民青同盟の歴史について

民青同盟の歴史についてまとめたものです。 (民青東京都委員会作成、出典・『日本民主青年同盟の70年』
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民青同盟 東京都委員会 @minsei_tokyo

定期的に民青同盟の歴史についてツイートすることになりました。出典は『日本民主青年同盟の70年』です。よろしくお願いいたします。

2012-04-28 20:04:46
民青同盟 東京都委員会 @minsei_tokyo

1923年4月5日に創立された日本共産青年同盟(共青)が民青の前身です。どのようななかで共青は生まれたのか。当時の日本と青年を取り巻く状況をみてみましょう。

2012-04-28 20:09:26
民青同盟 東京都委員会 @minsei_tokyo

共青が誕生する少し前の、19世紀から20世紀へ移るころの話です。1868年に生まれた明治政府は、「富国強兵」「殖産興業」のスローガンのもとで政策を展開していました。

2012-04-28 20:15:57
民青同盟 東京都委員会 @minsei_tokyo

明治政府は天皇を頂点とした専制政府でした。”ヨーロッパやアメリカにおいつけ”と、すすんだ技術などを輸入し、近代的な産業を発達させ、大きな軍隊をもつようになりました。

2012-04-28 20:19:45
民青同盟 東京都委員会 @minsei_tokyo

明治政府は、働く人々への厳しい搾取のもとで、国内市場を狭くしました。その穴埋めとして、原料を安く仕入れたり作った商品を売るために、植民地を欲したのです。

2012-04-28 20:22:33
民青同盟 東京都委員会 @minsei_tokyo

そして、中国や朝鮮などへ侵略と略奪がすすめられました。1894年日清戦争や1904年日露戦争をおこし、1914年からの第一次世界大戦にも加わりました。

2012-04-28 20:25:24
民青同盟 東京都委員会 @minsei_tokyo

日本は、資本主義を発展させて、イギリス、フランス、アメリカなどとならんで、帝国主義といわれる「強国」の仲間入りをしていったのです。

2012-04-28 20:27:03
民青同盟 東京都委員会 @minsei_tokyo

国内的には、産業の発達に伴い、工場で働く労働者も増えていきました。しかし、労働者の賃金はやっと食べていけるほどに低く抑えられていました。とりわけ青年の場合、男子は一般の6割、女子はなんと4割と、非常な低賃金で働かされていたのです。

2012-04-28 20:31:26
民青同盟 東京都委員会 @minsei_tokyo

製糸工場などで働く女子の多くはまだ10代で、わずかな借金の代わりに農村から身売り同然でつれてこられる人もいました。一日十数時間も働かされ、過労などから、結核にかかって死ぬ人もたくさんいました。

2012-04-28 20:34:18
民青同盟 東京都委員会 @minsei_tokyo

深夜労働、外出の自由もない寄宿舎、性的な嫌がらせや乱暴…。細井和喜蔵著『女工哀史』は20世紀初頭の紡績工場のありさまをリアルに告発したルポです。これは取材のほか、細井和喜蔵さんと妻としをさんの実際の紡績工場での労働体験をもとに書かれています。

2012-04-28 20:43:55
民青同盟 東京都委員会 @minsei_tokyo

本当にひどい労働実態。青年を取り巻く悲惨な状況の中で、1886年山梨の雨宮製糸工場女子労働者のストライキなど、労働条件の改善をもとめる運動が、各地で生まれました。1897年結成の「労働組合期成会」は日本で初めての自主的な労働組合です。

2012-04-28 20:48:49
民青同盟 東京都委員会 @minsei_tokyo

19世紀末から20世紀初頭の日本社会について、非常に簡潔ではありますが、記述してみました。このような中でいよいよ民青の前身である共青の誕生が近づいてくるのですが、本日はここまでにします。連続ツイート失礼いたしました。

2012-04-28 20:53:58

補足)新しいtweetが増えたら更新しようと思いますので、続きについては今しばらくお待ち下さい