rsmoon さんが語る「諏訪の古代史」

これはじっくり読んでみたいと思ったのでまとめました。 rsmoonさんは、博学で音楽がお好きでお料理が上手というとても魅力的な男性です。 そして無類のクジラ好き。(食べる方)
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S.Takei @rsmoon

14)言ってみれば洩矢一族の私的な祭祀の場になった、ということ。ミチャグジ神の祀りの場は、あくまで前宮で、守屋山頂の前宮ではない。現在の前宮が古代から、諏訪の信仰の中心であり、その後、建御名方神を祀った本宮のための前宮ではなく、ミチャグジ神の祀る場が前宮。

2012-03-17 23:31:40
S.Takei @rsmoon

15)だから前宮には元々本殿がない。ミチャグジ神には本殿は必要ない。なぜなら、自然を構成する物に―樹木や岩石など―憑依することによって、初めて人の前に姿を現すから。御神体ともニュアンスが異なる。

2012-03-17 23:32:37
S.Takei @rsmoon

16)前宮は洩矢一族とその末裔である守矢神長官が、ミチャグジ神を降ろす聖なる場所。だから前宮があれば事足りたわけで、後から造られた本宮、秋宮、春宮にも本殿はない。本宮ができてからも前宮が諏訪の信仰の中心であったことは明らかで、重要な神事はすべて前宮で行われていた。

2012-03-17 23:34:09
S.Takei @rsmoon

17)建御名方神の子孫と言われた神氏・諏訪家諏訪家の稚児が、現人神になるために神を降ろすのも前宮で行われ、その準備期間は神長家で行われている。大祝の館も前宮にあり、言い伝えだが現在拝殿がある場所は、建御名方一族の古墳であると言われ、

2012-03-17 23:35:54
S.Takei @rsmoon

18) 大祝(現人神)が存在するようになっても、前宮に祭事に必要なすべてが集中していた。ただ、時代が経つにつれ本宮が主体となる神事もある。ひとつには七年遷宮が、本宮に移ってしまったこと。

2012-03-17 23:37:46
S.Takei @rsmoon

19)縄文の色彩が強い諏訪での中心的な神事の場は、湖の南側の前宮と本宮に残り、弥生人が住み着いた下位段丘の沖積低地の岡谷、下諏訪側に下社、秋宮、春宮が成立したのだと思う。上社と異なり(特に前宮と)弥生的な色彩が濃い下社の性格から弥生人のための信仰の場として成立したと思っている。

2012-03-17 23:39:37
S.Takei @rsmoon

20)縄文人と弥生人の住み分けの歴史が、上社と下社にそのまま表れていると言える。春宮、秋宮の下社には弥生の風を感じるけれど、上社では縄文の風を感じる。特に前宮では、とても純度の高い縄文の風を感じる……(終わり)

2012-03-17 23:40:36