@ynabe39 そうでしょうか.もちろん「実在」という言葉の定義にもよりますが,心・意識は,身体や脳の機能あるいは何らかの現象にすぎなく,(通常の意味での)客観的な実在ではなく,それなしにこれまで意識と呼ばれた現象や人間の活動はすべて説明されるという考えが主流だと思いますが.
2012-04-03 10:01:37@masanorihikawa そうではない、と言ったのがギブソンです。知覚は「感覚情報を元に脳が作り出すもの」ではないというのがギブソンの主張の中核です。
2012-04-03 10:23:43@ynabe39 知覚は「感覚情報を元に脳が作り出すもの」ではないについて反対する人はほとんどいないと思いますが,そこから「心は実在する」まではあまりに距離がありすぎるお思いますが.
2012-04-03 10:37:18じっさいギブソンが言ったことを要約すれば「われわれがそのように見たり感じたりするのは世界がリアルにそのようなものだからである」というだけなのだが,そのことが心理学にとってどういう意味があるのかを説明するには手間がかかる。
2012-04-03 10:37:36@masanorihikawa 心の働きや「心のコンテンツ」と(物質的な)リアルワールドとの「直接的な関係」を基礎に置く考え方が「心の実在論」だと思います。
2012-04-03 10:41:58たとえば「錯視」の問題をどう考えるか。錯視は長い間「人間の知覚があてにならない例」「脳がリアルワールドと違う知覚を生み出す例」ととらえられていたがギブソンはそうではないという。
2012-04-03 10:47:16@ynabe39 つまり「物理的な言葉では説明できない心のコンテンツ」の実在を認めるということでしょうか?
2012-04-03 10:51:28錯視の話。錯視では「物理量と心理量の差異」が問題にされるが,ギブソンは「もともと知覚されているのは物理量ではなく事物のアフォーダンスである」という。そして「アフォーダンスも(量と同様に)事物が物理的に持っている性質である」とする。
2012-04-03 10:54:42ミューラーリヤー錯視。http://t.co/bkvNcG3D これは「同じ長さの線が長く見えたり短く見えたりするエラー」だというのが普通の考え。
2012-04-03 10:57:33しかしミューラーリヤー錯視のような「かたち」がリアルワールドにあるとしたらどのような場合か。たとえばこういう場合。 http://t.co/QLto8vkX
2012-04-03 10:59:00自分の近くにある事物と遠くにある事物が同じ大きさの網膜像を結んだとしたら実際に大きいのはどちらか。ミューラーリヤー錯視では「実際に長い線が長く見えているだけ」であり,それを幾何学図形に置き換えてしまったことで「錯視が実は正しい」ことがわからなくなっている,ということ。
2012-04-03 11:01:16ギブソン的には錯視図形というのは「トリックアート」のようなもので,もともと「生態学的には正しい知覚」を生みだしている知覚システムを意図的に誤動作させているだけということになる。ギブソンが「知覚は正確である」と(心理学の「常識」に挑戦することを)言うのはそういう意味。
2012-04-03 11:03:59これを見たあとに http://t.co/lC1sZAFQ これを見ても http://t.co/6JiIsUKn 同じことが言える。
2012-04-03 11:06:03線路の奥側にある枕木の長さは同じだが奥にあるほど短く見える。であるなら奥にあるのに同じ長さ(大きさ)に見えるものは実際には前にあるものより長い(大きい)。人の目は「実際の長さ(大きさ)」を見ている。
2012-04-03 11:07:23錯視図形はレーニンの本にも引用されているほどの「心理学の大発見」でつまり「自分の目に見えているものがすべて事実とは限らない」という19世紀の人類の大きな「気づき」を後押ししたのだけれど,ギブソンはもう一度「目に見えているものは事実なのだ」と言ったわけです。
2012-04-03 11:16:48ギブソンは大戦中に飛行機の操縦にかかわる知覚の問題をずっと研究していた(させられていた?)んですが,それがその後の彼の考えに色濃く反映されていると言われます。@takuramix
2012-04-03 11:22:40自転車の例はギブソンも書いていました。自転車で移動することによって生じる「目に見える景色の流動」が自転車を操縦する体の動きをコントロールしている。 @takuramix
2012-04-03 11:29:28