哲学の立ち位置に対する雑感

まとめました。
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@imaginaryset

JPOPや少年漫画や自己啓発が繁盛してるところを見ると、殆どの人にとって哲学は不要なものとして認識されてるだなぁと実感する。殆どの人にとって、既存のルールの中で眼前のタスクを処理することが重要であり、既知の説明体系では理解出来ないことは、見なかったことになる。

2012-03-16 11:36:57
すがき(離脱中) @sugaki

それって、日本だけの事なんでしょうか。また、特殊なことなんでしょうか QT @imaginaryset JPOPや少年漫画や自己啓発が繁盛してるところを見ると、殆どの人にとって哲学は不要なものとして認識されてるだなぁと実感する http://t.co/y3YRycF2

2012-03-16 11:40:11
@imaginaryset

そこで重要なのは自分を律するためのインセンティブ、モチベーションであり、その養成のための「自己責任論」「サクセスストーリー」。自分の認識や思考を再度検討するをせずにいる。

2012-03-16 11:41:31
@imaginaryset

@sugaki 日本だけのことか?と言われればそうではないと思います。アメリカでは「ポジティブシンキング」が過剰にもてはやされていた時期がありましたし。「ある程度社会システムや一般に流布している価値観が合理的で公平」な時代であれば「精神論」は重視されやすい印象があります。

2012-03-16 11:50:23
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset だとすれば、哲学とは、やることのなくなった暇人が考える事、と言う事もできますよね。基本的に、まずは目の前の事に注意が行くのは不思議なことではないと思います

2012-03-16 11:54:46
@imaginaryset

@sugaki 基本的にはそうだと思います。ただ「やることのなくった」暇人だけでなく、「自分のやること、やらねばならないことに疑問や違和感を感じる」人も哲学しています。私の場合、幼い時から感じていた「自殺願望」がサルトル「嘔吐」の主人公の悩みに近いところから来るものだと感じてます

2012-03-16 12:03:23
@imaginaryset

@sugaki その意味でやるべきこと(私の場合は生きることそのもの)の意味づけを考え、答えを出すことは、私にとっては眼前のタスクを処理することよりも重要だと感じてますし、もし「嘔吐」を読んでいなければ今頃自殺していたかもしれません。

2012-03-16 12:06:47
@imaginaryset

@sugaki 自分を誤魔化して、取って付けたような価値観、行動原理に基づいて、暫定的な行動をし続けることに限界を感じる人はいますし(今の私がそうです)、其れについて考えることは、かえってプラグマティックな行動(自殺の阻止)のためにもなると思います。

2012-03-16 12:14:07
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset ただ、いずれにせよ普遍的で誰もがやるべきことである、というわけではないですよね。やらない、やる環境にない日本社会がおかしい、というようなニュアンスに取れたので、確認しました

2012-03-16 12:16:48
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset とある人が「自分を誤魔化して、取って付けたような価値観、行動原理に基づいて、暫定的な行動をし続け」ているとして、そこに疑問を持つかどうかは別の話ですよね。その「価値観」自体、取って付けたと思っていないかもしれない(続

2012-03-16 12:20:57
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 逆に、どんなに自分で考えて出した答えのつもりであっても、疑問を持つ場合だっていくらでもありますよね。即ち、自分が獲得している感覚が、何に由来しているかどうかは、関係のない話だと思います。関係があるとすれば、「由来」にだわるかどうかかと

2012-03-16 12:24:03
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset ちなみに、この一連の話は善し悪しの問題ではないと思っています(そうあるべきと言っているように感じた点を除けば)

2012-03-16 12:24:44
@imaginaryset

@sugaki 私の立場は「哲学は万人に必要ない」「誰も哲学しない社会は危険」です。大多数の人にとっては少年漫画のようなシンプルでマッチョなストーリーの中で自分を確認する方がhappyですが、大多数に漏れた人のセーフティーネットとしての哲学ももう少し市民権を得てもいいとは思います

2012-03-16 12:25:16
@imaginaryset

@sugaki 何をもって「取って付けたような」と感じるかは普遍的な意味はなく、思想的な過渡期に感じる一種の「気分」だ思ってます。今の私は「精神論」や「マッチョイズム」に対して「取って付けたような」と感じましたがメタ的に自分の価値観を批判する人は必然的に感じる「気分」だと

2012-03-16 12:30:40
すがき(離脱中) @sugaki

これが、私が先程のように読み取った根幹かもしれませんね。とはいえ、市民権というのは多数派の同意を得るということですから、その大切さをわからない人が多いと難しいですね QT @imaginaryset 大多数に漏れた人のセーフティーネットとしての哲学ももう少し市民権を得ても

2012-03-16 12:30:52
@imaginaryset

@sugaki 「言葉で」思考する時点で「他人の思考に準拠して」考えるということですから、真のオリジナリティは存在しません。その意味で過去の自分の価値観を「取って付けたような」「他人に迎合した」と感じるのは必然的なものだと。未来の私は実存主義を「取って付けた」と感じるでしょうし

2012-03-16 12:37:44
すがき(離脱中) @sugaki

これはそう思います。そして、そこにこだわらざるをえないかどうか、なんだと思います。実際の所「取って付けた感」は、自分が納得出来る説明に出会えない事に由来しているように思います QT @imaginaryset 自分の価値観を批判する人は必然的に感じる「気分」だと

2012-03-16 12:38:06
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 結局は「納得感」なのかなと思います

2012-03-16 12:43:04
@imaginaryset

@sugaki そうですね。哲学は暴走すると、モラルハザードを起こしやすいですから、共同体の維持という点では、あまり流布しない方がいいと思います。日本人の倫理観の高さも此処に起因してるでしょうし。ハイソで上品な嗜みみたいな位置づけの市民権が理想です。

2012-03-16 12:43:56
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 一番の問題は、例えば欧米の哲学がそれこそ暇人の知の遊技として「市民(奴隷を持つ存在ですが)」の嗜みであったのに対し、日本では社会の支配層がそのようなバックグラウンドを持っていないところでしょうね。彼らが否定したら下はやれませんから

2012-03-16 12:50:57
@imaginaryset

@sugaki そうなんですよね。現在の日本では社会不安が高まっている事が、かえってプラグマティックで既存の説明体系で理解しやすいスキルの獲得に拍車をかけているように感じてます。就活のためのTOEICやコミュニケーション能力とか。意識の高い学生がみんな同じスキルの向上に努めてます

2012-03-16 12:59:39
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 結果求め過ぎちゃうところが、多分大きく影響してるんだろうなと。生きる死ぬに関しても、理念的に云々ではなく「これより生活レベル落としたら生きてる意味ない」とかのパターンもありますし

2012-03-16 13:04:49
@imaginaryset

@sugaki 成程。生活水準を死守しようとすると賭けに出にくいですね。中途半端に裕福な層が多いと、「叩き上げ」の人も「自分の好きな事だけ出来る人」も少なくなって、「パラダイムシフトを起こそう」という人が減少しそうですね。

2012-03-16 13:15:39
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset ですね。少なくとも、ギリギリ頑張る事で生活満足度の高さを維持している状況では、現状を肯定すれども思考する時間は作りにくいでしょうし、そもそも日本がずっと突っ走ってきた流れは、頑張る事で現状を維持しあわよくば上にゆく、ですから、そな余地はないのかな、と

2012-03-16 13:22:37
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 実際の所、個人が哲学的な思索をする上で、広く社会が認める必要はないのかな、とも思います(多分否定自体もしてないですし)。それよりは、思索するもの同士がそれを肯定することで「自分は実は反社会的ではないか」という疑念を払拭できれば、やりやすくなる気もします

2012-03-16 13:29:09