子安宣邦先生-「起こるべくして起こった」南京事件の証言:〈南京事件〉に従軍した火野葦平、そして小林秀雄とのやりとりや二人の記録の戦前・戦後の変更から見えてくるもの。

『麦と兵隊』で有名な従軍作家・火野葦平は南京攻略作戦に従軍していることでつとに有名。従軍の渦中、出征前に発表した『糞尿譚』が第6回芥川賞を受賞している。授与式は戦地で行われたが、日本からは小林秀雄がおもむいた。火野は「南京事件」そのものについては作品で表現していない。しかし、前後の会戦を材料にしたのが「兵隊三部作」。戦前伏せ字で発表された作品、そして芥川賞授与に赴いた小林の証言に耳を傾けると「事件」が必然だったことは明らかであろう。加えて火野が戦後に改訂した作品には「武勇伝」は消え、火野の話を現地で聞いた小林の証言は、戦後の彼の著作集・全集からは削除されている。
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子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

1.火野葦平の年譜を見ると、昭和12年11月5日に火野の属する第18師団は杭州湾北沙に敵前上陸。南京入城後、年末杭州に入城して駐留したとある。この杭州敵前上陸とその後の戦闘が『土と兵隊』に、杭州駐留記が『花と兵隊』に、翌年の徐州会戦が『麦と兵隊』に書かれた。

2012-02-25 00:08:44
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

2.年譜からすれば火野はいわゆる〈南京事件〉時の南京に兵隊として入城したことになる。だが火野は〈南京事件〉について触れることはない。彼の「兵隊三部作」は〈南京〉前後の会戦などを扱うものである。では彼にとって〈南京事件〉はなかったのか。

2012-02-25 00:15:06
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

3.火野が彼の作品からどのように省き、削り、隠そうとも、〈南京事件〉ははっきりとこれらの作品の背後に存在する。『土と兵隊』の11月13日の一節に、火野が杭州戦でトーチか攻略に活躍し、多くの中国兵を捕虜にしたことが書かれている。だがこの捕虜がどう処理されたかは書かれていない。

2012-02-25 00:22:54
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

4.この箇所は発表前に削除されたのであろう。戦後版では火野の手で補われている。だがこの場面の貴重な証言を小林秀雄がしている。彼は杭州で火野の口からこの事件を聞いているのである。

2012-02-25 00:26:46
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

5.「火野君は七人の兵を連れ、一番大きな奴(トーチカ)に、機銃の死角を利用して近づき、通風筒から手榴弾を投げ込み、裏に廻って扉をたたき壊して跳り込み、四人を斬って、三十二人の正規兵を×××で縛り上げたと言う。(続)」

2012-02-25 00:34:55
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

6「(続)一たん縛った奴は中々殺せんものだ、無論場合が場合なので、わしは知らなんだが、夕方出てみると壕のなかに××××××××××おった。中に胸を指して××くれという奴があっての気の毒で××てやったがな。」(小林「杭州」、戦後版からは削除)

2012-02-25 00:42:54
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

7.これは火野の戦後版の書き込みとは全く違う武勇談という語り方である。これは南京入城の一ヶ月前の日付をもった虐殺事件についての語りである。これは戦争に伴う当たり前の事件として語られている。〈南京事件〉は起こるべくして起こった事件である。

2012-02-25 00:50:05
子安宣邦 @Nobukuni_Koyasu

8.小林の記すこの証言は、戦後の彼の著作集・全集からは削除されている。削除することで、彼らは〈事件〉を内側に塞ぎ、抑え込んだのだ。だが〈事件〉が抑え込まれたことを知らない、バカなお調子ものが〈事件〉が無かったといったりする。これは隣国を二度犯す、犯罪的な物言いである。

2012-02-25 00:58:41