【非核】精神論で考察する:日本の核保有は「平和の装置」となり得るのか #非核 #脱原発 #核保有 #核武装
- tkatsumi06j
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前段にあった考え方
自分の利点を表す言葉としての「武器」。なぜ「武器」なんだろう。たしかに英語でも同じような表現になる。どっちが先か知らないが、なぜ人は自分を守るものを「武器」としか表現できないんだろう。ちょっと、思った。たとえば英語という言語は、日本人の私にとっては武器ではなく平和の装置なのだが。
2012-05-27 16:37:40『ヤマト』でいえば、「デスラー砲」やが破壊の装置ならば「コスモクリーナー」が平和の装置。でもデスラー砲だって、ヤマトやイスカンダルを守るために使われるときには平和の装置になり得る。単に侵略や殲滅のために使われなければ、兵器も平和の装置になり得る…だろうか。
2012-05-27 16:41:42この考えを突き詰めていくと、結局「正義の戦争」で使われるならば兵器は「平和の装置」であるということになり、では戦争する側のどっちに正義があるということになる。侵略戦争の場合、防戦して防衛のために兵器を利用するのであれば、これは「平和の装置」としての利用と考えられるのか。
2012-05-27 16:43:23ヤマトIIIのTVシリーズ「太陽系の破滅」に、シャルバートという伝説の国家が登場する。デスラーのガルマンガミラス帝国すら畏怖するその幻の超軍事国家は、突然軍備を捨て、平和国家として君臨することを選ぶ。この平和国家にボラー連邦が侵略するのだが、ヤマトとデスラーによって守られる。
2012-05-27 16:46:38ヤマトやデスラーに守られながらも、シャルバートの人びとは武器を取って闘おうとはしない。頑なに平和の信念を通そうとする人びとがいる一方で、その人びとを守るためにヤマトやガミラスの人間が死んでいく。このシャルバートは、「日本」なのだろうか。 http://t.co/ugPYhSK1
2012-05-27 16:50:05「平和は、絶対に戦わぬことを決意し、その決意を、たとえ殺されても守り通すところからしかきません。それは自分との戦いであり、敵と戦うことより難しいのです」
ヤマトらの奮闘のおかげで難を逃れたシャルバートの女王、マザー・シャルバートはこう言う。「平和は、絶対に戦わぬことを決意し、その決意を、たとえ殺されても守り通すところからしかきません。それは自分との戦いであり、敵と戦うことより難しいのです」―子ども心ながらも、偉そうだと思った。
2012-05-27 16:52:35だが、シャルバート女王だけでなく、その臣下の長老もこう言っていたことを思い出した。古代「あなた方はなぜ闘わないんですか?このまま滅ぼされてしまいますよ?」長老「かまわん!」―つまりもとより死や滅びは覚悟の上の平和主義だということ。これには衝撃を受けた。だが、そうなれるのだろうか。
2012-05-27 16:55:01そんな崇高な精神をこの和国日本の民は持ち合わせていないと思う。それでも平和主義を貫くのであれば、それは同盟国の人間の屍の上に成り立ったものとなる。結局、それでは独善でしかない。自らの死や滅びを覚悟しているわけではないのだから尚更だ。
2012-05-27 16:58:24続き。そこで日本は自衛隊を持ち、活動範囲を広げて国際社会で対等に扱われるよう努力してきたわけだが、それでも憲法の制約上、敵地攻撃能力は持てないことになっており、核の保有についても、非核三原則以前に憲法上の制約により保有できないことになっている。が、持つべきとする論は後を絶たない。
2012-05-27 17:03:27考察:核は「平和の装置」なのだろうか
核爆弾は、そのあまりの威力ゆえに「使えない兵器」として人類史上過去2回しか実戦では使用されていない。その使えない兵器を、それを持てる国が大量に保有し、けん制しあうことで、核のバランスによる平和が成り立ってきたと考えられている。これが「パクスアトミカ」(核による平和)だ。
2012-05-27 17:07:34「パクス・アトミカ」とは
この「核による平和」は、一定量の核を保有国が保有しあうことで、互いを出し抜きさえしなければ保たれるという「あやうい平和」によって成り立っていた。この核のパワーバランスは、ソ連が崩壊した後も維持されてきた。それでも総保有量を減らそうと米ロは交渉を重ねてきているのが現状だ。
2012-05-27 17:10:37この後は、この画面を見ながらのお話となります。NO MORE HIBAKUSHA : Threat http://t.co/brzTZs2X
2012-05-27 17:17:17この画面を見ての通り、「核による平和」は米ロのみによって保たれているわけではない。敵対する勢力のいずれかあるいは双方が核を保有することによって、大きな戦争が起こらないようにする力=抑止力としての役割を果たしていることもある。 http://t.co/brzTZs2X
2012-05-27 17:30:44核保有に関する二元的肯定論
各国の保有後、両国あるいは両国の地域で大きな戦争は行われなくなった。たとえばインドとパキスタン。イスラエルとアラブ諸国。いずれも、一方あるいは双方の核保有後、大きな紛争が起きないまま今日に至っている。核は超大国同士のみでなく、小国にとっても戦争の抑止力となるということなのだろう。
2012-05-27 17:33:56核の保有を平和の観点から肯定する人間は、この論理を使う。より大きな戦争を抑止するためなのだと。そして、実際に核保有国同士で大きな紛争がなかったことを肯定の材料とするわけだ。しかし「起きていないことの理由」を証明することはできない。核はあやうい平和に貢献しているだけでしかない。
2012-05-27 17:38:02「核を使用しない」論もあれば、「核を使用する」論もある。人類至上、唯一戦争で核爆弾を使用した米国の歴史の教科書には、いまも「核の使用は、それを使用しないことによって失われる米兵士の生命を守るためにやむを得なかった」と。日本が核保有するとしても、このいずれかが肯定理由となるだろう。
2012-05-27 17:43:53