自分と対立した意見を持つ人も知識と常識を持った普通の人である

まとめました。
震災 原発 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39
普通のひと相手でも最終的には「あなたが勉強しなさい」としか言えないのが学者の悲しいところである。これは皮肉ではなくて本当に悲しい。
渡邊芳之 @ynabe39
みんなが自分と同じレベルで「勉強して」いなければ話ができないということを学者が言ってしまったらどうなるのか。
渡邊芳之 @ynabe39
どうなるって単に学者が相手にされなくなるだけなんだが。
渡邊芳之 @ynabe39
しかし勉強したら現状認識は同じになるのだろうか。それって「ホロコーストなどなかったのに大学教授のくせに勉強不足だ」とか言ってくる人とあまり変わらないのではないか。
渡邊芳之 @ynabe39
さまざまな現状の認識について相手が自分と一致しないのは「相手が自分の知っていることを知らないから」ではなくて「相手も同じことを知っているが捉え方が違うから」である可能性もある。その場合はいくら「勉強させて」も対立は解消しない。
渡邊芳之 @ynabe39
自分は知っているからこう考える,あなたは知らないからそう考えない,あなたも知れば私と同じように考えるはず,という論理は陰謀論者もよく用いるものだ。
渡邊芳之 @ynabe39
なにしろ端的に言って悲しいとしか言いようがない。繰り返すけれどこれは皮肉ではなくて本当に悲しい。
渡邊芳之 @ynabe39
「学者に文句を言うのは自分も学者になってからにしてくれ」。
渡邊芳之 @ynabe39
だけど「あなたたちも勉強しろ」というのはつまりそういうこと(文句を言うならお前も学者になれ)なんですよ。 RT @Nagasakikaz: そんなこと言ったらみんななんにもできないと思いますけどね
渡邊芳之 @ynabe39
1年と少しが過ぎて,学者はみんな疲れ果ててもともとの自分たちの殻の中に戻りはじめているように見える。しかたないことなのかもしれないが,それを考えるときに起きる感情は「悲しい」としかいいようのないものだ。
渡邊芳之 @ynabe39
いろんな意味ですっかりしょんぼりしてしまった。
渡邊芳之 @ynabe39
帰ろうと思ったらまた面倒な嫌な話が…
渡邊芳之 @ynabe39
話の通じない相手は善意の市民であるよりははっきりと敵であってくれたほうがずっと気が楽だ。犯罪者にでもなってくれればもっとありがたい。
渡邊芳之 @ynabe39
「欠如モデル」がロバストなのはそれがあらゆる「専門家」の「日常の実感」だからだ。学者をやっていれば「欠如モデルが適合する典型的な事例」の経験には事欠かない。だからこそ欠如モデルを批判することは難しい。
渡邊芳之 @ynabe39
たいていの差別も,差別する人にとっては「日常の実感」に基づいた行動だ。
渡邊芳之 @ynabe39
「自分の気に入らない主張をする人々が犯罪者になったら大喜び」みたいなことは好きではない。だから在特会の幹部が逮捕されたのを喜ぶ「反差別」の人たちも不快だったし,ついこの間ツイッターで似たようなことがあったときもすごく嫌だった。
渡邊芳之 @ynabe39
もちろんキクチ先生が喜んでいるとはまったく思わないが,周囲のこの喜びようはどうだ。
渡邊芳之 @ynabe39
これは論理の問題ではなく感情の問題として俺はそういうことが嫌いだ。ゾッとするんだ。
渡邊芳之 @ynabe39
自分と意見の異なる人にはできるだけ「世の中一般から見て悪い人」「不道徳で不謹慎な人」「犯罪者」になってもらいたいというのは自然な感情だ。そのほうがどのような方法で攻撃しても周囲から批判されにくくなる。
渡邊芳之 @ynabe39
【佐藤渡邊の第四法則】「○○が君たちの悪口を言っていたよ」「君たち評判悪いよ」と忠告してくれる人がいちばん悪口を言っている人である。
渡邊芳之 @ynabe39
私がどういう文脈でどういう意図でどれだけの痛みを伴ってあれを書いたかも読み取れない人にそんなことを言われたくありません。 RT @proclb: 心理学者というのは、人を導くことのできる可能性を秘めている。あなたの先ほどの発言はフォロワーの深層意識に悪いイメージを植えつけて…
渡邊芳之 @ynabe39
つまり「犯罪が起きているのに喜ぶなよ」ということだけです。
渡邊芳之 @ynabe39
「現にそうである」ということと「それでいい」ことや「それが正しい」ことはまるで違うでしょう。
渡邊芳之 @ynabe39
意見の対立を「敵と味方」「正義と悪」の問題にしてしまいたくなるのはそのほうが楽だからだ。だから意見の対立する相手が「明らかな敵になる」「明らかな悪になる」ことは大歓迎を持って迎えられる。
渡邊芳之 @ynabe39
自分と同じような常識を持ったまともな人間が自分と全く対立した意見を持っているということは圧倒的大多数の人にとっては「認知的不協和」なのかもしれない。
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コメント

民間人 @minkanjinno 2012年4月12日
「自分と対立した意見を持つ人も知識と常識を持った普通の人である」そのように考えることのできる人は滅多な事では他人をブロックしたりしないでしょうね。
ゆ@普通のおとめ座超銀河団の労働者階級 @U_fort 2012年4月13日
文句言うわけでないんだが、何でこんな当たり前な意見がまとめられているのか。そんなに言論がモラルハザードなのか?
フランソワーズ二郎 @michelipn 2012年4月13日
・おしどりまこ氏は、普通の人ではなくジャーナリスト。 ・耳を傾けるのは脅迫を撤回してからでよいのではないか?
ゆ@普通のおとめ座超銀河団の労働者階級 @U_fort 2012年4月15日
@vitan_vitan なるほど。正直わしも属人的な情報評価ばかりで辟易している人間の一人なんで
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月15日
当たり前の所へ落とし込んでいるのでは?
ありす @alicewonder113 2012年4月15日
横川さんの話だよね?最終的に殺人犯の比喩が出てくるのは巧妙なイメージの上書きの気がするし、考えてみたらそもそも学者と素人の関係も無用な比喩のような。単に、ケンカしてる二人の人の話のような。
与太郎(ほぼ本当です。米軍情報。) @Yota_Low 2012年4月15日
最後の狼少年の話が面白い。そういうことも有り得るんだよね
赤間道岳 @m_akama 2012年4月15日
ふと思い出したのが、政治的方向性が真逆とも言える永六輔氏と故黛敏郎氏が友誼を結んでいたこと。思想を越えた何かがあったのだろうなと思う。
Kazuo Uozumi(蘇民将来子孫家門) @forthman 2012年5月15日
対立する意見が存在する場合、どちらにも理はある。運よく自分の意見と社会的判断が一致した場合にすべきことは、その社会的判断によって不利益を被ったり、尊厳を傷つけられるだろう人たちのことを考えること。
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