群盲象を評す
- ShinShinohara
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「働かないアリに意味がある」によると、アホなアリがいるから効率的にえさが運べる。賢いアリは最初にえさを見つけたアリの進んだ道(ジグザグ)を忠実にたどる。アホなアリは道をたどりきれずに迷っている間に近道を見つけてしまう。さて、能力とは何なのだろう?
2012-02-10 23:32:12議論を円滑に進めるファシリテータは、参加者からアホな意見が出てもそれを捨てない。何か思考を深めるヒントにならないか、ためしにみんなで考えてみる。これはソクラテスが良くとった手法だ。若者が口にした突飛でもないことを大真面目に取り上げ、関係なく見えた事象をつなげ、掘り下げてしまう。
2012-02-10 23:35:32「王様は裸だ」と口にする子どもは、大人社会の仕組みを知らない愚か者かもしれないが、見方を変えれば仕組みにとらわれている私達の愚かしさを端的に指摘する言葉でもある。「アホな言葉」をおろそかにしてはいけない。
2012-02-10 23:37:00討論(ディベート)を「群盲象を評す」のたとえで考えると、耳を団扇だと勘違いした人が尻尾を綱だと考えた人に対し「なぜ言い切れる?根拠は?そんなあいまいなのに?お前の言うことは当てにならん!」と畳み掛け、耳を貸さないテクニックのこと。これでは決して「象」という真実の姿に近づかない。
2012-02-14 23:58:06「群盲象を評す」という寓話のように、私達は自分の狭い経験から物事を語るしかない。その際、尻尾や足しか触っていないのに「これは綱に決まっている」とか「柱に違いない」と決め付け、他の意見を言う人を攻撃していては「象」という真実にたどり着けない。みなの意見を聞くことが非常に大切。
2012-02-14 23:20:43「群盲象を評す」の私達は、いかにして象(真実)を見破るか?それは、異なる意見に耳を傾けること。尻尾を触って「綱だと思う」という人、足を触って「柱ではないか」という人、色々な意見を聞き、それらの情報を全て満たすものを推測する。そうして私達は真実に近づける。
2012-02-15 00:00:38「群盲象を評す」の私達は、尻尾を握れば綱だと確信するだろう。そして耳や足を触って別の確信を持つ人を「愚かだ」と思ってしまいやすい。しかし私達は手持ちの材料で推測する(speculation)することしかできない存在。他の人のspeculationを謙虚に聞かなければならない。
2012-02-15 08:20:19「群盲象を評す」の私たちは、シッポを握って綱だと思いこむ「管見(speculation、手持ちの材料だけで推測すること)」しかできない。その管見を正しいと信じ込み、他の意見を罵り、軽蔑するのは愚かなことだ。私たちは、たくさんの管見に耳を傾け、真実に近づく努力を怠ってはいけない。
2012-02-15 23:15:08