地雷だと思うけど体罰の事と宗教の事(特に勧誘)

保険として「個人の感想です」としておけばいいかしら?
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学校に於ける体罰について
特にそれを「絶対悪」と看做している方が
存在する事について思う事

M-鈴木 甲28 @kapitan_black

何度でも繰り返したい。「しつけ」に「体罰」は不可欠とは言わないまでも、体罰を排除するのは「犯罪」だと言って良い。(過度の適用は体罰に限らず戒められるべき物なのは言うまでもなく)端的な言葉は「アーサー・C・クラーク氏」が著作「宇宙の戦士」において、道徳の教師に語らせたまま

2012-04-26 06:49:05
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

うろ覚えで正確さは欠くのはご容赦頂きたい。「君は犬を飼っている、生後2ヶ月にも満たない小さく可愛い子犬だ。君は犬が何をしようとも、まだ小さいのだから、と笑って見ている。しかし、生後1年が経ち、犬は大きな成犬となり、あろうことか悪戯で家の中をひどく散らかし壊してしまう」→

2012-04-26 06:54:10
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

「君は、その犬が許され無い悪さをしたからと、銃で撃ち殺してしまう。もう子犬では無く、成犬なのだから…と。さあ、悪いのは、大人になっても分別が無いペットの犬なのか?それとも、成犬になるまで罰を与えた事が無い飼い主なのか?」そして、登場人物の発言はこう続く→

2012-04-26 06:58:15
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

「体罰(刑罰)は繰り返し与える事が目的では無い。最初の一回がある個体に課せられ、それが普遍的である事が認識される事が重要なのだ。行為が罰に値すると自覚し、記憶に刻まれた処罰の経験が自制を促すのだ。」経験に乏しく理解力が不十分な個体に口だけで何を言っても効果は低いか全く無い→

2012-04-26 07:04:13
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

家庭で完璧なしつけが可能なのか?仮に家庭内では厳しくしても、例えば学内なら絶対に体罰がないと気が付けば確実に学内でだけ悪さをするだろう。全てとは言わないが、確実にそうした個体が出現する。学校での体罰は、家庭で学んでいるはずの躾が機能しないからこそ行使される性格の物でもある。→

2012-04-26 07:09:57
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

また、嘗て生徒学生だった時に、体罰では自分は変わらなかったと主張する向きもあるだろう。安心して構わない。諸兄等は「反面教師」として機能していたからだ。ああはなりたく無い…と。繰り返すが、体罰は肯定するが過度の適用を賛同する訳でも無い。排除を声高に叫ぶ馬鹿が救い難いと言うだけだ。

2012-04-26 07:17:52
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

昨日朝の続きになるが、未成年に於ける犯罪が未成年が故に減刑された時や初犯故に減刑された時は、成人後の犯罪行使処罰にあたり、過去免責分を3倍にして課すべきだと考える。叉、賠償金支払いからの逃亡を防ぐ意味で、賠償金請求権の金融業代行も考えるべきだろう

2012-04-27 07:28:51

続いて
宗教と神と宗教勧誘と新興宗教について
全くの個人的見解であり主観に基づいた(個人の状況認識には限界があります故)身勝手な意見

M-鈴木 甲28 @kapitan_black

神は知的生命体と自らを定義する、拙い思索に耽る原始的知性体が、自らの理解力の不足と知見のなさと、脆弱なる精神の安寧を得るために作り出した妄想の産物であり、それを細かく定義付けして有るべき接し方まで定め崇め感激し愛でている。…なんだ、俺たちか…

2012-04-19 21:05:29
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

鶏卵の議論の対象では無かろうが、架空の存在に能力や個性や背景を事細かに設定し悦に入る事は、想像力と呼ばれるものが芽吹いて以来、綿々と引き継がれ発展してきたものだ。遂には「本当に存在したら」との前提に立った読本も出現する。才能の無駄遣い飼いと非難されもするだろうが、最高の知的遊戯だ

2012-04-19 21:17:17
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

つまり、何が言いたいかと言うとだな・・・「経典の原理主義者、お前ら、粋じゃない、ちょっとばっかし無粋だよ」ってなとこで

2012-04-19 23:51:00

宗教勧誘に遭遇しての追記

M-鈴木 甲28 @kapitan_black

未だに宗教勧誘を入念に実施する宗教団体は概ね資金集めだろうし、寺だって檀家が消えれば潰れる物だ。しかし、それを全てさっぴいて、集団で人の玄関先占拠してくる「妙齢の御婦人がた」の歪んだ主観満載教条主義的な一神教の話を聞きたいとは思わないんだ。

2012-04-30 00:33:35
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

人が自転車の整備で機械機構学的悦びの宴をワンマン絶賛開催中に、「お時間あるかしら」とか言いながら、話を聞くのを当然の既定事項化した態度でパンフ(正式名称はしらん)を突き出す。両手、チェーンのオイルで汚れているだろ?ギアの調整は気を遣うし集中したいんだ・・・

2012-04-30 00:37:36
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

土台、対話では無くて、自己の信奉する存在や主義主張を無条件に寸分たがわぬ形で押し付ける行為なのだよ?布教とは。それは「科学的事実の探求とその教育」とは全く話が異なる。宗教や神の存在意義の最も重要な部分は精神面の救いにある。敢えて言うなら合法的な欺瞞だ。

2012-04-30 00:43:12
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

人は苦悩し、在り得ぬほどの偶然の積み重ねに慟哭し、己の不幸を呪い、自身の悪行を悔い、その払拭や贖罪や代償行為に権威を求める。無責任にも誰かもっと偉くて皆が信用する相手に、自分の何かを納得して欲しいと感じる。代わりに良い事があるさと保証されたい。その点、神の存在は余りにも「便利」だ

2012-04-30 00:55:12
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

当然、上手く利用できるとわかった場合は、時の権力者は大いにそれを推進する。ある意味、それは自分自身の知性や健全な精神活動を磨く事無く得られる心理的平穏への安易な道であり(この部分は真摯な宗教活動化の方はお怒りであろうと思う)言うなればトランキライザの投薬に近いものがある

2012-04-30 00:58:16
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

恐ろしいのは新興宗教の大部分が、この部分を最大限に利用する事で信者を獲得し利用している事だ。積極的に悩んでいる個人を褒め、本人が望む回答のみを積み重ね、方針を示し、尊い自己犠牲に邁進する立派な人でやれば出来る人で私は判っている的手懐け方を恥ずかしげも無く用いる

2012-04-30 01:01:00
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

それは、劇薬・・・麻薬だと言っても良い。2泊3日で100万円のセミナーとか、平気で金を払うところまで囲いこむのに成功すれば、片鱗の理性も「後戻りのできない」焦りから、逆に盲目的信奉へと駆りたてる動機の1つになり下がる

2012-04-30 01:03:11
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

続き 自分がとりたてて精神的に強靭だとの自覚は無い。しかし、その本質からして布教など不要、最低でも一声かけて、受け入れる、求める者にのみ与えればよいものだ。持論が合って社会的/儀礼的/通念上の立場以外での宗教を必要としない人間に、無理に理念を語るなや

2012-04-30 09:40:24