 0
- 5
- 34
今の教育のいろいろな問題は90年を前後するところで起こっている。中曽根臨教審 (4次答申まで) のあたりから。 #ashida1106
2011-11-06 09:08:25「教育は中央統制しちゃいけない vs. 教育は国家管理のもとで行うべき」その折り合いをつけたのが「国家的に個性教育をやろう」という中曽根臨教審の結論。うまい落としどころであった。サッチャー・レーガノミクス #ashida1106
2011-11-06 09:11:47中曽根臨教審「学校教育を生涯学習の中に位置づける」「生涯学習があって学校教育がある」というのが前提。とんでもない考え方なのだが、それはここではおいておく。 #ashida1106
2011-11-06 09:14:24「学ぶ」→「学び」という他動詞に変わる。学び合いの先生が大好きな言葉。「気づき」もなかま。「あほじゃないか」 #ashida1106
2011-11-06 09:15:09object志向ではなくて、subject志向。むかしは生涯教育と言っていたが、生涯学習となっていく。先生に依存しない学習に。 #ashida1106
2011-11-06 09:15:561971年学習指導要領「現代化カリキュラム」小学校5821コマ (45分/コマ)、中学校3535コマ (50分/コマ) これが最大だった。ここからどんどん減って行く。 #ashida1106
2011-11-06 09:19:291980年には小学校1%減、中学校11%減。1991年には大学140単位前後で行っていた時間数の下限を124単位に。 #ashida1106
2011-11-06 09:20:351992年学習指導要領「新学力観」=「個性を活かす教育」成績評価に「意欲・関心・自主性」が入ってくる。「いやいや100点取っているのか、好きで100点とっているのか」で成績が変わってくる。 #ashida1106
2011-11-06 09:23:302002年には少し反省。「確かな学力、豊かな人間性、健康と体力などの『生きる力』の教育」ハイパーメリトクラシーが声高に叫ばれはじめる。 #ashida1106
2011-11-06 09:24:4891年大学設置基準の大綱化と高校進路指導の変化 (児見川) 脱稿選択の指導から生き方の指導への転換 (一番生き方があやしいのが先生なのに)、進学可能な学校の選択から進学したい学校の選択への指導の転換 (国語がぜんぜんできないのにジャーナリストになりたい) #ashida1106
2011-11-06 09:29:16新卒から社会接続までの間に隙間のない状態 (いい意味で)。社会は安定していた「シングルトラック」の時代。学生でもなければ社会人でもない自律的な労働者でもない層が出てくる「ダブルトラック」の時代に (本田由紀) #ashida1106
2011-11-06 09:33:55高卒求人数の推移 (児美川) 1992年167万6000件 (ピーク)、2003年19万8000件 (最大の落ち込み)、2010年19万8000件 (再度、最低水準) 高卒者が行き場を失っている。どこ行く? 専門学校と大学に行っているわけ。 #ashida1106
2011-11-06 09:36:04高卒無業の若者が出て行くのを防いできた大学と専門学校 (児美川)。偏差値50以下の大学生、専門学校生は「失業者」と呼ぶべし。低偏差値大学や専門学校は潜在的な失業者をプールする場になっている。求人がないから行き場を失っている。 #ashida1106
2011-11-06 09:37:53大学もたいへん。失業者を受けいれているんだから。キャリア教育をやらないといけなくなるわけだ。キャリア教育とは大学が失業者を教育するということ。「あいさつくらいはちゃんとしろ」というのがキャリア教育。 #ashida1106
2011-11-06 09:38:56「キャリア教育」なんてのは泥だらけの概念。失業者対策。偏差値50以下の大学は形を変えたハローワークだ。中途半端な大学はハローワークの役割さえ果たしていない。 #ashida1106
2011-11-06 09:39:46