それぞれの3月11日 hanagonsさん

12
@hanagons

@hanagons 実は両親が自宅に避難して来てからが問題だった。第一の問題として食糧が無い。第二の問題として、父の体調管理の問題。夫はあてにならない。マンション理事の仕事も出てきてすべて私にのし掛かって来た。 まずはどうするべきか、どこからやっつけるか。

2012-03-11 12:37:36
@hanagons

@hanagons 被災地の男性陣は、大抵復旧業務で動かされる。被災者だとしてもまず動かさないと、救助が進まない。なので、管理会社と子供会の人にどうすべきか私なりに相談をした。 一応、理事会が震災のすぐ後ある予定だったのでそこで住民で話をしようと持ちかけた。

2012-03-11 12:41:16
@hanagons

@hanagons 周りのママ友が見えない所で動いてくれて停電の状況やら、学校の事、行方不明の問い合わせなどを調べてくれた。 そして、住民での話し合いが始まった時に管理会社の人も来た。 そこで、人の本性やら本質を見せつけられる訳で、ある意味勉強になったなと思った。

2012-03-11 12:50:52
@hanagons

@hanagons 管理会社の人も被災者だ。 そこで住民の一部から出た言葉は理事は今まで何をやっていた!という言葉と、管理会社は、住民の生活を守るのが義務だろうという罵詈雑言。 このままではと思い鬼になる事にきめた。もうどう思われようとかまわない。知るか!

2012-03-11 12:53:44
@hanagons

@hanagons ずっと議事録等を手伝いでまとめていた私は、口を割って入った。「今そんな事言って、事が進みますか?!だったら、あなたもアイデア出してくださいよ!他の人は協力して電力に電話掛けて問い合わせしてるんですよ!あなたはしてくれたんですか?」

2012-03-11 12:57:10
@hanagons

@hanagons 今、聞きたくも無い話聞いて凹んだ。震災で人の心は狂ったんだ。まともに生きる人が馬鹿をみるのか?

2012-03-11 13:10:31
@hanagons

@hanagons 住民の話し合いをしている途中、他の住民の方が「近くまで電力が来てるぞ!呼びに行こう!」と叫んだ。何人かで手分けして電力会社を探す。とにかく、この暗闇を何とかしなきゃ。辺りは真っ暗。「電力さーん!」とみんな手分けして探す。徐々に周りの家に電気が付いていった

2012-03-11 13:21:14
@hanagons

@hanagons ようやく、電力さんをつかまえて電気が点く順番がまわって来た。1時間後、とりあえず専用部、そしてまたその1時間後共用部の電気がつく。歓声があがった!電気が付いた!水が出る!でもテレビを見たら、津波の映像が流れ続いていた。 そうだ…弟が見つからない。弟は…

2012-03-11 13:26:18
@hanagons

@hanagons 弟は震災後メールをくれていたが、そこから5日間行方不明だった。消息を絶ったのは沿岸部の地名。 弟の事は忘れていた訳じゃない。けど、どこかで大丈夫だろうって思っていたんだ。でも、あの映像がその思考を拒む。両親を支えなければならない。私がしっかりしないと

2012-03-11 13:30:27
@hanagons

@hanagons 父は体調が思わしく無く、持病があるので薬が手放せなかった。 私は自分のクロスバイクを出して「とりあえず病院行って薬もらってくる!だからウダウダ言わないで待ってろ!」と怒鳴る。親不孝な娘だ。年老いた両親にきつい事しか出来ない。

2012-03-11 13:35:57
@hanagons

@hanagons その当時、どこかで気を張ってないと、ぶっ潰れそうで、泣いて崩れて二度と立ち上がれそうに無くて、どうすれば良いんだろうと。家族を安心させ、親を支えなければいけない。 無理やり笑い、明るく振る舞い頑張ってた。けれど…そんな時あなたは大丈夫よと何気なく言われた

2012-03-11 13:46:36
@hanagons

@hanagons その言葉が実は私には毒になった。誰にも頼る事も泣くのも拒まれたみたいで。そんな時、ようやく津波の水が引いた。覚悟して実家を見に行く。 悲しい通り越して、死んだ町。まさに目の前に広がる光景は死んだ町。 音も色も、すべてが死んでる。 なぜこうなってるの?

2012-03-11 13:52:24
@hanagons

@hanagons でも泣いてもいられない。とにかく今は生きる事。お腹を空かせた家族にご飯を食べされる事。そんな時に原発が水素爆発した。外には出るなの報道。でも、そんな事言ってられるか。被曝?上等じゃないの!と雪の中買い出しに並ぶ。そんな中、何時間も並んで買えるのは10品まで

2012-03-11 14:01:13
@hanagons

母と買い出しに並ぶ。そんな中、周りで赤ちゃんを背負った人が買い物をしている。周りの人が声をかける。一人一人が一品ずつ買う物減らして子供の為に買える物まわす。オムツ、ミルク、離乳食など。大人は我慢できる。 これは自然発生していた事だった。

2012-03-11 14:06:04
@hanagons

@hanagons 努めて明るくとにかく家族が増えたので、ご飯を食べさせるそめだけだった。帽子を被りマスクをしてダウジャケットを着てリュックを背負い雪の中でもクロスバイク出して買い出しへ。さすがに雪の中でドリフトしてしまった時は涙目だった。

2012-03-11 15:32:02
@hanagons

@hanagons マンションの理事として、共用部の部屋を子供の為に自由開放を提案し、子供たちのストレス解消を優先事項とし、そしてマンションの壁は何時の間にか情報の共有の場所となって行った。 そこには、スーパーの開店時間、オムツを差し上げますなどの書き込みなどがあった

2012-03-11 15:36:14
@hanagons

@hanagons とにもかくにも、できる事を協力してやらなければならない。お風呂が入れられたので、近所の人に入ってもらった。だって都市ガスの復旧はひと月掛かると言われたから。 子供の友達、近所の赤ちゃん、とにかく入ってもらった。

2012-03-11 15:43:14
@hanagons

@hanagons そんなこんなで徐々に普段の生活に近づきつつあった。 買い物も徐々に出来る様になり、久々に飲んだ牛乳が美味しくてたまらなかった事。並んで買った肉でみんなで焼肉をした事 私が主に心掛けたのは、子供に不安を与えない。子供の為に馬鹿にもアホにもなるって事。

2012-03-11 18:03:02
@hanagons

@hanagons それがどんな風になるかはまだ分からない。けど仙台中心部は、とにかく若者が頑張っていた。今までかったるそうに見えた若い子達が、率先して頑張ってる姿を沢山見た。美容師で、シャンプーをして、そのお金を全額募金にしている子達、小さいのにお店を手伝う子とか。

2012-03-11 18:06:14
@hanagons

@hanagons そんな状態をみれて、何か暗かった時に希望を見出したのは事実。そして、化粧なんてと思っていたのに一番最初にお化粧をし出したのも若い子達だった。個人的にすごく元気を貰った。若い子が引っ張ってくれているそんな気がしたんだ

2012-03-11 18:08:48
@hanagons

@hanagons 今、仙台に生きる私が出来るのは、とにかく元気にみんなで楽しんで生きてやろうという事。 震災の被災者は、生死は紙一重だったから。津波の犠牲者だって一年前死ぬなんて思わずに亡くなったんだ、だからこそ、遺された者は精一杯生きなければダメでしょう。

2012-03-11 18:11:52
@hanagons

@hanagons 確かに原発の問題もあり将来に不安はある。けれど、放射脳がいう5年後とか言うのならば逆に見返してゲラゲラ笑って生きてやろうと思う。本当に。亡くなった人達の分まで。 それが最大の仕返しだし。東北に生きる者の努めでもある。東北は負けはしない。

2012-03-11 18:15:04
@hanagons

@hanagons まぁ、こんな感じで文章はかなり変ですがまとめてみました。 個人的にイロイロな方達に助けていただきました。 そして、全国の皆様からご支援感謝いたします。いつか復興した東北を見てやってください。 ありがとうございました。

2012-03-11 18:17:33