渡邊芳之先生ynabe39の「人のために何かをするのはぜんぶ自分のためである。」
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千の風になって。
渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之
渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html
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偽善が偽善であるためには行為そのものやその結果はとりあえずなんらかの意味で「善」でなければならない。だからなにもないよりは偽善のほうがずっとましである。
2012-04-17 07:26:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
精神的にはすっきりしてもたぶん死にますよ。 RT @Para0515Roros: 何もない方が精神的にスッキリする人もいると思います。いっそのこと感覚を鈍感にしてしまえば……
2012-04-17 07:30:17![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
そもそも人が善を行なう理由は「それによって自分のあるいは自分に近い遺伝子が残るから」「それによってなんらかの物理的社会的報酬を受けるから」「その報酬が内在化されて善を行なうと気分がよくなるから」のどれかでほとんど全部である。あとは「偶然」。
2012-04-17 07:38:18![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
それは「実際に人が助からないからそもそも善ではない」わけです。善でないものは偽善でもありません。 RT @hanasakimasanao: 現実に配慮した思慮や思いやりを伴わない「善意」は何もしないほうがマシかと
2012-04-17 07:39:13![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「人が助かる」というのは「実際にだれかの利益になる」ことです。そうでないものは偽善以前に「善ではない」でしょ。 RT @shinkaisame: ありがた迷惑みたいな印象も否定できないと思いますが、先方がそう感じてでも、とおかんがえですか?
2012-04-17 07:40:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
むしろ「自分のため」という目的をはっきり意識してそのために努力したほうが結果として多くの人のためになるということも少なくないと思う。
2012-04-17 07:41:58![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
個人的には「募金の使途をとやかく言うほう」が「偽善」っぽく見えます。こういう感覚は人によって大きく違うと思います。RT @uemizo: …例えば、偽善的に募金をする人は、募金の使途に無関心であることが多い。偽善に満足することは、欺瞞を受け入れることに等しい。
2012-04-17 10:28:48