- peroperopero
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方々から石でも飛んできそうだけど、語った瞬間から自分から剥離していく感(語られたモノが自分じゃなくなっていく感)をヒシヒシ覚え恥じ入りたくなる。でも語ってしまう。恥じ入る。あばばばばあばばばあばば
2012-04-10 23:43:05@peroperopero 戒・律(仏教の思想化)の話の導入。所謂、史的唯物論でいくと、歴史社会を下部構造、政治・宗教・芸術などは下部構造から規定される上部構造ってことだったはず。
2012-04-11 00:25:56@peroperopero 一言で言えば、史的唯物論(唯物史観)ではさとりという現象を捉えることができない。さとりは直接的に生産力の発展を止めるわけではないけれど、物質的豊かさとは無関係に成立しうる。それどころか「捨てる」ことで(さらには「捨てること」をも捨てて)人は成長する。
2012-04-11 00:32:46@peroperopero 実際に物質的豊かさにおいて世界でも有数の日本は、自殺大国でもある。特に中年の自殺が他国と比べて多いのが特徴だったはず。現実社会の物質的充足が、かならず生きがいへとつながる、ということはなかった。
2012-04-11 00:38:37@peroperopero (巨視的な話は苦手です、ごめんね。でも続ける)何が不満かというと、唯物論ではさとりから現実社会への働きかけが無いってことです。幸せをめぐる議論で、十分な生活環境と判断力とは二者択一とはならないはずだよね。霞じゃ生きられないし、盗みに汲々としてもダメ。
2012-04-11 00:43:05@peroperopero というわけで、仏教理解のためには、さとり(無我という事実)に立って、自らを律し同時に社会の倫理的発展を促す方向性が不可欠になる。
2012-04-11 00:46:19@peroperopero 思い出した。無我だ。ごめんね、すこし前後するよ。より正確にいえば、無我ってのは言葉に対応する実体がないってこと。その言葉の中に「わたし」も含まれる。だから無我をふまえるということは、「わたし」「わたしのもの」を追いかける(でも、無い)苦しみを知ること
2012-04-11 00:54:29@peroperopero 思い出した。無我だ。ごめんね、すこし前後するよ。より正確にいえば、無我ってのは言葉に対応する実体がないってこと。その言葉の中に「わたし」も含まれる。だから無我をふまえるということは、「わたし」「わたしのもの」を追いかける(でも、無い)苦しみを知ること
2012-04-11 00:54:29@peroperopero も含むんだけど、それだけじゃない。言葉に実体があるかのように思いたい、思わせたい全ての場合にも同じことが言える、言えなきゃいけない。「愛国心」をめぐる議論は荒れるでしょ?「俺のちんちんが一番でかい」「いやいや俺のが」的な。(ちんちんである必然性がない!
2012-04-11 00:58:04@peroperopero 「愛国心がないな、お前はバカか!」って言われたくないから、無自覚的にしかも競って国家のエゴイズムにほだされていく。ほんで、際限なく「異物を叩けば安心できる」というデマが広がる。騙し騙されて、殺し殺されて、愚かじゃないか!冷静になれよ!と、
2012-04-11 01:03:26@peroperopero 言うべきでしょ?この場合、「愛国心」に執着しちゃったんだね。無「我」って言うから、「都合のいいように『自分』だけをかえればいい」という処世術みたいに誤解されちゃうんだ。これってとっても注意すべき点だと思っていつも語ってる。
2012-04-11 01:06:37@peroperopero 正直言って、僕の発言にもブレがあって自分にフォーカスがあたったり、社会全体にフォーカスがあたったりするから、生じた誤解は僕のせいです。要は、無我という言葉は自分と自分を含む言葉を使う人間全体に対する警句として機能するわけです。
2012-04-11 01:09:54@peroperopero そうかもしれないね。繰り返すけど我執は武蔵だけのものじゃなく、言葉を使うすべての人にある病根。しかも、ひとりひとりの我執を収斂、組織化することで政治(人間による人間の支配)が実現しているわけです。
2012-04-11 01:19:26ああこれがわかりやすい QT @BottomLance: そうかもしれないね。繰り返すけど我執は武蔵だけのものじゃなく、言葉を使うすべての人にある病根。しかも、ひとりひとりの我執を収斂、組織化することで政治(人間による人間の支配)が実現しているわけです。
2012-04-11 01:23:30次の日。
@peroperopero 予告。「戒・律」の話に行くつもりだったけど変更。「世間」の話から行って、最後に「戒・律」へ行きます。僕の話が独特であるならば、それは宗教学(宗教→歴史)と歴史学(歴史→宗教)の混ぜ物であることだと思う。
2012-04-11 10:27:47