"音楽批評"論争がもたらしたあなたのわたしの音楽批評
- gogonyanta
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面白いものは面白い。旨いラーメンは旨いのと同じです。QT @andoh3 ではでは、訊き方を変えてみますね。高橋さんご自身は、どのような批評に「面白さ」を感じますか? ひとりの読み手となったときに。 RT @kentarotakahash
2012-05-10 10:06:08世の中には面白いものを書く偉大な書き手がいます。なぜ面白いのか、はそれぞれであり、どうしたらそれが書けるのか、は僕などの想像力の範疇を越えたレベルにあると感じます。一方で、面白くないものは面白くない理由を簡単に挙げることができます。 @andoh3
2012-05-10 10:10:43別の言い方をすると、面白い批評文に対して「面白い!」と言う以上のことを言おうとするなら、今度は自分がそこにある固有の面白さと対峙して、面白い批評を生み出さねばならなくなるということです。こういうものが面白い、などというあらかじめあるルールでは、それは語れません。 @andoh3
2012-05-10 10:29:55もちろんありです。ノールール、ノーリズンでなければ、面白さには挑めませんから。QT @andoh3 ただその論でいくと、批評対象となる作品が、巧いラーメンのためのスパイスとしてしか機能しない、という場合だってあり得ますよね。それは高橋さん的には、「批評として」ありですか?
2012-05-10 10:45:56そもそも批評対象は、批評という表現行為、あるいは作品の材料でしかありません。加えて、音楽は聞かねば分からないものです。読み手がその音楽を聞くという行為をしなければ、批評文だけがそこにある状態です。QT @andoh3 批評対象となる作品が、巧いラーメンのためのスパイスとしてしか
2012-05-10 10:55:33例えば、僕は山口百恵のレコードをまともに聞いたことがありませんが、平岡正明さんの「山口百恵は菩薩である」には衝撃を受け、影響も受けました。 @andoh3
2012-05-10 10:47:58批評文は往々にしてそういう側面が強いものだとは思います。平岡先生の場合、読み手をまた文章から山口百恵に向かわせるというところが、きちんと作品批評となっていると思いました。ただ「面白ければなんでもいい」が孕む危険性は、 @kentarotakahash
2012-05-10 10:58:31やっぱり「俺にはこう聴こえたからこうなんだ!」を絶対視しちゃうってところにあると思うんです。平岡先生はあくまで山口百恵と自分の距離感を文章にしてらっしゃいましたが、その距離感に無自覚な文章って、確かによく見る気はします。 @kentarotakahash
2012-05-10 11:04:34平岡さんをそう評価するなら、こんなものを「きちんと」の必要条件とすることの下らなさが分かるでしょう>アーティストの考え方、シーンの立ち位置、歴史、現在のシーンのモード等などを理解し〜整理して説明 QT @andoh3 平岡先生の場合〜きちんと作品批評となっていると思いました。
2012-05-10 11:05:46理解できません。まず、面白い文章を書くことはぐっと来る音楽を作るのと同等に難しいです。面白い文章はすでにそれだけで価値があります。 QT @andoh3 ただ「面白ければなんでもいい」が孕む危険性は「俺にはこう聴こえたからこうなんだ!」を絶対視しちゃうってところにあると思うんです
2012-05-10 11:09:40次に、音楽の聞こえ方は人それぞれです。私は私の、貴方は貴方の「俺にはこう聴こえた」しか分からない。それにはしがみつくべきです。貴方が掴むことのできる唯一、確かなものですから。 QT @andoh3 「俺にはこう聴こえたからこうなんだ!」を絶対視しちゃうってところにあると思うんです
2012-05-10 11:13:37貴方は貴方に聞こえていない「作品の豊かさ」を語ることはできません。 QT @andoh3 開き直っちゃうのは、やっぱり作品の持つ豊かさを、ある意味でそぎ落とすことになるんじゃないかな、と思います
2012-05-10 11:21:30それはもう「批評」と称する必要はなくて、エッセイと呼ぶんじゃないか、と思います。エッセイという散文ジャンルがあるにも関わらず、なぜ「批評」だと言うのか。その自問が、やっぱり批評を批評たらしめていると思います。 RT @kentarotakahash: 理解できません
2012-05-10 11:15:02どっちでもいいじゃないですか。QT @andoh3 いくら聴こうとも、音楽を完全に理解することなんて無理です。で、そのときに、「じゃあそっからインスピレーション受けたことを語ろう」ってのがエッセイで、「理解できないけど、なんとか無理矢理解釈してみせよう」ってのが批評ではないか、と
2012-05-10 11:25:28音楽を完全に理解ってどういうことですか? 僕は自分が作った音楽すら理解できないです。どうしてそれがそう聞こえる音楽になっているのか、分からないですから。 QT @andoh3 いくら聴こうとも、音楽を完全に理解することなんて無理です。
2012-05-10 11:28:32そうなんですが、自分の解釈を「唯一の読み」ではなくて、あくまでひとつの読みとして提出っする、って態度を明示して、その他の読みを許容すれば、読み手はまた作品に向かうでしょう。「俺にはどう聴こえるかな」って。自分には聴き取ることのできない豊かさを、 @kentarotakahash
2012-05-10 11:29:17それって明示するまでもないことです。むしろ、 他の読みを許容しない批評って、どうすれば出来るか知りたいです。 QT @andoh3 そうなんですが、自分の解釈を「唯一の読み」ではなくて、あくまでひとつの読みとして提出っする、って態度を明示して、その他の読みを許容すれば、
2012-05-10 11:32:27エッセイという散文ジャンルがあるのに、それでも「批評」と名乗ることは、やっぱり一種の倫理的な態度表明ですよね。自分が書くときに、その基準をどこに置くのかって話です。 @kentarotakahash
2012-05-10 11:38:59@andoh3 話がよく分からなくなってきました。エッセイと名乗ろうが、他者の作品を批評していたら、批評ですよ。だいたい、雑誌見たって、ブログ見たって、これは批評です、エッセイです、なんて断ってないでしょ。そんなことより、ラーメンだろうが中華そばだろうが、旨いものが旨い。
2012-05-10 11:43:22@kentarotakahash 批評するつもりで作品に向かうか、エッセイのネタとして作品に向かうかではこっちの姿勢も違うとは思うんですが、その辺りに違いがあるか否かは「人それぞれ」ってことにしておきますか。いえ、回りくどい言い回しに付き合っていただき、ありがとうございました。
2012-05-10 11:49:43@andoh3 いえいえ、主観的な感想文に終わるものと、多くの人に意味を持つ批評の間にある差異というのは、とても深い命題です。だからこそ、簡単に切り分けなどできません。必要条件を満たすことや、作品に向かう姿勢で変えられるのなら、簡単過ぎるのですよ。
2012-05-10 12:03:43@kentarotakahash そうですね。全く同じ意見ですし、作品に向かう姿勢で批評か否かの切り分けを行おうとは考えていません。あくまで書き手の倫理観の話としてのみ、考えております。ご丁寧にお付き合いいただき、ありがたいです。
2012-05-10 12:13:17