西陵考

「雰囲気で重要だと語られる場所」シリーズ第二弾。 西陵について簡単にだが価値を考えた。途中脱線もしてる
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Jominian @Jominian

実際には、よほど狭隘な道に築かれた堅牢な城塞で、且つ、そこを通らないとまともに軍隊が通せない、という場所でなければ、迂回はできるだろうし、監視や包囲によって無力化しつつ進むこともできるだろう。前進して勝利することができるなら、後方に敵城塞を置いたまま進んでも構わないはずだ

2012-03-04 16:54:14
Jominian @Jominian

西陵は、長江という優れた交通線を扼す位置にある。この地で一度開けだし、江陵だけでなく臨沮への道も現れる。江陵への道は、西陵を南下するとまた少し険しくなり、猇亭で再度開ける。猇亭から先はあまり起伏が無く、大軍の展開に適した場所になる。

2012-03-04 17:01:39
Jominian @Jominian

西陵は無視しうるか、と言うと、益州から攻める場合、何の処置も行わないというのは不可能だ。西陵は通過せねばならず、放置すれば連絡線が脅かされる。最低でも西陵からの出撃を抑える監視の軍を置かなければならない。迂回の難しい位置にある城塞は、前身による戦力の減衰を早める。

2012-03-04 17:20:22
Jominian @Jominian

その城塞そのものの獲得を目的とする場合、最終的な陥落は必須である。しかし、そうでない場合は、包囲や監視で対応することが可能ならそうすべきである。また、敵の軍事力を破砕し、救援の芽を潰してしまえば、城塞は自ずと陥落する。城塞よりも敵軍事力をこそ重視すべきであろう

2012-03-04 18:20:20
Jominian @Jominian

巨大な城塞は、守るべき場所も多いため、防衛に大きな戦力を要する。しかし、それでも攻める側よりは少数で十分である。また、攻める側も、その目的が監視であれば、敵の出撃を潰せばいいだけなので、多くの兵を張り付ける必要は無い。攻者が監視を目的とするなら、徒に城塞に兵を置くのは愚策である

2012-03-04 18:23:42
Jominian @Jominian

徒に城塞に兵を詰め込んでも、余分な兵は役に立たないばかりか、城塞内の物資の枯渇を早める足枷となる。城塞での籠城は救援があるか、敵の損失が城塞獲得の利益を上回る時点まで引き伸ばさなければ敗北する。物資の消費を早めることは、城塞をより早く陥落せしめる。

2012-03-04 18:27:42
Jominian @Jominian

城塞を監視するだけの攻者にとって、城塞に籠もるだけの敵は怖くない。敵の出撃が予想される幾つかの地点をよく監視すれば良いだけであるし、城門などのそういった地点は、隘路の出口と同じで、出る側が不利だからである。敵に撃って出る意思が無く、ただ籠もるだけなら尚更楽である。

2012-03-04 18:51:12
Jominian @Jominian

従って、力攻めによって陥落させる気が無く、ただ無力化するだけなら、包囲する側は城塞の守備兵より多くの兵を包囲に割く必要は無い。鍾会は漢城と楽城の包囲に敵の倍の戦力を置いた。これが監視だけを目的としていたなら、多すぎる。諸葛緒の戦力を取り込む前に、これらが回せたはずだ。鍾会は慎重だ

2012-03-04 18:57:32
Jominian @Jominian

鍾会の誤算は、姜維が剣閣に入ったことだ。「剣閣で守る暇を与えず前進し、一気に四川へ雪崩れ込む」のが彼の構想であり、それが為されていれば、諸葛緒の戦力を取り込むほど前線の戦力が必要になることはなかった。つまり、漢城と楽城への戦力の割き方は、あの時点での鍾会の余裕を示している

2012-03-04 19:04:39
Jominian @Jominian

西陵は、丁度長江が三峡を抜ける位置にある。仮に益州側の勢力が西陵を手にしたとしても、これを救援するには、この三峡の出口を突破しなければならない。水上戦闘を避けることが出来たとしても、西陵にて上陸作戦を行う必要がある。救援は非常に難しいと考えて良いだろう

2012-03-04 23:59:19
Jominian @Jominian

西陵に向うには大きく三つの道がある。益州から長江を下るもの、江陵より長江を遡るもの、そして当陽から山地を抜け、臨沮を経て北より迫るもの。この内、長江を使う道は良好な水上交通線を用いることができるが、益州側からは先述の通り、到達は厳しい。最も良好な道路は、江陵より西進する道である

2012-03-05 00:02:02
Jominian @Jominian

西陵を益州側の勢力が手にしたとしても、維持が困難であるし、敵の侵攻を拒止するという事であれば、巫や永安でも事足りる。西陵の奪取に大きな利益はないと見ていいだろう。ただし、荊州を攻撃する際には、連絡線の防護の為、可能であれば陥落せしめるべきである。呉にとっての合肥と同じである。

2012-03-05 00:04:24
Jominian @Jominian

翻って、陸抗の西陵の戦いはどうか?彼は西陵の陥落を極度に恐れていた。しかし、地理的に考えて、西陵は益州の勢力が保持するような場所ではなく、楊肇がそうであったように、襄陽からの救援も大軍では行えない。例え西陵が落ちても、これを奪還するのは難しいことではないはずだ。

2012-03-05 00:07:53
Jominian @Jominian

では何故、西陵を重視したか。陸抗自身の言葉を借りれば、西陵が落ち、そこに晋軍が居座ることに拠る異民族への影響であろう。彼が言うように、西陵への晋軍の進駐によって、武陵蛮などの異民族が蜂起すれば、それへの対応に追われ、西陵奪還の軍を捻出し難くなる。結果として、江陵の守りも手薄になる

2012-03-05 00:10:26
Jominian @Jominian

陸抗が西陵の戦いにて防戦を繰り広げた時、彼の軍勢は3万程度だった。これでは、西陵奪還の軍に加え、晋の救援軍への対処、更に異民族の蜂起が加われば、対応は不可能だ。陸抗の判断は、彼の戦力の絶対数が不足していたことに起因する。しかし、揚州にも軍はあったはずであり、武昌にもいただろう。

2012-03-05 00:13:37
Jominian @Jominian

陸抗は、そもそも、東からの救援を当てにしていない。当てにしていないから、それに合わせた対応をとる。実際にも、東から救援が来た様子がない。陸抗の判断は、それがそのまま揚州との信頼関係の喪失を示している。

2012-03-05 00:19:37
Jominian @Jominian

西陵は、本来は益州や北の勢力にとって保有する利益は無く、荊州の勢力がその防衛を絶対的とする場所ではない。しかしながら、幾つかの条件が重なると、荊州の勢力もその防衛に力を割かねばならない。しかしながら、荊州の勢力が西陵を保持することの利益は大きいので、そうしたコストは許容できる

2012-03-05 00:22:35
Jominian @Jominian

魏や晋が西陵に固執したことは無く、劉備も呉を攻めた際は西陵を無視した。これが正常である。荊州南部の中心である江陵の攻撃と並行することで、西陵攻撃は意味を持つ。合肥に拘った呉との対比は面白い。

2012-03-05 00:24:31
Jominian @Jominian

呉が目前も拠点に気を取られるのは、合肥についてだけではない。蜀が滅んだ時、呉は益州へと兵を出した。しかし、その軍は永安に張り付けられ、まともに前進できなかった。永安も西陵同様、荊州側から保持できる場所ではなく、呉の目的も永安には無かったはずだ。しかし、呉軍は進まなかった

2012-03-05 00:26:03
Jominian @Jominian

呉のこうした特性が、その戦略の幅を狭めているのは明らかである。なぜ、呉が目前の拠点攻略に拘るのか、を考える必要があるだろう。しかし、それはまた別の話。

2012-03-05 00:29:30