山本七平botまとめ/「虚構の”座標”をなぜ信じるのか?」~人は”かたより見る”ものであるという前提がない日本人~

山本七平著『ある異常体験者の偏見』/一億人の偏見/271頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

26】私はその言葉を遁辞だと思わない。というのは、これと非常に似た言い方が、新聞批判への批判という形で『諸君!』誌の読者の投稿に載っているからであり、また私自身出版者なので、同じ問題を感じないわけにはいかないからである。

2012-05-12 15:57:04
山本七平bot @yamamoto7hei

27】だがそれでは、読者は、子守歌を聞く幼児であっても、情報を受け取る「主権者」国民ではないはずである。どうしてそうなるか。この関係は、おそらくマスコミのすべてに通ずる一種の相関関係であろう。

2012-05-12 16:27:12
山本七平bot @yamamoto7hei

28】「白痴番組」という言葉は、白痴視聴者がいるということであり、「画一的記事」という言葉は無思考画一的読者がいるということである。新聞は事実を報じていないという、それは、事実を知りたくないという読者の要望に応えているからであろう。

2012-05-12 16:57:02
山本七平bot @yamamoto7hei

29】前にもふれたが、私のところに来た一通の手紙はその事を語りつくしていた。「…お前の『百人斬り競争』についての記述は事実だろう。だが一体お前は何を言いたいのだ、お前は右翼なのか左翼なのか。もういい、理由はいわない、もう書くな、絶対にもう何も書くな…』

2012-05-12 17:26:53
山本七平bot @yamamoto7hei

1】人は虚構を事実として、それで安心していたい。そして私とて同じ傾向があったことを自ら認めないわけにいかない。『ユダイカ』から感じたもう一つのことは、この方法が砲兵の標定に似ているということであった。<『ある異常体験者の偏見』

2012-05-12 17:57:17
山本七平bot @yamamoto7hei

2】ある事実を正確に記述するという作業のうち、最も単純化されたものが、この標定であろう。理論は極めて簡単で、いわば最も簡単な測量(砲兵では測地という)である。

2012-05-12 18:27:40
山本七平bot @yamamoto7hei

3】基線を張り、その端にそれぞれ標定機を据え、基線と目標との角を計る。これを製図すれば(これを測板というが)測角した線の延線上の交点に目標がある筈である。これが交会法で、交点の座標が目標の位置になり、これと砲車を図上で結びつければ、方向角も射距離も出てくる筈である。

2012-05-12 18:56:42
山本七平bot @yamamoto7hei

4】しかし測角には誤差がある。そこでもう一つ別のところに基点を設定してそこで同一目標目がけて測角し、それをそのまま製図すれば、この線は目標の上を通り、三線が一点で交会する筈である。だがそうはならない

2012-05-12 19:27:22
山本七平bot @yamamoto7hei

5】どんなにしても誤差が出るから、一点で交会する筈のものがずれて、ここに三線による三角形が出来てしまうのである。奇妙なもので、そうなると急に不安になり不愉快になり、測角値を逆に修正(否、修悪?)して、三線を作為的に一点で交会させて安心したくなる。

2012-05-12 19:57:19
山本七平bot @yamamoto7hei

6】しかしもしそれをやれば、たとえ何本の線を交会させて自らを安心させようとそれは虚構の座標に線を合わせ、その位置を歪曲しているにすぎず、従ってその測地は全く無意味なものであるだけでなく、恐るべき事故を起すかも知れぬ有害なものなのである。

2012-05-12 20:27:20
山本七平bot @yamamoto7hei

7】三線が交会せず三角形が出来ると対象がぼやける。一点であった座標が三点になりどの座標が目標か判らなくなってしまう。しかし、このぼやけた時に初めてその測地はある程度の精度をもちうるのである。なぜそれが精度をもつといえるか。それはその三角形の中に目標がある事はほぼ確実だからである。

2012-05-12 20:57:44
山本七平bot @yamamoto7hei

8】従って、さらに多くの基点を設けて標定を重ねていけば三角形は四角形、五角形とふえていき、次々に座標の数はふえて、ますます対象の位置はぼやける。しかし、ぼやければぼやけるほど、その多角形の内面積はせばまっていき、目標の位置はますます正確に把握できるようになってくる。

2012-05-12 21:27:32
山本七平bot @yamamoto7hei

9】それを無限にくりかえせば、その多角形は最終的には円になり、その円の中心点が、ほぼ正しい座標ということになるであろう。従って「正しい座標」は、何本もの線が一点に交会して出来あがるわけではない。

2012-05-12 21:57:18
山本七平bot @yamamoto7hei

10】従ってもし、絶対誤りないといわれる座標があり、疑う余地なく何線もが交会しているから、そこに目標があるのは「断固たる事実」だという者がいれば、それは常に、虚構の座標に意識的に線を交会させ、それによって自らを欺き、かつ他を欺く「創作」をしているにすぎないのである。

2012-05-12 22:27:17
山本七平bot @yamamoto7hei

11】たとえ「一億一心」で一億本の線が交会しても――。この連載は「確定要素」の算出ではじまったわけだが、測地という最も単純な確定要素の機械的測角さえ「無誤差」ではありえないから、複雑きわまる他国のことを標定して、「現実」が一点の座標で表わせるはずはない。

2012-05-12 22:58:01
山本七平bot @yamamoto7hei

12】このない事をある事にすると、前に引用した「現代アメリカのすべて」のような形になり、まず「虚構の座標」が設定され、皆が次々とこの座標へと線をひいて行き、その線が多くかつ一点で交会するから、これが「事実」だとされてしまう。

2012-05-12 23:27:35
山本七平bot @yamamoto7hei

13】だが「事実論」は多数決とは関係はない。「皆がそう言っている」という言葉は何の意味も持ち得ない。そこで、現実にその「座標」で生活している藤島氏などは、これを見てただただ呆然とせざるを得ないわけである。ツァイトリンとバロウズはいかにしてこれを防ぐかを示しているように思われる。

2012-05-12 23:58:23
山本七平bot @yamamoto7hei

14】二人とも、頑として相手の座標へ意識的に自分の線を合わして行こうとしないから。そこで座標は二つになり、年代は六、七百年の誤差を生じ、そのため、一点の座標となって人々を安心させてくれない――そこで、世界中の学者を巻き込むような「巻物戦争」になってしまうわけである。

2012-05-13 00:26:34
山本七平bot @yamamoto7hei

15】確かに論争、特に専門家二人の、互いに立つか倒れるかといった徹底的な論争は「平和を愛好する?」我々の性に合わない。名指しのポレミークは絶対さけるのが我々の伝統であろう。そしてそういう伝統が生じた事は、それなりの理由があったのだと思うし、プラスに作用する面もあるのだと思う。

2012-05-13 00:56:45
山本七平bot @yamamoto7hei

16】しかし虚構の座標に何本の線を集中させてもそれは虚構なのである。人は線を増やす事によってそれが事実であると信じようとする。しかし内心常にそれが虚構なのではないかという不安を持ち続けている。その不安を消す為…次々に線をそこへ集中させようとする。極限まで行けば「一億一心」であろう

2012-05-13 01:26:31
山本七平bot @yamamoto7hei

17】だがその時には実は不安の方も極限まで達していて、一億玉砕総集団自殺という発想迄出てくる。…ちょっとした徴候に怯えて人々がトイレットペーパー…等目がけて「蜂起」するのは、画一的なマスコミの情報が創作する「座標」が虚構にすぎない事を人々が何となく内心で感じている証拠であろう。

2012-05-13 01:56:51
山本七平bot @yamamoto7hei

18】ところが、この不安は常に、虚構を崩さないで、逆に、虚構を事実と信じて安心しようという方向に動くのである。満州事変以後、すべての人が内心では「こんなことをしていて、一体日本はどうなるのだろう」という不安を持ちつづけていた。

2012-05-13 02:26:34
山本七平bot @yamamoto7hei

19】そしてその不安が強まれば強まるほど、虚構の座標を事実と信ずる為、そこへ自分の線を合わせていくのである。しかし虚構は虚構であり、そして事実が虚構の座標の方へ移動してくれる事はない。だが終いには、何かが、超人的な何かが、事実を虚構の方へ移動させてくれないかと願うのである。

2012-05-13 02:56:46
山本七平bot @yamamoto7hei

20】そしてその願いを、神風とか精神力とか民衆のエネルギーとかいう名の測定不能な要素にかえ、この「不確定要素」を「確定要素」に算入し、補給という確定要素は一切欠落させ、それによって、虚構の座標へ事実をひっぱって来ようとするわけである。

2012-05-13 03:26:31
山本七平bot @yamamoto7hei

21】それが出来れば奇跡であろう。従ってそれができると信ずるためには、人は常に、地上のどこかで奇跡が行われていると信じねば不安でたまらない。従って、実に多くの奇跡が報ぜられた。

2012-05-13 03:56:53