なぜ、オランダは17cになって急にイタリア都市国家に代るようになったのか?

17cオランダヘゲモニーが生まれた背景として。「なぜ、ブルゴーニュ付きの湿地であったネーデルラント(アムステルダム)が17cになって急にヴェネツィアなどに代るようになったのか?」についてのお勉強メモ。ネーデルラント→ユトレヒト同盟→オランダが成立していく過程として。              <ブルゴーニュ、北海交易の中心としてのブルージュ(ブリュッヘ)にヴェニス・ジェノヴァ・ハンザなどが投資するもブルゴーニュ公国がなくなることでブリュッヘが衰退→アントワープが中心に → 80年戦争初期に負けた商人などが自由を求めてアムスに移動>               + 続きを読む
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m_um_u @m_um_u

食料としては、何年か分の食料を備蓄しつつ、当時の穀倉のポーランドとの交易で5~70%占めていた、と。軍事はマウリッツなんかの軍事革命(あと未調べだけどスウェーデンとの安全保障みたいなの?) 交易は(差益貿易中心だったようだけど)複数の国との国際貿易の中心

2012-04-17 19:02:28
m_um_u @m_um_u

なので「オランダのヘゲモニーが失われた理由」として「80年戦争の荒廃」ってすぐにはいえんかぁ。。もともと80年戦争の中で生まれた国だもんなぁ。。

2012-04-17 19:03:39
m_um_u @m_um_u

ユトレヒト同盟→オランダが成立していく過程として。ハプスブルクお膝元のバルト海通商集団(ハンザ)の権益をブルゴーニュ公に私怨受けたネーデルラントと英の海賊行為、スウェーデンが食っていった、と。 / “ハンザ同盟 - Wikipedia” http://t.co/9jP0tN35

2012-04-18 01:06:16

ハンザ同盟 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンザ同盟

--ハンザ同盟の扱う交易品としては、ブリュッヘを通じて貿易されるフランドルの織物のほか、バルト海のニシンが重要である。毎年、夏から秋にかけてのニシン漁期になると北ドイツの各ハンザ都市から北欧に向けてニシン買い付けの商船隊が派遣され、年間数十万トンのニシンが塩漬けにされてヨーロッパ各地に輸出された。またドイツ騎士団領からは木材、琥珀、ポーランド王国からは穀物、ロシア方面からは黒貂、熊、リスなどの毛皮が輸出された。

政治的・軍事的連合としてのハンザ同盟は、1370年、1435年の2度にわたってデンマークとの戦争に勝利して諸特権を認めさせた。しかし15世紀にはカルマル同盟を結んで北欧諸国を統合したデンマークに敗れてバルト海の覇権を失った。

同じ15世紀には、ヤギェウォ朝ポーランド・リトアニア連合と、ポーランド王国が庇護したプロシア連合加盟諸都市の政治経済の繁栄が最盛期を迎え、これらに対するハプスブルク家と神聖ローマ帝国の支持による、それまでバルト海東岸と南岸を支配していたドイツ騎士団の弱体化、北ドイツで勢力を伸ばした領邦君主による自領内都市への圧迫などの外圧が重なって都市のハンザ脱退が続き、同盟は衰退していった。また国王、ブルゴーニュ公による国家的支援を受けたイングランド、ネーデルラントの商人が北欧へ進出してハンザ同盟の商圏に食い込みハンザ同盟の独占体制を脅かしたことは、同盟の存在意義を揺るがした。

16世紀には大航海時代によってヨーロッパの商圏の中心軸がバルト海・地中海から大西洋・北海に移ったことが大きく影響し、この世紀の終わりにはハンザ同盟は実質上ほとんど活動を停止していた。

そして、17世紀の三十年戦争による領邦国家の成立がハンザ同盟の存続に終止符を打った。わずか8都市が代表を送るのみに終わった1669年のハンザ会議を最期に同盟は機能を完全に失い、実質上終焉した。17世紀以降に入るとバルト海の貿易圏は、すでにスウェーデンとオランダ(ネーデルラント連邦共和国)が主流となっており、三十年戦争によってドイツの国土が疲弊していたことも終焉に拍車をかける事となった。

ただし、ハンブルクとブレーメンだけは自立性を保ち、現在のドイツでも単独の州としてそれぞれ「自由ハンザ都市ハンブルク」「自由ハンザ都市ブレーメン」を正式名称として、かつてのハンザ同盟の名残を現在に伝えている。

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オランダは当時の基軸産業である造船と毛織物技術で比較優位。造船技術によって漁業が盛んに(cf.ニシン、タラ、鯨 ←はハンザ同盟の権益)。農業は園芸など高技術付加価値のあるものに集約。 それらをスペインの銀と代え、バルト海諸国の食料などと交易、16〜17cの人口増加の際にはポーランドなどから食料を集め、食料を集められなかったヴェネツィアに優位に。