池田輝政殿の奥方

たまたま見かけた分だけ拾ってみたまとめ。
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池田照政 @ikeda_sen

@null (・_・ )乳 …………… (思案中)

2012-02-21 23:33:58
池田照政 @ikeda_sen

@null ……………… うん。富子は豊かだ。

2012-02-21 23:35:19
池田照政 @ikeda_sen

我 身短小にして勇功あり 知る人ぞ知る 背の高さをもって尊しとせず。

2012-02-23 01:11:29
池田照政 @ikeda_sen

つまりこう言うことだ。→ おれはてるまさ 姫路宰相 武功に優れた男だぜ 長束福島は目じゃないよ 戦築城どんとこい 踊りもうまいぜ まかしとけ

2012-02-23 01:15:29
池田照政 @ikeda_sen

えっと。な。私の妻をな 紹介をしたくてだな …………

2012-02-23 01:33:45
池田照政 @ikeda_sen

私には 正室が二人いる。以前ざっくりとは 話した覚えがあるから、今日は富子のことを。

2012-02-23 01:46:30
池田照政 @ikeda_sen

ん。正室が二人。これではすけこましのようにも聞こえ得るな …… まるで 日替わりで正室を決めていたような。そうじゃないよ。違う。

2012-02-23 01:48:44
池田照政 @ikeda_sen

ただ、継室と言いたくないだけだ。はじめの妻が、中川清秀殿のむすめの 糸子と言う。糸子とわかれた(離縁ととるか死別ととるかは 前と同じく委ねよう)のち、秀吉様の仲介で結ばれたのが 内府殿の次女である富子。というわけだ。

2012-02-23 01:55:20
池田照政 @ikeda_sen

富子。督姫。播磨御前。…… 色々呼ばれている、私の妻だ。

2012-02-23 01:58:42
池田照政 @ikeda_sen

富子は、子への執着がとても強かった。元より気が強いし、少し策略家で はきはきし過ぎたところがあったのだが。 …… 私と前妻の糸子との間には、利隆がいた。ここはいい。

2012-02-23 02:03:14
池田照政 @ikeda_sen

私だって男だからな。側室がいた。側室との間に成した、我が子もいる。上から、政虎や輝高や利政。ちなみに 政虎は私が 二十六の時の子。

2012-02-23 02:11:05
池田照政 @ikeda_sen

…… 糸子との間に、利隆が生まれたのは、私が …… たしか二十の時 かな。それで、側室との間の子の中で、一番年長の男子である政虎が、私が二十六の時に生まれた。富子との間にはじめて生まれた子は 忠継と言って、私が三十五の時に生まれた。

2012-02-23 02:16:24
池田照政 @ikeda_sen

普通なら、長男利隆 次男政虎 三男輝高 四男利政 五男忠継 六男忠雄 ……… (実はもっといるのだが、文字数の関係で省略する)となるはずなのだ。 ちなみに 女子は家系図では基本的に男子の後に並べるから、この際は考えないでおこう。確実に混乱する。

2012-02-23 02:22:14
池田照政 @ikeda_sen

しかし、池田家の家系図では 長男利隆 次男忠継 三男忠雄 四男輝澄。そして政虎はなんと七男になっている。次男と七男の差が、最早まいなすになっていたりするのだ。

2012-02-23 02:24:39
池田照政 @ikeda_sen

側室との子だから と、正室との子に家督が優先されるのは普通であるし 時々、順番を入れ替えることもある。あるが、富子の場合は「自らの子を次男に!」ということを、声を上げてすすめた。 ……… 我が子への深愛が伺えて仕方ない。

2012-02-23 02:29:18
池田照政 @ikeda_sen

富子は内府殿の次女とは先に言った。内府殿の次女であるというのは、一つのすてえたす、やもしれぬ。現に、継室の七光りと言われた事もあるしな。 内府殿がらみの話では、富子をもらい受ける直前に、内府殿に父上の首をとった永井殿のことを尋ねたというのも有名だろう。

2012-02-23 02:38:34
池田照政 @ikeda_sen

永井殿については … まあいい。いつか話そう。 … 富子は私と結ばれたあと、内府殿にあれやこれやと働きかけていたらしい。

2012-02-23 02:40:32
池田照政 @ikeda_sen

少なからず、池田家がここまで繁栄したのは 富子がいたから。父である内府殿に、池田家を守っていただこうとした。それはとても上手くいった。富子がいる間、少しでも池田家中がぐらつくと 徳川家が支え直してくれた。

2012-02-23 02:45:22
池田照政 @ikeda_sen

ただ、富子の、我が子への深愛は年々深まっていた。私がいなくなった後、富子は私の後を、前妻の子である長男利隆よりも、自分の子である忠継に継がせたがっていた。いくら利隆が長男であっても忠継が若くとも、我が子を 池田家の当主にしたがっていたらしい。

2012-02-23 02:51:18
池田照政 @ikeda_sen

それが後の、毒まんじゅう事件の噂を引き起こした。まあ あれは作り話なのだけれど。ざっくりと話せば … 富子が、利隆に毒入りのまんじゅうを食わせようとしていたが、それに気付いた忠継が、利隆の毒入りまんじゅうを先に取って食べた。

2012-02-23 02:53:32
池田照政 @ikeda_sen

忠継は毒で命を落とし、嘆いた富子も我が子の後を追いました と そういう話だ。作り話。

2012-02-23 02:54:46
池田照政 @ikeda_sen

最終的に、播磨姫路の池田家の当主は利隆になった。だが、忠継は (私がいなくなる前からだが)富子の強い強いすすめにより、五つで備前の池田家当主になっているし、富子の子は皆、ごり押しにごり押しで、藩主になっている。

2012-02-23 03:02:21
池田照政 @ikeda_sen

池田家はこの後、国替えを繰り返し、複雑化するのだが、今は富子の話だな。 ……… 先ほど、利隆と忠継との家督争い、のような雰囲気の話し方をしてしまったが。実は、富子と利隆の仲はそれほど悪くない。

2012-02-23 03:05:02
池田照政 @ikeda_sen

利隆の妻はお鶴殿と言って、榊原殿のご息女だ。だが、元々は 利隆の妻は、富子と北条氏直殿との間の娘になる はずだった。 ……… 分かりやすく言うと、連れ子同士。だな。私側(利隆)と、富子側(その娘)婚約の前にその娘が亡くなったから、それは叶わなかったのだが。

2012-02-23 03:09:43
池田照政 @ikeda_sen

仲は良かったのだがな。富子の、我が子への愛がまた 深すぎたのがまあ ……… うん。

2012-02-23 03:12:41