フトマニノート2014.08初旬 梵我一如は気色悪い
- sunamajiri
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日本の自己責任思想の根源は、輸入物の新自由主義ではない。ウェーバーのいうプロテスタンティズムでもない。 日本の自己責任思想の根源はむしろ禅宗だ。彼らの形而上学的な無の観念論が妙な傲慢さまで兼ね備えて脳筋具合に拍車をかけた。
2014-06-18 09:36:11仏教、というより、西田哲学、及び西田的に解釈された仏教、及び西田にそういう発想をさせた仏教が嫌いだとわかった。 そしてどうやらそれが仏教の内の華厳思想という現象の背後に真如(西田の言葉だと統一的或者とか唯一実在)という実在を持ち出す思想だということが分かった。
2014-07-30 16:54:33西田の善の研究もp.73あたりから同じことを違う表現で繰り返すようになってきている。巨大な実在(自己と結びつきこれを介して万物とつながる)をしたり、主観の現象を実在としたり、忙しいな。 これがあのいかがわしい梵我一如というやつだな これは一種の無意識崇拝といっていいのだろうか。
2014-07-30 17:57:44曰く、「例えば色が赤のみであったならば赤という色は現れようがない、赤が現れるには赤ならざる色が現れなければならぬ。しかして一の性質が他の性質と比較し区別せらるるには、両性質が根底において同一でなければならぬ。」善の研究p.85
2014-07-30 19:40:36いや、確かに言語に実体がないことはウィトゲンシュタインから哲学に入った僕も認める所なんだがだからといって背後に根本的な実在がある、というのはやり過ぎ。
2014-07-30 19:42:12インコたんは、ネトウヨのウィットゲンシュタイン誤読の話、noblinさんは井筒のソシュール誤読の話したがるが、日本とか東洋なんてどうでもいい。@Nuebsburg が言うように梵我一如が気色悪いというだけだ。twitter.com/Nuebsburg/stat…
2014-08-01 10:53:25性懲りも無くまた西田 曰く「我々は小なる自己をもって自己となすときには苦痛多く、自己が大きくなり客観的自然と一致するに従って幸福となる。」p.119 感想 なら、氏ねばいいじゃんwwww
2014-08-02 18:43:35西田幾多郎曰く「更に進んで已むを得ざる所以を自得すれば、抑圧がかえって自己の自由となる。」p.144善の研究 私はここまでのルサンチマン(価値転換)の権化をついにみたことがない いかに根拠なくとも、あの世に福楽を想定していない分、キリスト教よりなおルサンチマン。
2014-08-02 20:15:35お囃子カーの民謡太鼓のアンサンブルって、拍が表になったりウラにロストして、ただ身体的にドコンドコンと腕を動かしてるだけね。心身問題は心という実体がないということだが、あれでは身体という実体だけだ。twitter.com/tetsugakubot/s… @LitoSnowfield
2014-08-03 17:36:26スピノザ:当時は無神論者として弾劾されたが、その思想は造物主としての神ではなく、あらゆるものを自己の様態、変様として産出する内在的原因として神をみる(「神即自然」、理神論)。また、デカルトと異なり心身を別の実体と見るのではなく、同一のものの異なる側面とみる(心身平行論)。
2014-08-03 15:17:23梵我一如は西田幾多郎に限らず、日本のカルトの基本ね。心身二元論で心は実体でないというと身体だけに実体化してみたり、現象の背後や言語の深層はないというと、いきなりカルトが出てくるねww @Nuebsburg 終わりの方は、もはやカルトと区別が難しくなる。
2014-08-03 17:49:30そうそう、西欧化して西欧にはない虚無を洗練させただけ。(^-^)/ @Nuebsburg 西田幾多郎曰く「更に進んで已むを得ざる所以を自得すれば、抑圧がかえって自己の自由となる。」p.144 あの世に福楽を想定していない分、キリスト教よりなおルサンチマン。
2014-08-03 17:50:59梵我一如とか、現象や言語の背後の深層の意味、というのは実に気色悪い。この話をすると、深層としての言語を軽視するのは不誠実であるとか、他方、私的言語に過ぎない言語を重視しすぎているという、両極の反論が出てしまう。しかし、そんな雑談には興味はない。
2014-08-03 17:51:24この前、ハイデガーの造語を批判するフランスの造語だけでは、感性や悟性といった近代的自我の論点を保持するのは難しいといったのだが、深層としての言語を軽視するためでも、私的言語を過剰に重視するためでもない。私の関心は文科省のいう近代的自我で出題するためにはどうするかという一点だけだ。
2014-08-03 18:05:44結論から言うと、梵我一如のように現象の背後や、言語の深層のようなカオスに支配され、身も心も虚無化してしまうようなことのないようにしろ、というのが文科省の国語指導要領の基本だ。ロボットを作るのとは正反対のことをしなければならない。たとえば我々にはフレーム問題などはないのだ。
2014-08-03 18:06:22私達にはフレーム問題はないというべきだが、その代わりにあるものがある。たとえば、近代的自我を教えろと文科省指導要領が指意したからといって、直ちに国家の言うなりのロボットを作れということではない。むしろ逆に問題の所在を端的に分かる子供を育てろ、という程度の意味だ。
2014-08-03 18:12:33なぜに元発言を削除する。匿名とか鍵付きとか自信のないものには罰を与えるぞ。(^-^)/ @Oygnino2 幸い金持ちの子が多いせいか公然たるネトウヨ発言は聞かないが、本心はわからん。どうせ日本にはなにもないんだからせいぜい近代的自我を鍛えろや、とだけ言ってます
2014-08-03 18:14:58では罰として、ハイデガーのカント書の訳者解説の短い文bit.ly/1ojStob と、シュネーデルバッハ認識論の結論bit.ly/1ojSoAX、どちらも短い端的な文なので比較して、何が問題なのか要点を言いなさい。(^-^)/ @Oygnino2
2014-08-03 18:39:21どこがよ? そんなこといったら、梵我一如でフレーム問題を抱え込むロボットになって、時間でしかない言語の深層に意味が生じて、存在できなくなるわよwww(^-^)/ @Oygnino2 難解
2014-08-03 20:49:38bit.ly/1ojStob は、コギトが時間を延長にすると認識論になる、という存在論。bit.ly/1ojSoAX は、その「ハイデガーの現象学は、懐疑から始動していない」という認識論よ。@Oygnino2 全く詠めないのだワ!
2014-08-03 21:01:35一と多という論理学の話よ。なんで時間が問題かというと、時間だけが唯一的というカントを、ハイデガーはほんとに時間を唯一性として取り出したか、という話をしているだけなのよ。時間を歪めて捉えるとカントの認識論、時間を唯一と捉えると存在論といいたいのよ。@Oygnino2 論理の人よ
2014-08-03 21:16:45その通りです。終わりに近づくほどシャカのみならずパウロやらイエスやらソクラテスやらの大名行列で、まるで大川隆法を彷彿させます。 @sunamajiri: 梵我一如は西田幾多郎に限らず、日本のカルトの基本ね。@Nuebsburg 終わりの方は、もはやカルトと区別が難しくなる。”
2014-08-03 23:04:35私は名さえなければ世界は分別もなく節目もないのっぺりとした節目のないもの、というシラフじゃない発想が、いただけない。先日頂いた井筒からもこういう匂いがしてきます。 @sunamajiri そうそう、西欧化して西欧にはない虚無を洗練させただけ。(^-^)/
2014-08-03 23:18:00