【故郷・伊平屋島】

ぼくが育った、沖縄県は最北端の離島、伊平屋島へ吐き出したものをまとめます。まだまだ続く予定。
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大見謝@ケケケ @0mija

【伊平屋島】ぼくが育った島は沖縄・最北端に位置し、人口は千をほんの越えるほど。本島へのフェリーが1日に2度。台風が続けばとじこめられる。コンビニなんてのはないし、道路が混むことなんてまずない。信号機なんてのは一つだけある(交通安全訓練のため)そうthe不便。そんな島で育った。

2012-03-15 18:37:48
大見謝@ケケケ @0mija

【伊平屋島・2】そんな不便に勝るものは?と言えば、やはり自然、強調すれば、海。観光地として開発が進んでいない分、そのフェアトレードとしてのエメラルド感は壮絶。島の大きさは、車でまわれば1時間あるかないか。島の人たちは、農業、漁業を中心に、あとは生活をやりくる為の施設で働く。

2012-03-15 18:46:24
大見謝@ケケケ @0mija

【伊平屋島・3】特産品は、黒糖、泡盛(照島)、もずく、養殖ヒラメ。時期がくると、製糖工場はフル稼働してがむしゃらにはたらく。そこでの仕事は、人間性が排除されるほどきつい。しかし賃金の低い島では、だいぶカネになるそう。その代償がおいしい黒糖として流通する。産業のためにヒトが泣く。

2012-03-15 18:55:12
大見謝@ケケケ @0mija

【伊平屋島・4】話は変わり、学校は保育園、小学校、中学校がひとつずつ、それと小中学校がひとつ。いまでこそ橋でつながり、ひとつの島だが、昔は伊平屋島と野甫島でべつべつ。小中学校は野甫島にある。ただでさえ小さな島なのに、学校がばらばら。なんか小学生ながらに「変だなぁ」と感じてた。

2012-03-15 19:00:37
大見謝@ケケケ @0mija

【伊平屋島・5】ただ互いに仲違いをしてた、ということではなかった。昔の体制を引き継いだだけのようだ。ただそんな中でも橋を隔てた微妙な壁は、同じに島にいながらの交流を阻んでいると感じてた。ちなみに移動は基本「車」。免許をもたぬ島人は、おじぃおばぁをのぞけば、ほとんどいなかった。

2012-03-15 19:07:32
大見謝@ケケケ @0mija

【伊平屋島・注釈】長崎で生まれ、9才まで横浜で育ち、それから沖縄・伊平屋島(親の生まれ故郷)へ。島に高校がないので、16才から那覇へ。大学からは東京。今も東京に身をおく。国内で痛烈なカルチャー・ショッックを何度も体験。そんな人間が「伊平屋島」を吐き出す作業をしている。続く。

2012-03-15 19:14:08
大見謝@ケケケ @0mija

【伊平屋島⑥】ぼくが育った島では、島民のほとんどに顔が知られている、でなくても「〜んとこのガキか?」とその情報はあって、ある意味悪いことはできない。だからこそ、島民みんなが、どこのこどもでも「面倒みれる」ようなポジティブな習わしがあったのかもしれない。

2012-03-18 00:22:07
大見謝@ケケケ @0mija

【伊平屋島⑦】そんな場所だけで暮らすのであれば、現代の「ソーシャル」な技術はいらず、ヒト対ヒトだけでことは運んでしまう。個人的に感じてるのは、伊平屋島だけで人生が終わらせられない状況になったので「外のことを知る」「自分たちを知ってもらう」ためのソーシャルな力は必要なのかも。続く。

2012-03-18 00:25:36