ぼくも原則的にはそう思うんですが、文脈によっては「小説」だと腰が引けた印象になってしまうというか、物語のニュアンスが濃すぎる感じがして、やっぱり「文学」と呼ぼうと思います。 (続く .@ken_nishizaki //全部「小説」でいいような気がするんですよね//
2012-05-10 08:55:59また、ぼくはとくにジャンル小説(SF、ミステリ、ファンタジイ)を意識しながら、そのカテゴリに単純に収まらない幅の広い文芸について考えることが多いので、そうすると「文学」がいちばん端的だと思うんですね。「普通小説」とか「主流文学」というのは、なんだか狭い気がして。 (続く
2012-05-10 08:56:19たしかに、「文学」という言葉には、権威めいた(あるいはおベンキョー的な)コノテーションがつきまとって、ちょっとイヤなんですけど。そんなのは、ホントの文学とはカンケーないぜと意気をあげるつもりで、どうどうと「文学」と呼ぶようにしています。
2012-05-10 08:56:37ぼくにとってのSFがそうですね。 (続く .@ken_nishizaki //私は怪奇幻想の人間だという意識が強く、そう呼ばれることも望むところなのでジャンルというものは大事にしたいとも思いますが、たまに面倒になる時があります。//
2012-05-10 09:11:54日本SFの黎明期には、さかんに「SFは自由な文学」「SFは想像力の小説」みたいな気炎がありましたが、それはあくまでキャンペーンであって、現時点ではもはや空虚なキャッチコピーに堕していると思う。だって、ほんらいの文学は自由なものだし、想像力が通っているものだもの。
2012-05-10 09:12:34こちらこそ、ありがとうございます!文学の醍醐味、読者にとっての切実さを、鴻巣さんの評論は具体的に、わかりやすく言いあてています。みんな読むといいよ。.@yukikonosu //またまたまた今ごろ牧眞司さん の連投ツイートに気づき感涙。ああ、引用が核心ばかり、深謝です//
2012-05-10 09:21:02「文学」という呼称が胡散臭く聞こえるとしたら、その元凶は――(1)国語担当の石頭教師、(2)ここ掘れワンワンの研究者、(3)半可通の文学ジジイ――にある。そのあたりのことを、拙著『世界文学ワンダーランド』(本の雑誌社)で書いています。
2012-05-10 09:28:42“制約”というとちょっと違うと思いますが、その当時、日本の文化状況のなかで、SFの面白さが正しく認知されにくいところがあったのは確かでしょう。半世紀前のことです。.@mmmat01 //科学的空想がいろんな意味で制約されていたのでしょう//
2012-05-10 10:19:03そうなんです。文学そのものは悪くない。面白い作品が山ほどあります。.@yuusakukitano @ken_nishizaki //今では文学って自分を特権化するための言葉としか思えないですね。文学文学言う人にそんなのが多いだけで、文学に罪はないと思いますが。//
2012-05-10 10:25:22なるほど! 納得です。「文学というジャンル分け」が不要ということは同感です。 (続く .@ken_nishizaki //社会的組織であるアカデミズムや出版社にとって文学というジャンル分けは必要。しかし個人にとっては不要ではないか。//
2012-05-10 20:39:42ぼくが文学という呼称にこめているのは「ジャンルを越えていく文章表現」への期待なのです。それは小説という言葉ではじゅうぶんではない気がして。むずかしいですね。
2012-05-10 20:44:03ご教示ありがとうございます!。『メガ・クリティック』の立ち読み部分をみたかぎりですが、ぼくの(素朴な)関心からはちょっと遠い論のようです。 .@orionaveugle //ジャンルというのは意図して構築された制度というよりも認識論的な枠組みですからね。『メガ・クリティック』//
2012-05-11 10:49:03つつがなく『オデュッセイア』を読みきったので胸を張って言える。ジョイス『ユリシーズ』を楽しむうえで、かならずしもホメロス作品を読んでいる必要はない。ジョイスが下敷きにしている神話物語があるということだけ知っていればOK。 (続く
2012-05-15 09:56:48『ユリシーズ』だけではなく、仕掛けもの小説の多くにあてはまると思うのだけど、「仕掛けがあること」「そのおおよその機構(全体像)」が飲みこめれば、「仕掛けの詳細(部品や素材)」はわからなくてもノー・プロブレム。 (続く
2012-05-15 09:57:56まあ、なかには、「詳細」だけが示されて、そこから「機構」をリバース・エンジニアリングしなければならない作品もあるけれど(ナボコフはそれっぽい)、『ユリシーズ』ちょっと違う。 (続く
2012-05-15 09:59:10まあ、なかには、「詳細」だけが示されて、そこから「機構」をリバース・エンジニアリングしなければならない作品もあるけれど(ナボコフはそれっぽい)、『ユリシーズ』ちょっと違う。 (続く
2012-05-15 09:59:10ダブリンの平凡な一日を、『オデュッセイア』の長大な冒険譚になぞらえる「仕掛けの機構」は、あらかじめ、ほとんど明示されている。あとは両者の対応関係だけど、それをいちいち追うことで『ユリシーズ』読書がそれほど豊かになるとも思えない。 (続く
2012-05-15 09:59:54ダブリンの平凡な一日を、『オデュッセイア』の長大な冒険譚になぞらえる「仕掛けの機構」は、あらかじめ、ほとんど明示されている。あとは両者の対応関係だけど、それをいちいち追うことで『ユリシーズ』読書がそれほど豊かになるとも思えない。 (続く
2012-05-15 09:59:54『ユリシーズ』の面白さは、平凡きわまりない日常と波瀾万丈な神話が重ねあわされる(いわば物語の超並列処理だ)ムチャな感じと、その機構とはとりあえず関係のない言葉遊び・物語遊び・人物遊びにある。……と、ぼくは思う。 (続く
2012-05-15 10:01:33『ユリシーズ』の面白さは、平凡きわまりない日常と波瀾万丈な神話が重ねあわされる(いわば物語の超並列処理だ)ムチャな感じと、その機構とはとりあえず関係のない言葉遊び・物語遊び・人物遊びにある。……と、ぼくは思う。 (続く
2012-05-15 10:01:33もちろん、文学研究や評論行為として、「仕掛けの詳細」を掘り出していく作業はそれなりに楽しいだろうし、それが新しい視野を開いてくれるかもしれない。まあ、そういうのは基本的に、用語事典とか登場人物名鑑をコツコツつくるファン活動みたいなものじゃないかな。
2012-05-15 10:02:09もちろん、文学研究や評論行為として、「仕掛けの詳細」を掘り出していく作業はそれなりに楽しいだろうし、それが新しい視野を開いてくれるかもしれない。まあ、そういうのは基本的に、用語事典とか登場人物名鑑をコツコツつくるファン活動みたいなものじゃないかな。
2012-05-15 10:02:09ちょっと真面目な補足。もちろん、読書は、個々の作品をバラバラに体験していくものではなく、ひとつの作品を読むことでそれまでに読んだ作品たちを呼びおこしたり、過去に読んだ数々の作品が背景となっていま読んでいる作品を際立たせたりする。 (続く
2012-05-15 10:20:18ちょっと真面目な補足。もちろん、読書は、個々の作品をバラバラに体験していくものではなく、ひとつの作品を読むことでそれまでに読んだ作品たちを呼びおこしたり、過去に読んだ数々の作品が背景となっていま読んでいる作品を際立たせたりする。 (続く
2012-05-15 10:20:18読書はたくさんの錘がついたモビールのようなもので、ひとつの錘(作品)を動かすとほかの錘も揺れる。ただし、それはオベンキョー的な知識や文学史的な伝統とは関係なく、読むひとそれぞれの経験のなかにしかない。
2012-05-15 10:20:45