TLに「ユダヤ人」の文字が流れる度、思想警察ぶって取り締まるべきなのか、それは正しいことなのか。わからない。自分だったら、文脈読めよ、細けえよ、となるだろう。そのように些細なことで他人を不愉快にしてよいのか、とそれは当然問われる。
2010-06-19 01:07:35暫定的なものだが、またこれはヴェイユに学んだことだが、誠実であるとは自らの不誠実さに苛まされることをやめない、ということにある、というのか婉曲的な答えだ。細かい指摘、ノイズの中に身を晒し続けること、また、必要であれば自らノイズとなること。
2010-06-19 01:09:20あるいは違うな。唾棄すべき結論なのだが、こちら側に伝えることをやめない、あるいはよりきちんと伝えようとするある種の愛情のようなものを保つことができるか、ということか。全く面倒なことだが、どうもそうだろう。
2010-06-19 01:22:35あるいは違うな。唾棄すべき結論なのだが、こちら側に伝えることをやめない、あるいはよりきちんと伝えようとするある種の愛情のようなものを保つことができるか、ということか。全く面倒なことだが、どうもそうだろう。
2010-06-19 01:22:35「排他的に」の下りは理解できないのですが、(院生と比較して相対的に)広くいろいろな事柄について知ることができる=ひろく色々な事柄について応答責任をもつ、といったことを考えておりました。 @kojisasaki
2010-06-19 01:36:06@ConGrazie さらに言うと(ごめん、やっかいな絡み症が出てる....)、誠実であることは原理的に不可能なのだと思うんだよね。知的にも倫理的にも。その不可能さの、そのなんか嫌な感じの中に晒されつづけることを選べよ、と。あるいは選ぼうとしろよ、と、かな、と。
2010-06-19 01:37:34@ConGrazie いや「キレイな言葉」云々といってしまえば、僕も同じで、「苛まされることを選べ」といったかっこいいことばで、カタルシスを得てる。
2010-06-19 01:45:10ある特定の学問的分野の発表されている限りの最先端、というのは、大学図書館とDBがあれば基本的にアクセスは可能。参考文献の読み方や特定分野の専門的な辞典の使い方が分かれば、文献リストが作成でき、読むべき本とメンターとなる教員がいれば学習計画は立てることができる。
2010-06-19 01:46:10あとは語学だな。データベースに論文が存在していても、語学能力がなければそれをよむことが出来ない。大学のユニヴァーサリティは、英語以外のものを含めた語学によって支えられている。ここにおいて古典語の重要性はいくら指摘してもしすぎるということはない。
2010-06-19 01:48:12@YoshinagaT 高飛車な言い方をすると(爆)、Good Question! ってやつですね。でもね、更に進んで「僕はこんなに不誠実なんだ....」という fucking 反省房(失礼w)も、ノイズとして啓蒙のプロジェクトを作動させているといえると思うのですよね。
2010-06-19 01:50:24Cinii はまだまだ残念な感じだが、JSTOR や EBSCOhost 、OED、Oxford Reference などへのアクセスが保障されている、ということはすごいことなのだ、と気付くのに学部の一年を費やした。あるいは紀要が山のように置かれた大学図書館の価値。
2010-06-19 01:54:15はい。当然これは「学部生」である僕がある種の自らの責任を再確認するための言葉というのが出発点にあります。が、それを超えて(相対的に)「学部生」に(より)開かれた学びの環境は与えられているだろうと僕は思います。cont.RT @kojisasaki
2010-06-19 01:57:02学士課程と、それ以降の課程とが、質的に異なる部分がある、という点にご同意いただけるのであれば、学部生がよりひろい学習の可能性に恵まれている、という言葉はご理解いただけるのではないかと思います。cont. @kojisasaki
2010-06-19 01:59:04それというのも、私が現実はどうあれ制度として「院生」は専門分野の研究に従事すること、あるいは特定の分野の研究に特化した学習をその主たる「仕事」とする、と理解しているからであります。@kojisasaki
2010-06-19 02:00:38誰か言うと思ってましたw でもですね、僕は少し前に呟いたように、学部教育はこれ皆リベラルアーツだと考えているので、問題ないわけです。RT @millionsage: @edouard_edouard ぶっちゃけ、ICUおよびリベラルアーツを前提化しすぎじゃないかなぁ?
2010-06-19 02:01:45@YoshinagaT そのつっこみはナイスです。メタメタゲームの「どっちが頭良いか競争」となりがちであることは認める。でも、ああしたことが具体的な現実として問われるということは、実際にあります。
2010-06-19 02:08:34@millionsage それは教養教育の理解の違いです。既にツイットしたことですが、教養教育とは学ぶ主体として自己を確立することを支援する教育のことです。手段はなんでもいい、というかそれは往々にして学部における「専門教育」(専門性の高い教育)だろうと思います。加えて語学。
2010-06-19 02:10:12そういえば、僕が深夜に別に専攻でもなんでもない教養教育やら大学教育やらについて必至こいて呟いていたというのに、 @anarchist_kon が労いの言葉もかけずに消えていったというのはかなりひどいな。薄情者め....
2010-06-19 02:50:30ジャック・デリダ『条件なき大学』(西山雄二訳、月曜社)においてデリダは大学への「信」を「告白」します。それを思い出しながら、教養教育への「信」を「告白」してみました(?)ということで、Adieu!
2010-06-19 02:55:16