公達春の寺祭り VOL2 超りあ充の巻
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【何回でも爆発しますよ】GW名所旧跡巡り【右京たんと一緒】というわけで、公達春の寺巡り第2弾は!!右京たんと大原巡りです。寂光院、鳥羽帝、順徳帝御陵は右京たんのツイートがありますから、そちらにお任せします。
2012-05-11 00:06:48《ルート》北大路~北山通り~上賀茂神社~静市~江文峠~大原・寂光院~実光院~鳥羽天皇、順徳天皇大原陵~ディナー(*´ω`*) 大原へは八瀬経由が一般的ですが、右京たんやGO白河院の通った江文峠経由で行くことにしました。なぜこの道なのか:もしかして崇道神社がらみ(個人の感想です)
2012-05-11 00:10:32建礼門院様は、壇ノ浦より都に戻られた後暫くの間大原におわしました。今はバスですと八瀬経由で行けるようですが、わたくしも、そして後白河院も、賀茂社を通り、鞍馬へ抜ける路を右に折れる江文峠を越える道で大原へと向かいました。 http://t.co/4mVc1HMf
2012-05-04 19:56:53=========================
【静市神社】牛(ぎゅう)なびに、神社の印があったので、途中下車して参拝しました。社紋が双葉葵ということは上賀茂、下鴨神社に関係あるのでしょうか。山間の田園地帯で、とてものんびりした光景です。 http://t.co/UecHQrdq http://t.co/GDFNb06H
2012-05-11 00:14:13【江文峠】連休中ということでロードバイクやトレッキングの方々が結構多く、峠の記念写真スポット「金毘羅」石碑は人が多かったのでスルー。山道MAXを過ぎたところですが、牛なびだとこんな感じです(めぼしい建物はありません) http://t.co/xaN9uf7J
2012-05-11 00:17:10江文峠を下るともう大原。寂光院へはすぐです。牛車は結構上の方まで上がれますよ。寂光院境内には「源平桃」が咲いていました。 http://t.co/nDlzioVo http://t.co/Ptb4njiY
2012-05-11 00:21:15=========================
【建礼門院 大原西陵】
寂光院のすぐ横の参道を上がっていきます。
寂光院を見下ろす形で東向きに建っています。
ちょうど後鳥羽天皇陵と向かい合うような形でしょうか。
江文峠を下ると、寂光院の南側に出ます。ここはトレッキングコースにもなっているようでした。寂光院のすぐ北にある女院のご陵に、まずお参りを。参道の糸桜がまだ少し残っておりました。 http://t.co/AY2pq9Hu
2012-05-04 20:03:44寂光院への参道と間違えられるようで、張り紙などもございました。もう少し早ければ、桜ももっと見事でしたでしょうね。 http://t.co/qA9ezJDs
2012-05-04 20:07:45女院は洛東で荼毘に付されたとのお話もございますが、今のところ、この大原西陵が女院の御陵ということになっております。 http://t.co/ysv8EBZD
2012-05-04 20:20:07寂光院は、ちょうど春の特別公開期間中で、新しくなった書院(平家物語ゆかりの襖絵などがございます)を初公開、そして12年前の放火で黒焦げとなられましたお地蔵様が特別公開となっておりました。 http://t.co/OkjUUDPr
2012-05-04 20:22:38女院の大原でのお暮らしは平家物語「灌頂巻」、謡曲「大原御幸」でよく知られております。大相国様の御娘としてお生まれになり、高倉帝中宮、そして安徳帝ご生母と、女人として最高の地位を極められた方の変わり果てたおすがたには涙をそそられました。 http://t.co/4BbjPp0z
2012-05-04 20:30:12寂光院は、推古二(594)年、聖徳太子が、用明天皇の菩提を弔うために建立されました。ご本尊は、聖徳太子作と伝えられる六万体地蔵尊ですが、平成12年の放火により激しく損傷してしまいました。現在は復元されたご本尊が本堂に安置されております http://t.co/ybpOjdko
2012-05-04 20:34:47寂光院初代は聖徳太子の御乳人、玉照姫様で、この方は日本の最初の比丘尼のお一人でございます。第二代は信西入道ご息女、阿波内侍様で、崇徳帝のご寵愛を受けた方でございました。女院にもお仕えし、御出家後は証道比丘尼となられました。 http://t.co/eF9JY9vr
2012-05-04 20:40:33第三代が建礼門院徳子様。文治元(1185)年、入寺なさいまして、真如覚比丘尼となられました。現在の本堂の内陣は飛鳥様式、藤原様式、そして平安末期の様式で、外陣は豊臣秀頼が片桐且元に修理させた桃山様式のものを復元したものでございます。 http://t.co/rdxK3v5y
2012-05-04 20:45:41庭園は女院の時代の頃のままでございますが、樹齢千年の姫小松は火災での傷みが激しく枯れてしまいました。平家物語で、花を摘んでお帰りになられた女院が後白河院とご対面される場面に出て参ります。この小松の枝の入ったお守りなどもございました。 http://t.co/BZFmJByX
2012-05-04 20:50:15そして、庭にこのような石碑が…。恐らくもともとは別の場所にあったものでございましょうが、このような形でわが名を目にするとは…。他の場所ならいざしらず、このお寺の中にあると辛く切ない思いのほうが勝っておりました。 http://t.co/sXXl2NIc
2012-05-04 20:52:42特別公開の書院でございますが、新しい建物でございますので、女院ゆかりのものなどはございません。平家物語ゆかりの襖絵の、壇ノ浦の場面などは私室とかで、非公開でございました。もちろん、撮影禁止でございますので、画像はありませんの。お許し下さいませね。
2012-05-04 20:54:52続いて、これも特別拝観の女院のご庵室跡へ。といっても石碑があるだけで、ただただ寂しい空間でございます。あのように多くの者に傅かれて過ごされた方が、と思うとおいたわしゅうございました。 http://t.co/3U7oKZ68
2012-05-04 21:04:18ご庵室はいつのまに朽ち果ててしまったのでございましょう。本堂などは豊臣秀頼、徳川家康、淀君らが再興に尽力したようでございますが…。けれど、苔むした地に立つ石碑が、平家ご一門の潔いご最後を物語っているような気もいたします。 http://t.co/myPvaE6p
2012-05-04 21:07:41ご庵室跡の先に、ご本草の安置されている収蔵庫がございます。完全に空調管理されておりますので、ガラス越しの拝観となります。幸い、黒焦げとなりましてもその形状を留めており、胎内のものも無事でしたので、重要文化財指定を取り消されることなく済んだということでございます。
2012-05-04 21:10:59寂光院の敷地の南、ちょうどご庵室跡の向かい辺りに、細長い階段がございます。この先にあるのが、女院にお仕えした女房(阿波内侍、大納言佐局[重衡様ご正室]、治部卿局[知盛様ご正室]、右京大夫局、小侍従局)の墓と伝えられるものでございます。 http://t.co/ZfUjhZki
2012-05-04 21:16:26大変申し訳ないのですが、少なくともわたくしと、治部卿局さまはこの墓の主ではございませんでしょう。わたくしはその後、後鳥羽院にお仕え申し上げ、また治部卿局さまも上西門院様にお仕えされ、琵琶の道を極められました。 http://t.co/SgJenlQw
2012-05-04 21:24:42左から、阿波内侍さま、大納言佐局さま、治部卿さま、わたくし、奥が小侍従局さまのお墓とされております。実は歴代庵主にお仕えされた方々のお墓ではないかということでございます。 http://t.co/mPKSeyAE
2012-05-04 21:27:19