渡辺真也さん(@curatorshinya)の「自由意志から考える国民国家のオルタナティブと集合的無意識について」の連続ツイート

自由意志と統治に関する考察。
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Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

連続ツイート「自由意志から考える国民国家のオルタナティブと集合的無意識について」

2012-04-11 19:48:01
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自1)日清戦争後の三国干渉から日露戦争、2つの世界大戦までの流れを再考していたら、世界大戦とは国民国家というフィクションが自らの「自由意志」だと思い込むことで生まれた内外問題を前景化し、そこから宇宙を切り取った際に発生した、近代というシステムの必然的帰結なのだと再度確認できた。

2012-04-11 19:48:31
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自2)カトリックとプロテスタントの区分が不明瞭だった為、誰と誰が戦闘しているのか判らなくなり講和困難となった西欧の三十年戦争の反省から、ネーションによる敵対概念を明確化したウェストファリア体制が生まれた。フランス革命後は主権者が国王から国民へと移り、民主主義が主流となった。

2012-04-11 19:49:00
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自3)自由意志は、個人の行為が理性的判断により可能であることが前提であり、これが国民を主権者とする民主主義の根底を成している。そこにはネーションさえ規定する強固なキリスト教的世界観、すなわちデカルトに代表される考える自己(自我, Ich)の存在があり、これが近代を形作っている。

2012-04-11 19:49:44
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自4)逆に全ての事象は既に決定済みという決定論の立場に立ち、自由意志という表象像・言葉を単なる身体の動きとして否定したのが、汎神論を唱えたスピノザである。決定論では個人の行為が理性的判断に基づかない為に民主主義の想定は崩れ、宗教が規定するネーションが形作る国民国家も否定される。

2012-04-11 19:50:18
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自5)自由意志を盲目的に肯定すると、自我を成立させている個の連続性が見えなくなり、独善的になる。そしてややもすると自由意志には他の選択肢もあったはずだ!との責任論に発展するが、国民国家のフィクションを支える一神教の基盤の無い日本では、この責任論がちぐはぐに展開する。

2012-04-11 19:50:49
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自6)自らの信仰を守る為に独立戦争をしたオランダなどと異なり、日本は西洋列強による植民地化を逃れて、国家神道を掲げて近代化を試みた。敗戦後、日本は民主主義国として再出発したが、主権者である国民の自由意志を保障する為に、国家の斉唱を義務づける、というのはやはりちぐはぐである。

2012-04-11 19:51:46
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自7)イランの核保有の問題は、核保有国が核を持たない国を牽制するという非対称的なものだが、これは日清戦争後、中国初の植民地を手にした日本に欧州三国が干渉したことと似ている。これは自由意志に基づく国家の内外問題を前景化して宇宙を切り取った際に現れるヴァリエーションだと私は考える。

2012-04-11 19:52:12
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自8)現行の国民国家における主権者は国民だが、自由意志が物理学・心理学・神経科学的によって否定され、さらに自由意志をもっていたとされる個人は他者との連続性なしに成立しないことが証明された後、民主主義は成立し得るのか?それとも、国民国家をベースとした民主主義から移行できるのか?

2012-04-11 19:52:39
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自9)ユング心理学(分析心理学)において、自由意志を司るのは自我(Ich)であり、「個性化の過程」である人格の中心である。一方、全ての人格の心の中心かつ元型が意識と無意識(個人的無意識と集合的無意識)からなる個我(Selbst)であり、そこには自由意志は存在しない。

2012-04-11 19:53:04
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自10)ネーションを形作るものの一つに宗教(例えば同じ人種でもカトリック信者のクロアチア人と東方正教会信者のセルビア人など)があるが、この神のイメージを担うのは自我ではなく、全人格の核をなす個我である。個我との相互作用から成長し、それを実現しようという個性化が自我となる。

2012-04-11 19:54:48
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

(自11)ネーションを形作る個性化の元型である個我に潜む集合的無意識から、他者との連続性を前提にした統治システムを作ることはできないか?すると、敵対概念の規定から成る国民国家と、自由意志を前提とする民主主義というデカルト的近代を乗り越えた、スピノザ的統治へと移行できるだろう。

2012-04-11 19:55:17
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

以上、連続ツイート「自由意志から考える国民国家のオルタナティブと集合的無意識について」でした。読んで下さった皆様、ありがとうございました。

2012-04-11 19:55:52
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@slitsandfrills 私はスピノザの考えている汎神論と決定論はより一元的なものであり、プログラミングの解釈で変わるものではない、と理解しています。詳しくはリンク先を参照してみて下さい。 http://t.co/oKPiOQCt

2012-04-12 04:01:27
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@slitsandfrills 自由意志を「盲目的に」肯定した場合ですね。スピノザは自由意志による感情の制御を批判し、個人は個人単独では存在できない為、自由意志を持ち出さなくても、全体としての自然を他者と分かち合うことが可能としています。http://t.co/8mK9Y6tY

2012-04-12 04:11:19
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

@slitsandfrills ネーションが宗教によって規定される場合も、その区分を肯定し、宗教国家を国民国家として認めるという立場でしょうか?実際にユーゴスラビアでは、宗教的分断による国民国家を形成する為に、内戦が起こってしまいました。 http://t.co/cPxPgj3M

2012-04-12 04:18:23
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

自由意志の問題は、今、未来に起こるかどうか未決定なものを認めるかどうかという側面において、アリストテレスの『命題論』における海戦の命題と同じく、未来における可能性と必然性、偶然性という形而上学上の根本的な問題を扱っているのではないか?

2012-04-12 06:27:47
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

自由意志という言葉は、物理学的な因果関係の捉え方と、他の専門分野における言葉の解釈が異なっているだけのことだとスピノザは看破しており、だからこそ自由意志を、表象像・言葉として単なる身体の動き(クオリア)に過ぎないと指摘しているのではないか?

2012-04-12 06:28:42
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

「美徳と考えられたものも劣悪と思われるものも、もともと集合的心に含まれていた道徳的な両極であって、それが個人に感じられるようになり、人為的に意識化されるようになったにすぎない」ー C.G.ユング『自我と無意識』

2012-04-12 19:54:13
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

スピノザは、人間がこうでありたい、と欲することは、実は皆ほとんど同じなのだから、争うことなく、お互いちゃんと理解できるまでしっかりと話し合いなさい、と述べている。これはユングの言う、超越機能による相互理解と同じことだと思う。 http://t.co/YxIXPv9c

2012-04-12 19:54:48
Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

相手の意見を否定して説得を試みるのではなく、自分が考えていること、やりたいことが、実はあなたが考えていること、やりたいことと基本的に同じであることを前提として、お互いの理解に向けて歩み出すことが、話し合う、という行為なのではないか。

2012-04-12 19:56:17