哲学の立ち位置に対する雑感

まとめました。
1
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 一方で、哲学を扱う人がドヤ顔で提示した考え方が、どうも違和感一杯、我田引水感満載にもかかわらず、賞賛の声と共に受け入れられたりするのもアレだよなぁと思ったり。意外と、現実とは向き合っていない人が多い印象ではあります

2012-03-16 13:32:39
@imaginaryset

@sugaki 確かに。勤労倫理が徹底していると「努力していない者に厳しい」社会になりがち。「哲学は役に立たないから、努力じゃない、仕事じゃない。」が一般的な認識ですから。努力仕事認定されるためには既存の説明体系の中にいないといけませんが哲学はその枠組み自体を俯瞰しないといけない

2012-03-16 13:36:28
@imaginaryset

@sugaki その違和感は私にもあります。社会的に認められるためには「人の役に立つ必要」がありますから。ただ、哲学者が「社会的に役に立ってないけど、凄いことやっているかっこいい人」って認識がスポーツ選手みたいに普及しないのは、個人的は残念でならないです。

2012-03-16 13:43:22
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 残念な気持ちはわかりますが、目に見えない以上は当然の反応でしょう。例えば朝から晩まで会社にいるだけの父親が尊敬されにくいのと同じですよね。あと、生活の糧を得る行為と一般レベルの哲学的思索は同時並行できるものですから、片方で成功しておくのも手かと思います

2012-03-16 13:47:00
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset ただ、やはり役に立つか立たないかというよりは、他の考えはおかしい!とやっちゃう人がいて、その論に実は違和感を感じる事も多いんだよな、という事ですね>先程の意味合い どっちにしろ、哲学の外にいる人に取ってみれば「なにやってんの?」の域は出ませんけども

2012-03-16 13:49:49
@imaginaryset

@sugaki 「他の考えはおかしい」とやる事自体は哲学の外側(厳密な議論の外側)に言葉を届けやすくなるので、生存戦略としては合理的だとは思います。要は周りの人がその意図を理解した上で相手の言葉全てを信じずにメタ的に自分で考えれば良いのかなぁと。

2012-03-16 13:58:34
@imaginaryset

@sugaki 違和感を感じる言説は、その違和感から発した綻びから弁証法で淘汰されるでしょうし。自分の幸せのに軸を置くのなら、自分の哲学が唯一絶対だと信じれたほうがいいです。その信条と議論の流儀は、別の所にあっても(背反であっても)いいと思います。重大な責任を持つ権力者でなければ

2012-03-16 14:04:03
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 生存戦略はあまり機能していない気がします(爆) 興味を持ったら読むのでしょうけども、普通は見向きもしませんし。むしろ、哲学論壇的には自分の意見に凝り固まって他を認めない事の弊害の方が大きいと思います。まあ、自説ですから拘るのは当然ですけども

2012-03-16 14:06:44
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 問題は、論壇に属していない人が違和感を唱えても権威主義に押されて「自分が間違ってるのかも」と思ったり、不毛な論争(人格攻撃や逆の意味での固執)に突入する事です。実際の所、構造主義的なものに対する違和感は昔からありますが、淘汰される気配はありません(爆

2012-03-16 14:08:26
@imaginaryset

@sugaki 成程。私は哲学に興味を持ち始めてまだ日が浅く、50年単位での思想史の変遷をみてそう感じたのですが、現状はあまり流動的で活発ではないのですね。このテーマに対する皮膚感覚レベルでの私の理解はまだ及んでいないようです。

2012-03-16 14:20:34
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 例えば日本では、明治以降の裕福な知的階級が様々なものを取り入れた過程、戦後の裕福な市民上がりの大学生が喧々囂々やったこと、ぐらいしかない印象です。とはいえ、思想史自体はとくに勉強したわけでないのですけどもね……

2012-03-16 14:25:38
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 私自身は学問的なアプローチではなくて「人付き合い・コミュニケーションってなんだろう」っていう実生活上の疑問点から始まっていて、そこで得た実感をどう解釈するの試行錯誤でした(続

2012-03-16 14:28:29
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset それに対して(あるいは、その分野の事に関して)「それはこういう理由である」と言われても「は?違和感ありまくりなんですけど?」となることも多いのですよね。物の言い方的に立ち位置が全然ニュートラルでないと感じる場合も多数あって、「それ単なる悪意じゃん」とか

2012-03-16 14:29:55
@imaginaryset

@sugaki 私もそう思うことが多いです。ただ、一般論として哲学は「マジョリティはこう言ってて、其れのせいで自分は抑圧されている。悔しいから反論しよう」という動機が多く、其れに引きづられてしまうのは、人間である以上ある程度仕方がないでは?と思ってます。

2012-03-16 14:39:24
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset それはわかります。ただ、その姿勢自体は哲学の考えている内容を貶める行為でしかないと思っています。要するに、影響はされるとしても、別物でしかないので

2012-03-16 14:42:46
@imaginaryset

@sugaki 成程。「貶めてる」という感覚は私にもあります。ただ、人文系の議論が自然科学よりも、一つの体系に纏まらず、再現性のないものになりやすいのは、特殊性を大切にする事の裏返しで、多様性を認めるときに必然的に付随するものなのではないかと思ってます。

2012-03-16 14:55:30
@imaginaryset

@sugaki そこが論理や言葉という一般性を志向するもので、特殊なものを理解しようとする限界なんだと。文章、画像、動画のようなインターフェースを頼らず、直接他人と脳内を共有する技術が開発されない限り、根本的な解決にはならないと思ってます。

2012-03-16 14:59:18
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 特殊性を見出して「こんなものがあるよ」ならよいのですが、「本来はこれが普遍的なものなのだ!」とやってしまうのは違いますよね。でもそういう感覚を受けることが多いです。あと、その人の考えとして多様性を見出す時に、他の考えや否定したい存在を罵る事は不要です

2012-03-16 14:59:33
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 親和性が高いので、ついつい「罵って」しまいやすいですが、必然としてしまうのは、事象の切り分けが出来ていないからだと私は思います

2012-03-16 15:00:27
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 共有の問題ではないんです。あくまで、相手を尊重しているかどうかだと考えます。理解できなくても尊重することはできますよね

2012-03-16 15:04:27
@imaginaryset

@sugaki 自分の考えを論理に落とし込めることは、他人と考えを共有する意図があるからで、論理的表現をとった時点で他者に否定される覚悟は必要だと思います。其れ以外の所で感情的に他者を否定するのは忌避すべきですが。

2012-03-16 15:27:21
@imaginaryset

@sugaki 今の私では自分が表現したいことを上手く言語化出来ていないので、また日を改めて、すがきさんと会話したいです。今日は有難う御座いました。

2012-03-16 15:29:46
すがき(離脱中) @sugaki

@imaginaryset 否定される覚悟は当然持つべきでしょう。ただ、感情的な否定もそうですが、罵ったり悪意に満ちた表現をしたりするのは、「おやおや……(微笑)」という残念な気持ちになるということですね。人としてどうなの?という。もちろんモノを考えるのに人格は関係ないとして

2012-03-16 15:30:21