- donadona_No5
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@brikix 第1話で2機もザクを倒しているガンダムもけっこうすごいですが、出撃とか変形合体してないですから。「ガ・キーン」は本編尺短いのに、親子断絶から学会追放から「おめえのパンチ効いたぜ」とか本当にいろんなことやって、BANK全部やって、それで敵を2体撃破なので。
2012-03-19 03:06:35@Ryu_Hikawa すごい情報量ですよね。状況説明とキャラ紹介と事態の進行を、別々にやっていたらあのスピード感は出ないと思われました。それらが相互に絡んで進む、心地よいいっしょくた感、みたいなものを感じたのを覚えています。といいつつずいぶん忘れたので、また見たくなりました。
2012-03-19 03:10:36@fujitsuryota 作画レベルの話だと1978~1979年がターニングポイントになっていそうな気はします。1978年さらばヤマト。1979年カリオストロの城、銀河鉄道999(映画版)。いま見てもそん色ないものといま見ると古く見えるものが混在していたのがこの時期かなと。
2012-03-19 03:13:17@shinjk やっぱり「80年前後」が潮目の代わり時なんですよね。講座ではそんな話をしたのですよ。
2012-03-19 03:14:33リアル≒アニメではないか、という藤津さんの指摘は卓見ではないか、と思った土曜日の夜。ただ、それだと「リアルとは何か」という問いは、アニメとは何かという問いになってしまって、問題が大きくなるか、問いの意味がなくなるかのどちらかなのが難しい。(続)
2012-03-19 10:55:53(承前)そもそもガンダム以前に、TVアニメの表現の革新があり、表現者の成熟があり、ファンの誕生(成長)があったという前提がないと、「リアルとは何か」という問いは成立しないし、それを前提とするとたちまち、それは「アニメの成立」という問題に直結してしまう。(続)
2012-03-19 11:00:00(承前)だから、「うる星」「マクロス」「ミンキーモモ」がリアルの枷を外しているのは重要で、3作品がその後のアニメのかたちを規定したのとともに、アニメブームを解体したのも当然といえる。(終)
2012-03-19 11:05:24@ogawab 整理してくださってどうもありがとうございます。「リアル≒アニメ」に思い至るのが遅すぎた、という反省はさておいても、「空間感」「デティール」「設定」「ドラマ」の4点で、70年代半ばからの主要作品をリアル寄りかそうでないかで検討すると、何か見えるかもと思いました。
2012-03-19 11:09:19@ogawab あと講義でいいわすれたけれど、アニメブームにおける宮崎駿(「コナン」「カリ城」)のポジションの特殊性も、もうすこし具体的に位置づけられるかも、とは思うのです。 リアル(表現)≒アニメ(文化)という構図を敷けば。
2012-03-19 11:12:11@fujitsuryota 「リアル」をビジュアルの問題にした瞬間に、前提条件がすっぽり抜け落ちて、見通しが悪くなる感じがしました。ひとつひとつの論点は間違ってないんだけど、なぜそんなことを問題にするのかのパースペクティブがどんどんもやに包まれていくような。
2012-03-19 11:16:21@ogawab そうですね。最後に指摘あったように「美意識」の問題だと最初に見通せれば、もうちょっとわかりやすかったかもですね。
2012-03-19 11:18:18@fujitsuryota そういうことでいうと(当時)「なぜリアルということが問題とされたのか」と問いを立てる方が、見通しはききやすいのではないでしょうか(と、いま思いついた)。あとは、自動的に進化の方向性が決定づけられた、と。
2012-03-19 11:17:48@fujitsuryota こちらこそすいません。「アニメ」から宮崎駿や松本零士が振り落とされていく過程がひとつのポイントかもしれませんね。
2012-03-19 11:23:18@ogawab そこは視野には入っていたんですが、構成上、メインルートに織り込めなかったんですよねー。「ロマン」については、「さらヤマ」の回でざっと検討したというのもあったりして。
2012-03-19 11:24:43@ogawab 真面目な話、アニメ史試論で考えたものより前に進んだ感じはしているのですよ。答えになっているかならないかわかりませんが(とほほ
2012-03-19 11:28:59