2/15芦田先生のまとめ

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芦田宏直 @jai_an

“文化的程度”の低い階層は、知識ではなく、意欲で補うとした中曽根臨教審路線は、むしろ、インセンティブディバイドを拡大し、知識も意欲もない学生層(低偏差値大学の荒廃)を生み出しいる。

2012-02-15 03:53:57
芦田宏直 @jai_an

また、有りもしない〈主体〉(自動詞的な〈学び〉の主体)を強要されるため、過度に内向志向、過度に他者志向な若者を生み出し続けている。

2012-02-15 03:54:20
芦田宏直 @jai_an

教育の現場でも、この種の〈主体〉を前提にした、ワークショップスタイル、ゼミ発表主義、企業丸投げのインターンシップ、実務家教員の増加、起業学生の増加、「キャリア教育」の必修化などが進んでいる。

2012-02-15 03:54:52
芦田宏直 @jai_an

これらは、すべて中曽根臨教審路線における(自動詞的な)〈学び〉の主体論を前提にしている。

2012-02-15 03:55:44
芦田宏直 @jai_an

これらの教育モデルに共通してることは、体系的な教育を拒んでいるということ。

2012-02-15 03:56:09
芦田宏直 @jai_an

体系的な教育とは、inputの期間の長い教育のこと。

2012-02-15 03:57:15
芦田宏直 @jai_an

「なんのために役立つのか」というoutputの誘惑を留保した教育のことだ。

2012-02-15 03:58:31
芦田宏直 @jai_an

outputの誘惑を留保するためにこそ、〈学校〉(学校教育法第一条に「学校とは」と定義された〈学校〉)には校門も塀も、そしてそれらに守られた広大なキャンパスも存在している。

2012-02-15 04:06:58
芦田宏直 @jai_an

現に、学校教育法の「第一条」から遠く外れた専門学校(専修学校専門課程)は、校門も塀もキャンパスもない分、低位ジョブ職的な〈職業教育〉を脱することも出来ず、今回の中央教育審議会答申(2011年1月31日)の主題である〈キャリア教育〉からは区別(=差別)されている。

2012-02-15 04:12:36
芦田宏直 @jai_an

専門学校が差別されてしまうのは、inputからoutputまでの期間が短い教育しかできていないからだ。それは、普通、専門学校の〈実習〉重視教育と言われている。

2012-02-15 04:15:02
芦田宏直 @jai_an

学んですぐに身に付けることのできる、つまり学んですぐに活かすことのできる教育(=実習教育)は消耗教育であって、人を作る教育ではない。

2012-02-15 04:47:43
芦田宏直 @jai_an

つまり専門学校生は、実務現場に立てば一年も経たない内に消耗してしまうような実習教育を“学校(疑似学校)”の体裁をもとに強いられているわけだ。

2012-02-15 04:52:11
芦田宏直 @jai_an

つまり専門学校生は、実務現場に立てば一年も経たない内に消耗してしまうような実習教育を“学校(疑似学校)”の体裁のもとに強いられているわけだ。

2012-02-15 04:53:35
芦田宏直 @jai_an

“文化的程度”の低い階層は、知識ではなく、意欲で補うとした中曽根臨教審路線は、むしろ、インセンティブディバイドを拡大し、知識も意欲もない学生層=潜在的な高卒失業者のプール(低偏差値大学の荒廃)を生み出しいる。

2012-02-15 16:54:15
芦田宏直 @jai_an

また、有りもしない〈主体〉(自動詞的な〈学び〉の主体)を強要されるため、過度に内向志向、過度に他者志向な若者を生み出し続けている。 http://t.co/v0V3lTaI

2012-02-15 16:55:16
芦田宏直 @jai_an

教育の現場でも、この種の〈主体〉を前提にした、ワークショップスタイル、ゼミ発表主義、企業丸投げのインターンシップ、実務家教員の増加、起業学生の増加、「キャリア教育」の必修化などが進んでいる。

2012-02-15 16:55:38
芦田宏直 @jai_an

これらは、すべて80年代後半の中曽根臨教審路線における(自動詞的な)〈学び〉の主体論を前提にしている。

2012-02-15 16:56:06
芦田宏直 @jai_an

これらの教育モデルに共通してることは、体系的な教育を拒んでいるということだ。

2012-02-15 16:56:30
芦田宏直 @jai_an

体系的な教育とは、inputの期間の長い教育のこと。言い換えれば、inputからoutputまでの時間が長い教育のこと。「なんのために役立つのか」というoutputの誘惑を留保した教育のことだ。

2012-02-15 16:57:20
芦田宏直 @jai_an

outputの誘惑を留保するためにこそ、〈学校〉(学校教育法第一条に「学校とは」と定義された学校)には校門も塀も、そしてそれらに守られた広大なキャンパスも存在している。キャンパスの空地は、outputの留保を意味しているのである。大学の反社会性の象徴とも言える。

2012-02-15 16:59:10
芦田宏直 @jai_an

現に、学校教育法の「第一条」から遠く外れた専門学校(専修学校専門課程)は、校門も塀もキャンパスもない分、低位ジョブ職的な〈職業教育〉を脱することが出来ず、今回の中央教育審議会答申(2011年1月31日)においては、その教育は〈キャリア教育〉から区別(=差別)されている。

2012-02-15 17:00:44
芦田宏直 @jai_an

専門学校が中教審答申に差別されてしまうのは、inputからoutputまでの期間が短い教育しかできていないからだ。それは、普通、専門学校の〈実習〉重視教育と言われている。

2012-02-15 17:01:29
芦田宏直 @jai_an

学んですぐに身に付けることのできる、つまり学んですぐに活かすことのできる教育は消耗教育であって、人材を作る教育ではない。

2012-02-15 17:01:55
芦田宏直 @jai_an

つまり専門学校生は、実務現場に立てば一年も経たない内に消耗してしまうような実習教育を“学校(疑似学校)”の体裁のもとに強いられているわけだ。

2012-02-15 17:02:18
芦田宏直 @jai_an

必修授業科目が少なく、選択科目が多い現存の大学カリキュラムの多くも同じ事態だと言える。一科目ずつinputがリセットされるのが選択科目制であるため、息の長い能力の形成が出来ない。文科省がキャリア答申で言う「自立的な」能力が形成できない。

2012-02-15 17:02:42