大河ドラマ『平清盛』第十四回について勝手に補足! 頼長さんの男色日記

『平清盛』第十三回の、終了間際…… 一瞬だけテレビに映った次回予告のワンカットは、世間の評判となりました。 何せ山本耕史の演じる藤原頼長が、同性を(性的な意味で)襲っていたのですから…… そう! 続きを読む
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衆道古典bot @syudo_bot

(お知らせ1)毎週日曜20:00より放映中の大河ドラマ・『平清盛』。その先週の次回予告には、一瞬のみながら「藤原頼長が男に戯れかかる」シーンが映りました。さてさて『清盛』視聴中のフォロワー各位におかれては、今からテンション上がりまくりの向きも少なくないのではないかと!

2012-04-08 12:31:40
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(お知らせ2)みんなの公共放送が、全国のお茶の間に堂々と平安男色シーンをお届けする……その快挙を記念し、当ボットも大河放映に合わせて特別仕様となります。すなわち20:00~20:45の間、かの『台記』より艶っぽい記述ばかりを次々と抜き出してお目にかけようかな……っと!

2012-04-08 12:36:40
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(お知らせ3)あ、ちなみに『台記』とは、史実上の藤原頼長が遺した日記であります。で、その中には「男×男」の記録があけすけに綴られているため、一部じゃやたらと有名な歴史資料だったり。そんなこんなで、本日夜は当ボットと共に盛り上がりましょうぞ!

2012-04-08 12:41:39
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(夜お知らせ1)大河ドラマ『平清盛』放映に合わせ、当ボットもしばしの間、『悪左府応援! 特別モード』に切り替わります。すなわち20:00~20:45の間、史実上の頼長が遺した日記(通称『台記』)からの引用だけをつぶやきまくります。しばしのお付合いをいただければ幸いです。

2012-04-08 19:51:40
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(夜お知らせ2)なお、ドラマ中で頼長のエジキになるのは平家盛らしいのですが、実際の『台記』中にその二人が(性的な意味で)絡む記述は見つかりません。ゆえにフィクションはフィクション、史実は史実と、それぞれ割り切ってお楽しみ願いたく。平伏。

2012-04-08 19:56:40
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「深更に下人の狩衣を借り着て、或る羽林へ向かふ。門外に語らひ、具に遊放す。尤も軽々なり」 from『台記』・康治元年(1142)2月7日

2012-04-08 20:01:40
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「宿所より参る。深更に或る舞人を召し、懐抱す。寵、甚し」 from『台記』・康治元年(1142)3月1日

2012-04-08 20:06:40
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「今夜、内辺に於いて或る三品と会交す。年来の本意、遂げ了(おは)んぬ」 from『台記』・康治元年(1142)・7月5日

2012-04-08 20:11:39
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「或る人に謁す。本意を遂ぐ。喜ぶべし、喜ぶべし。為す所を知らず。更闌帰宅し、或る四品羽林と会交す」 from『台記』・康治元年(1142)11月23日 (引用者注・あ、「羽林」ってのは役職名のことです。今で言うところの「ボディガード」的な存在)

2012-04-08 20:16:40
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「或る羽林来る。良(やや)久しく言談す。濫吹有り。人知らず」 from『台記』・康治2年(1143)2月5日 (引用者注・ここで言う「濫吹」とは、「ふざけた行為」程度の意味合いかと)

2012-04-08 20:21:40
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「深更、或る所に向かふ。彼の人、始めて余を犯す。不敵不敵」 from『台記』・天養元年(1144)11月23日

2012-04-08 20:26:39
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「彼の朝臣、精を漏らす。感情を動かすに足る。先々も、常に此の如き事有り。此の道において往古に恥じざるの人也」 from『台記』・久安3年(1147)1月16日

2012-04-08 20:31:40
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「四月七日より始め、今日に到るまで、一百三日、其の間、余、千手陀羅尼五千遍、礼拝三千三百三十遍を満たす。魚を食らわず、女男を犯さず。是、八三の除病延命を祈るなり」 from『台記』・久安3年(1147)7月20日 (注・「八三」とは、恋人の「秦公春」を意味する符牒らしく)

2012-04-08 20:36:40
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「巳の刻、家に帰る。魚を食ふ。男女を犯す」 from『台記』・久安3年(1147)7月21日 (引用者慨嘆・恋人の病気平癒を願う苦行が終わった翌日に、すぐさま「魚を食ふ」、そして「犯す」! しかも、「女」のみならず「男」まで……流石です悪左府!)

2012-04-08 20:41:39
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「今夜、義賢を臥内に入る。無礼に及ぶも景味あり」 from『台記』・久安4年(1147)・1月5日 (引用者注・「義賢」は源姓。ついでに言えば、木曾義仲の父・頼朝の叔父。またこの日の紙面には、本文の後に“不快の後、初めてこの事あり”という添え書きが。果たして何があったのか……)

2012-04-08 20:46:40
衆道古典bot @syudo_bot

以上をもちまして、本日の特別企画・『春の頼長ヨガりまくりフェア』を終了いたします。なお『台記』中の男色記録は、ここで紹介した以外にもたくさんあります。ご興味を持たれた方は、ぜひご自身でも色々エロエロと調べてみていただきたく! それでは以後、当ボットは通常モードに戻ります。平伏。

2012-04-08 20:51:40

ところで。上掲においては「悪左府」というあだ名を使いまくってますが……第十四回の劇中、山本頼長は他の登場人物から「内大臣」と呼ばれており、この時点ではどうもまだ左府(左大臣)には昇進してなかったっぽいです。一応、ご注意まで。

もうひとつ、補足の補足をば。
実際の頼長は妻帯者であり、また『台記』中には「男」のみならず「女」を相手にした日もポツポツ見受けられます。
つまり、彼は男色一直線な人だったわけではありません。
両刀です!

また当時の宮中には、かかる趣味が大いに流行しており、男の身にて男を抱くのは決して頼長ひとりのみではありませんでした。

『台記』・久安3年(1147)9月12日条と13日条では、鳥羽院にも「そういう趣味」があることが示唆されています。

頼長とほぼ同時代の貴族である九条兼実の日記(通称『玉葉』)でも、寿永2年(1183)8月2日条で後白河院の熱愛(もちろん、お相手は同性)について触れられています。

以上、これまた念のため。