気仙沼在宅支援プロジェクト

平成24年3月17・18日に東京で開催された日本在宅医学会の第1日目、勇美記念財団助成シンポジウム公開市民講座の第2=震災の真実 応援医師の立場から「気仙沼在宅支援プロジェクト」。愛媛県松山市にある医療法人ゆうの森たんぽぽクリニック永井康範先生の講演をまとめました。
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飛び立ちかねつ鳥にしあらねば @2703_12824

永井「被災後1週間くらいで日本医師会からJMATの募集。参加を即決。22日に当院第1班が気仙沼入り。当初は避難所での診療を想定。薬を大量に購入して行った。実際に被災地に入ってみるとDMATが統率のとれた診療を行っていた。」

2012-03-17 23:36:24
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永井「DMATの朝の会で僕が在宅専門クリニックから来ましたと自己紹介したら、ある先生が、これから在宅が必要になる、後で私のところへ来て下さい。一緒にやりましょうと。タオルの捻じり鉢巻で。気仙沼市立病院の横山先生でした。」

2012-03-17 23:43:51
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永井「横山先生。被災当初びしょ濡れになった低体温の患者が運ばれて来たが、それ以降いっこうに救急受診がない。今回の災害は津波で亡くなった人と、津波に遭わなかった人はぴんぴんしてる。救急受診も あんまりない。どうしたんだろうと思って自分でリュックサックを背負って被災地を回って行った」

2012-03-17 23:58:56
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永井「そしたら、避難所にも行けない在宅患者さんたちがたくさんいて。避難所にはDMATの先生たちがたくさんいる。十分。在宅で取り残されている人たちがたくさんいると考えた。」

2012-03-18 00:09:53
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永井「気仙沼の特徴。海の町というイメージがあるが、内陸部は山間部。内陸部は全然被害に遭ってない。ただ家は無事だが停電がずっと続いてた。(スライド)これは海の近く。小高い丘になってて90近いお婆ちゃんが寝たきり。褥創ができたということで往診に行った」

2012-03-18 00:16:42
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永井「こうしてみると、下は壊滅的被害。しかし家は全く無事。ロウソクを花瓶に入れて火事にならないように生活していた。こういう風に長い所では3か月間停電。ギャッジアップベッドが動かない、エアマットが潰れてぺしゃんこになったり。ひどい褥創がたくさんできていたようです」

2012-03-18 00:29:24
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永井「先ほど(亀田総合病院の)小野沢先生が言われていた石巻との違いは、石巻はほとんど津波でやられてしまったが、気仙沼は陸地で、残っていた在宅患者さんたちがたくさんいた」

2012-03-18 00:38:36
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永井「気仙沼在宅療養支援プロジェクトというのは被災後にできた褥創をとにかく治療しようと。市役所が被災して要介護者の台帳やコンピュータが全部使えない状態だった。そこで、在宅で困っている人たちのニーズを全戸訪問で拾い出す。その中で診療と看護につなげていって」

2012-03-18 00:54:00
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永井「多職種の連携で在宅医療のレベルを上げる。それは被災地の方だけではなかなか難しいので、全国の在宅医や訪問看護師、訪問歯科医や栄養士も含めてボランティアで呼びかけてつないでいく絆プロジェクト」

2012-03-18 01:01:36
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永井「震災前、気仙沼市は気仙沼市立病院で8割以上の人が亡くなるという、市立病院におんぶに抱っこの地域だった。巡回療養支援隊に入っていただいた村岡先生という開業医の先生が20人程度診てて、あとは開業医の先生が数人を診ているような状況で、在宅医療としては非常に低いレベルだったようだ」

2012-03-18 01:13:02
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永井「それが全く機能しなくなった。村岡先生の診療所が流されて、気仙沼中学校に身を寄せて診療を行いながら私たちの活動を一緒に手伝ってもらった。当初の目的は被災でできた褥創を治す。要介護4や5の寝たきりの患者さんで、ひどい褥創のある患者さんに絞って診ていくようにした」

2012-03-18 01:21:06
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永井「幸い4週後ぐらいには全国の在宅の先生方や訪問看護ステーション、たくさんの方々が集まって高いレベルの在宅医療が展開できたと思う。ただ、最後の地元に引き継ぐゴールを見すえた支援をしないと。あまりレベルを上げすぎても。たくさんの先生が来られたら地元の人は却って不安になってきた」

2012-03-18 01:32:17
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永井「今はいいけど、いつひいて帰るのかなあ、と。そんな不安が出てきたりしたので、最後のゴールを見すえながら、あまりレベルを上げすぎてもいけないし、回りの被災地のレベルを上げていくような努力もしないといけないと考えるようになった」

2012-03-18 01:38:26
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永井「市立病院の横山先生が行政とのパイプ役になったり、地元の調整役を買って出てくれた。ピックアップされた褥創の治療を私たち全国から来た在宅医や看護師たちで回って行く」

2012-03-18 23:53:49
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永井「(スライド)横山先生が考えた巡回療養支援隊ですね。JRSと呼んでいます。SHAREの沢田先生が主体となって、あと宮城大学の先生方、神戸の震災を経験された兵庫県の保健師さんたちに要介護者のピックアップを全戸訪問でしていただいた」

2012-03-18 23:49:06
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永井「そして巡回療養支援隊の本部長に村岡先生に座っていただいて、地元の先生に引き継いでいくというプロジェクトだった」

2012-03-18 23:55:18
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永井「当初の活動目的は、まず要介護者をピックアップして拾い出し、実際の褥創患者の訪問診療と看護を行う。当初は保健師さんや看護師さんが避難所に寝泊まりして避難所の人たちの生活に追われてて、もう2週間ぐらいお風呂に入ってない状況だった」

2012-03-19 00:03:53
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永井「そういう避難所に寝泊まりしてくれる看護職や介護職の支援ボランティアのコーディネートなども仕事に入っていた。その後は被災後に発生したとにかく褥創を治療する。地元の医療看護体制とか」

2012-03-19 00:05:32
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永井「少し時間がたってくると入院して避難していた患者さんの退院支援。介護保険の事業所が動くようになってくると地域の連携のコーディネート」

2012-03-19 00:11:05
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永井「ケアマネージャーとかボランティアセンターの方、医療だけじゃなく介護関係の人たちも朝夕のミーティングに参加されるようになった。そして地元の在宅医療の基盤作りまで一緒にやっていく」

2012-03-19 00:11:37
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永井「(褥創のスライド)私たち在宅の専門医でも年に1、2回見るかどうかという骨が出たりするようなひどい褥創があっという間にできてしまう。こういう褥創を治療しつつ、中にはもちろん亡くなられたもいるが、半年かけて治療を終えたと思っている」

2012-03-19 00:16:35
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永井「(グラフのスライド)最初、うちの診療所。患者ゼロから始めて12年かけて600人になったが、最初の1年間はだいたい10人ぐらいの紹介があって、1年で5、60人まで行った。患者ゼロから」

2012-03-19 00:18:28
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永井「同じように巡回療養支援隊は最初の開始の時から毎日10人とか、5、6人の紹介があって1週間したら50人を越えて、2週間したら100人を越えた」

2012-03-19 00:20:58
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永井「在宅専門クリニックを1年間立ち上げる状況を1週間で作っていく。それだけ増えていくということはそれだけシステムを作り上げていく必要があったわけで」

2012-03-19 00:26:47
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永井「僕が在宅専門クリニックを1年間で立ち上げたことを1週間で凝縮したような。もちろん、地域の皆が復興に向けてがんばろうという意識があってまとまっていた。そういう状況だったのかなと」

2012-03-19 00:33:01