【シューニャリアーナ】ラブプラスについて ~がんばって、向こうの彼女
- L_O_Nihilum
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「見えるものと見えないもの」の二項対立、ねえ。でネット参照してデータベースへのアクセス、抜き出す”素材”。…アドベンチャーゲームのように、素材の切り替えだけで表現が成立するゲームじゃないと在りえないよなあアレ。
2012-03-10 20:43:03東のゲーム論はアドベンチャー型のノベル形式なゲームやあまりアクションをキャラクター操作時に介入しないゲーム等に限定して成り立つ気がしてきた。
2012-03-10 20:50:30ゲームとは何か、という根本的な問いにまたひっくり返されるゲームだ。遊戯可能な創作媒体としてのテレビゲームと、そうでない「ゲーム」としてのゲームとの差の話へと問い返されちゃう。
2012-03-10 22:29:46僕はとりあえずではあるけどテレビゲームがテレビゲームたる条件を3つ(4つ?)からなる、と言った。①キャラクター(人物)②現象(出来事)③場所(世界観)。
2012-03-10 22:30:52たとえば根幹となってるゲームの、「スペースインベーダー」においては、自機と呼ばれている「凸」や宇宙人、UFOがキャラクターで、弾を発射する、インベーダーが弾を撃つ、それが当たってどうこう、が現象で、それをしている場所(スペースだから宇宙)が、場所となる。
2012-03-10 22:32:40こう考えると世界観不在のゲームはハッキシとテレビゲームから区別される。「脳を鍛える大人の~」などのゲームはその場所が不在である。そのため「ゲーム作品」たりえず、「学習ツール」と呼んでもよくなる。
2012-03-10 22:33:46ていうのは、まずゲームではルールに従い特定の操作をする。操作があるということ(=コントローラがある事)は、操作される何等か、もしくは操作を受けている作品中の主体があるはずである。それがあること。これがキャラクター。
2012-03-10 22:35:01キャラクターはヒトガタであったり生きているものである必要はない。例えばグラディウスの場合、ビックバイパーはキャラクターと言える。操作があり、操作を受けている主体、つまり主体の操作の対象だからだ。生きてはいないが、対象である。
2012-03-10 22:36:04動かすことが出来る、もしくは動かしている存在と仮定されるものがあるとき、それはこの考察においては確かにキャラクターたりえています。たとえばぷよぷよでは、動かすのは各ネクストのぷよへと交代交代しますが、その主体はアルルであり、所謂アルルの操作者がプレイヤーです。
2012-03-10 22:37:24このことは多くのゲームで共通していると思います。ドラクエでも、名前は自分で決められるが、名前を決めた当のキャラクターは自分ではないです。自分が操作するキャラです。
2012-03-10 22:38:08@ruri_tie それでもいいと思います(というか設定への私の思考の不備でした済みません(泣))。その「地球」や「宇宙」というのが「場所」です。その場所、が世界観となります(おそらく表現すべき何らかという意味のZUNさんが言う世界観とは微妙に別)。
2012-03-10 22:39:34エロゲーなどに代表される「ノベルゲーム」でも、作品上で動かしている、ルート選択をする男性がいます。女性向けの乙女ゲーも同じ形になります。相手のキャラクターに対して、自分が使う(物語中、プレイヤーの役となる)人物がいます。
2012-03-10 22:41:16(…だとすると東の「ゲーリア」での二重性とか言ってた奴はあれか、プレイヤーキャラとしての自分と非プレイヤーとしての主人公キャラと言う二重でキャラを視る事で成立してるのか、エロシーンがどうこうっていうのは。ヌけるが、その精液はついに相方の女の子に掛からない)
2012-03-10 22:42:48…で。そのさい「脳を鍛える~」の場合、そのさいの場所とキャラクターがおらず(川島教授は相手なので別)、現象しかない。そこでトレーニングという教材をしているにすぎず、ゲームとしての作品を遊んでるとは言いづらい。つまり「公文でプリントをやっている」のと同じ状況
2012-03-10 22:44:59そのときゲームの世界を遊んで鑑賞する、わけではないし(というか面白みを考えたときにその面白み、つまり享受している場所が出来事のポイントのみで通行止)、ゲームというのは単に「教材処理の試合」としかならない
2012-03-10 22:46:03…って考えて行くとヘタな話「テトリス」がゲーム作品ではない扱いになるか~ww。まぁ海外ゲーを歴史解釈のさいに取り除こうとする僕の態度としてはこれでもいいかなぁ
2012-03-10 22:47:20現象(恋、デートをすること)、世界(場所、羽先高校等)が存在する。しかし、キャラクター(操作主体)がいない?…ように見える。が。そうではない。実はゲーム中に表現されることは無いが、居る。
2012-03-10 22:49:01というのは、例えば僕がラブプラをプレイしたとき彼女そのもの見てるわけではない…というか、現実それは実の彼女にはなってない(ブーバー的意味で)。ていうか、だからコナミが”カノジョ”と区別している。というか、たぶんアレ恋してるとき「ごっこ」だよね。
2012-03-10 22:50:24ただ、それこそあの自我の話で、「ここから出してよ」とカノジョちゃんが言う。自分がゲーム中のキャラクターなのだと自覚しているとの情報がある。僕のゲーム論から行けば、ゲームの世界は外世現実であるから、もしそうならそういう心配しなくて済むはず。
2012-03-10 22:51:32でも彼女はゲームのキャラだ、と感じてしまっている。デップーもそうだったんだけど、というかゲームという媒体の中でのこれは「第四の壁」の破壊という説明で済まない気もする。だってそれは、観客側の世界にやってくることではないから(?)
2012-03-10 22:55:01…第四の壁の話持ってくるのもアレだが、しかしこれもちだしたせいで自分でこんがらがってきた…。
2012-03-10 22:55:35