近代技術で無双についてあれこれ

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鷹見一幸 @takamikazuyuki

中世レベルの異世界に、近代技術を移転させて無双。というシチュエーションを「そんなことできるわけがない」という人がいるが、基本的に木工技術しか持っていない技術レベルで、製鉄、造船、蒸気機関などの産業革命後の技術を取り込んで25年ほどで国産化した国が実際にあるのだが。ご存じないらしい。

2020-06-16 15:54:56
鷹見一幸 @takamikazuyuki

まあ、その技術を実用化するまでには、ものすごい数の失敗を繰り返しているのだが、物語として欲しいのは「結果」であって「過程」ではないので、そのあたりは描かれないのだろう。これは、その過程こそが面白い、と考える方向けの本。amazon.co.jp/gp/product/402…

2020-06-16 16:24:47
松井 貴之 @KotonagaTsumugu

@takamikazuyuki 中世風異世界に現代知識を持ち込み試行錯誤するというのであれば「本好きの下剋上」でしたら数年に及ぶ本を作るまでの過程が数々の失敗込みで描かれてますよ 本が異常に好きなのに本が無い環境に転生した主人公が無いなら作れば良いってする物語です

2020-06-16 17:30:31
うめ/イイダ派 @umesansansan

@takamikazuyuki @hachi_kou_prd 先駆者から図面を買い取り、技術者を有償で派遣してもらって、国内の賢い人達を大量に投入した「技術導入」でも25年かかるのだから、数人専門家が転移するだけで中世レベルの技術しかない世界に近代技術を持ち込むのは現実的な時間では不可能ということを図らずも示してますね。

2020-06-16 17:20:40
Hayashi Keisuke @haykeiuniv

@umesansansan @takamikazuyuki @hachi_kou_prd 紹介されている中岡氏の本は「中世レベルの異世界に、近代技術を移転させて無双」レベルの認識では工業の近代化が不可能であることが理解出来る内容なのでその解釈で宜しいように思えます。

2020-06-16 19:56:21
ねこねこ @Nekoneko3594

@takamikazuyuki いやいや・・・ その国は、庶民まで識字率があり、幾何で微積分を行い、多色刷りの印刷技術が高く、その当時世界一の義歯や眼鏡の製作技術があり、母体に安全な堕胎技術、世界初の麻酔技術、19世紀初頭に精密な国土地図作成など、産業革命していなかった以外は最先端といっていいかと。

2020-06-17 11:59:13
Motokoka @Motokoka1

@takamikazuyuki @rockfish31 江戸時代には、ベルヌーイ数の発見とかに現れるように庶民レベルまで含めた和算の発展、教育システムの整備があるし、火縄銃の量産・望遠鏡の作成などを通した蘭学など欧州の科学技術への知識などがあるので、、、

2020-06-17 00:28:03
英田朋(゚Д゚)@23夏乙乙甲甲甲甲甲 3-m-2-pf-💉.exe @ZQ8HcnJ2sfK8t5x

@takamikazuyuki まあ言うて1830年代には桐生など絹織物のマニュファクチュア的なものが行われていた訳で、外貨獲得のためにそれを海外に売るというモチベーションのおかげで初期の鉄道網が構築された事もあるし多少はね?というのはある。

2020-06-17 07:20:17
優希(ゆき) @yykk121296

基本的に木工技術しか持ってないっていうのは間違い。 刀や農機具包丁などを作れる技術はあったから twitter.com/takamikazuyuki…

2020-06-17 05:43:59
優希(ゆき) @yykk121296

これの一番有名な話は室町時代 小作人でもお求めやすい価格の鍬や鋤ができたおかげで色んな場所を開墾することができるようになった その功績がすき焼きだったり中村 北村 竹村 梅村などの名字である。

2020-06-17 05:51:44
鷹見一幸 @takamikazuyuki

@ulbvbdkp23409 日用品レベルの鉄器は生産できましたが、いわゆる「鉄骨」レベルのものが作れなかった。ということです。

2020-06-17 10:40:35
鷹見一幸 @takamikazuyuki

以前、四谷にある土木図書館に通って、明治期の鉄道敷設工事に関する資料を読み漁ったことがある。山の中を分け入り、地質調査と測量を行った当時の鉄道省の役人は、みんな二十代そこそこ。まだ、地方は馬と人力車の時代である。鉄道敷設によって社会を変革させようとする情熱を描いてみたい。

2020-06-17 21:53:18
鷹見一幸 @takamikazuyuki

ナウマン象の名前の元になった、ハインリヒ・エドムント・ナウマンが、地質学を教える雇われ外国人として日本に来たのは明治8年。21歳のときである。明治8年と言えば、戊辰戦争が終わってまだ6年しか過ぎていない。若い技術者や若い学者にとって、明治期の日本は異世界だったのだろうと思う。

2020-06-17 22:05:46
鷹見一幸 @takamikazuyuki

産業革命による「動力による大量生産」という概念が日本に入って来た明治以降、日本では、それまでに蓄積させてきた家内制手工業の技術との融合を図って来たが、その融合が品質管理という概念を取り入れて、職人レベルの大量生産、という形で結実したのが戦後の日本ではないかと個人的に考えている。

2020-06-18 14:55:16
鷹見一幸 @takamikazuyuki

江戸時代の日本の技術力というのは、いわゆる職人の技であり、見て覚える、という技能に長けていることで、模倣のレベルは高かったが、それを大量生産する、という部分の概念に乏しかった。大量生産は軍事力に直結した概念と技術であり。明治政府が導入に必死だったのも当然だろう。

2020-06-18 15:02:03
鷹見一幸 @takamikazuyuki

古い駅舎などで、駅舎の屋根などを支える柱に、古いレールを使用しているものがある。廃品の再利用だと思っていたが、以前読んだ資料に、当時の日本では建築用の鉄骨などがほとんど生産されておらず、レールを建築資材として使用した。と言う記述があり、新品のレールを使って建てたものもあるらしい。

2020-06-18 17:08:55
鷹見一幸 @takamikazuyuki

明治期の日本は、製鉄、特に鋼鉄の大量生産に関しては、全く未経験で、岩手県の釜石に作った最初の官製製鉄所は、水車を利用した送風器の能力が低く、溶鉱炉に酸素を送り込めず、低品質の鉄しか作れなかった。蒸気機関の送風機を導入して国産の鋼鉄を大量生産できるようになるまで苦労が続いた。

2020-06-18 17:43:06
鷹見一幸 @takamikazuyuki

小規模な実験炉ではうまく行っても、それを大型化し、大量生産に繋げるには、乗り越えるべきハードルが山のようにある。ましてや全てが未経験なのだ。雇った外国人技術者も、ゼロから作り上げた経験があるわけではない。経験値の蓄積というのは、重要だと思わされる。

2020-06-18 17:46:34
アプロ @rUyaCVtIiRxgC9M

@Ton_beri 「仁」で南方先生がペニシリンの実用化や高度な医療が行えたのは、幕末に醸造技術や冶金技術が高度に発展し、蘭学の隆盛など近代化に向けた下地があったからですね(*´ー`*)

2020-06-17 10:10:55
上里来生 @kamisato_3

@Ton_beri まあ、近世ですな 洋書と言うショートカットもあるので、手探りでやるよりは楽

2020-06-17 10:13:27
みなせ ★某A産業リクルーター @Ton_beri

ちなみにフランスの失敗を見るにつけ 産業革命の成功や、工業化の是非を分けるのは、技術だけの要素ではないの。 「大量に作ったものを売り捌く市場」もまた重要な要素なの。 インドや他の植民地といった広大な市場を持つイギリスくらいだよ。満足な市場を持ってたのは。

2020-06-17 11:48:23
みなせ ★某A産業リクルーター @Ton_beri

日本の産業革命の中核たる生糸。 これは、同時期にイタリアでカイコに伝染病が発生し、そちら出荷が無くなったところに、うまく滑り込んだんだよね。 そうして需要を獲得できたのは、大きく影響する要素なの。 技術だけじゃ工業化できないんだよ。

2020-06-17 11:50:20