- peroperopero
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@peroperopero さて、ドンブリ仏教ばなしを続けるよ。返信はいつでも結構よー。ここまで言葉を否定的に用いることで無我を説明してきたよね。今度は逆に言葉で作られた世界に行くのだっ。
2012-04-11 23:15:53@peroperopero 「世間」って言葉はもともと経典の中の言葉。それも、いい意味では使われていない言葉。仏教の異名に「出世間の教え」ってのがあるくらいで、さとりにおいて脱出すべきものとして語られるのが世間。
2012-04-11 23:17:58@peroperopero こんばんは。確かに人間は言葉で考えるから、その言葉に執着するな、といわれたら変な感じになっちゃうよねー。でも、慣れてきたら言葉の海を泳ぐことが楽しくなりますよー。
2012-04-11 22:45:33@peroperopero 人間は群れる。牙も爪も堅い甲殻もない人間は、言葉を筆頭に意思疎通の方法を発達させて群れそのものを武器にした。そして天敵はいなくなった。けれど闘争は終わらなかった。新たな天敵は人間自身だった。
2012-04-11 23:42:17@peroperopero じゃあ世間って何だろう。思想史学の大家、阿部謹也は、(自律的判断をする個人の集合としての「社会」と区別して)「世間」を互酬関係、地縁・血縁、言語、そして宗教で結ばれた集団と理解する。阿倍の「世間」は、釈迦の語用とも重なるのでこれを踏まえて続けるよ。
2012-04-11 23:33:30@peroperopero 互酬関係、地縁・血縁、共通言語で結ばれた群れをより長く維持していくために、その結びつきを神聖化するのがまさに、宗教だったの。
2012-04-11 23:55:20@peroperopero 当然、排外を属性とするがゆえに群れは、闘争する集団とならざるを得ない。群れ同士の闘争は、殺すことでもあり儲けることでもある。そのためには、安定した政治が必要だよね。(もう「政治」に説明はしない)
2012-04-12 00:02:13@peroperopero それでちょっとだけ戻るけど、政治の実現はまさに宗教の成立と共にある、ということになる。政治と宗教は分かちがたい双子なんですね。
2012-04-12 00:04:13@peroperopero 日本書紀の祖先神同士の闘争は、まさに群れの覇権争いを示すものだろう。全体としては政治的宗教社会とも、宗教的政治社会ともいえる。これを「世間」と呼ぼう。
2012-04-12 00:09:16@peroperopero 脱線するけど、宗教と言語の掌握は政治上、絶大な課題。武力だけの支配は高くつきすぎる。見せしめの殺人が必須だし、これもやりすぎれば儲からない(あくまで支配が目的、殺人は手段)。募る面従腹背はいつしかクーデターとなって現れるだろう。
2012-04-12 00:15:56@peroperopero でも、言語と宗教を掌握したらどうだろう?反逆を形にすることはできない。そもそも「反逆」の発想が生まれないかもしれない。国語、国史学といった言葉を日本語、日本史学に置き換えたくないっていう人は、根強く存在する。日本を対象化されるとさびしくなるんだろうね。
2012-04-12 00:20:53@peroperopero 祖先を神聖化することで政治は一層スムーズになる。反逆は権力だけではなく、権威への挑戦でもあるから。統治者より先に、同じ被治者が「反逆者」のレッテルを貼るからだ。
2012-04-12 00:29:39@peroperopero 大事な問題に、被治者はそんなにバカなのか?という問いがある。もちろんバカではない。けれど、まさに我執がある。統治者は経験的に、我執に基づく欲望のコントロールこそキモだと知る。
2012-04-12 00:35:19@peroperopero 靖国神社に行ったことがある。外国では戦争神社と呼ばれることもあるらしい。特に戦死者を顕彰する(顕彰によって新たな戦死を勧める)施設なので、どんなに怖いところだろうと思いながら行った。
2012-04-12 00:39:03@peroperopero 忘れもしないんだけど、いっぱいにぶら下がった絵馬は、全部が全部軍国賛美ではなかった。むしろ恋愛成就、商売繁盛、家内安全などなど、「ありふれた」自己中心的欲望に満ちていた。
2012-04-12 00:42:21@peroperopero ありふれた無数の欲望も吸い上げて「神を利用させる」ことを通じて「神の下に従わせる」のね。小林よしのりなどは報国忠国はエゴじゃないと主張するが、それは嘘。世間の巨大なエゴに直接的に呑まれているだけ。バイパス。
2012-04-12 00:50:22@peroperopero 靖国神社は他の神社と違うところもあるけれど、それは表面的な違いで宗教的機能的にはむしろ相似を示すとみているよ。
2012-04-12 00:55:31@peroperopero 要は、本来は非対称的であるところの、統治者と被治者なんだけど、宗教によって両者の依存関係、共犯関係が内面化しちゃうの。ちょーこわいね。「利用する者は利用される」
2012-04-12 00:59:05@peroperopero ま、そうはいってもその神は統治の側にいる、実体的表現をとればね。そうなると、政治的な強弱と、宗教的な尊卑は一致する。一致するほかない。がーん。
2012-04-12 01:05:08@peroperopero 釈迦の生まれて死んだ状況もまさに、世間の真っ只中だった(てか、語の由来的には当然かw)。ご存知、カースト制度の登場。
2012-04-12 01:08:44@peroperopero 今日は、世間概念を僕なりに説明するに尽きたね。期待と違っていたら、次回に持ち越しってことで、おやすみなさい。
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