市民に開かれた哲学とは何か:哲学カフェ VS 哲学道場
しかし、それゆえにこそ哲学カフェは超-哲学あるいは反-哲学)的な対話法だとも言えるのではないか。見ず知らずの人たちがたまたまあるテーマに興味を抱いてその場に集まり、言葉を交わしあう。対話の運動は誰にも統御できず、そして誰もが出入り自由という、二重に「他者」へと開かれた空間。
2010-06-12 01:44:04まだまだ全然言い足りないけれど、目が疲れてきたのでとりあえず今日はここまで。そう考えると、高橋さんの深夜0時からのツイートの持久力は、さすがは作家だと唸らざるをえないな。内田さんにしても書くことへの執念には凄まじいものがあるし。対して俺には書きたい欲求がほとんどないのな。
2010-06-12 01:53:41進行役が意見を言わないのは、介入していくと議論のペースがめちゃくちゃになるからです。意見の交通整理ができなくなる。議論の流れが読めなくなるので。
2010-06-12 02:06:10哲学用語を使ってはいけないというのは、私の参加した哲学カフェではなかったなぁー 使ってもいいけど、知らないひとが、どんなひとのどんな概念なのかわかるように説明してくださいという注釈はあります。
2010-06-12 02:10:42ルールはいたってシンプルだったはず。「人の話は最後まで聴く」「自分の意見を押しつけない」「できるだけわかりやすく話す」ぐらい。その他は進行役によりけりです。名乗ってはいけないというのはなかったような。
2010-06-12 02:15:25@goodmad あ、そうだったんですかー その場にいなかったので何とも言えないのですが、今回問題になっているカフェではそのあたりが説明不足だったんですかね。割と時間がかつかつだったのでしょうか?
2010-06-12 02:20:33@livre_camphrier 50人の定員を明らかに超過して、かつ二時間で終了の前提で、未発言の方にどんどん発言していってもらうというのでは凝縮した言い方をせざるを得ませんが、しかし立場の端的な表現としての極論も禁止で、抽象的な言葉の説明時間もないとあっては窮屈でした。
2010-06-12 02:24:48@tatsuw0 そうそう。道筋きまってるからね。ある程度。あ、ちなみにとぅぎゃりんぐはこれてすー つhttp://togetter.com/li/28376
2010-06-12 02:30:35@goodmad なるほど。その人数で未発言のかたどんどんだと、確かに議論が深まらないですね。哲学カフェは本来なら発言しないという選択肢もありなんですが。極論禁止というのが気になります。どういうことだったのでしょうか?
2010-06-12 02:34:30@livre_camphrier 「極論を言われるとついて来れない方もおられるので控えてほしい」とのことでした(一言一句正確ではない私の記憶です)。思考実験のようなことは言うべきでないのかな、と解釈しました。
2010-06-12 02:37:07極論は禁止ではなくて、押しつけが禁止なんじゃなかったかなぁー もちろん極論を自分の意見として表明するのはありです。そこにつっこみもくるし、なぞがあれば質問が生まれる。極論ということばの意味の認識が異なっていたら少し違うかもしれませんが。
2010-06-12 02:40:01@goodmad なるほど。そんなニュアンスの説明だったんですね。それでその環境となると、確かに窮屈かもしれませんね。場によりますが、哲学カフェすべてで禁止というわけではないと思います。思考実験も、説明を加えられたらまた議論が膨らんでいく可能性もありますし。
2010-06-12 02:47:34