岡﨑乾二郎氏(@kenjirookazaki) 「災害と事前の作品構造」+反応
同時にこれ(アート)は、まだまだ余震に揺れてる現実とは、ちょっと違う時間軸の流れの中に存在しているんだなということが、くっきりと交差した場であったこともとても印象的。そこからツイートが始まったのでした、私は(苦笑)
2012-06-02 04:04:10事前/事後という見方のなかにも入れ子構造があり、また事前/事後という時間軸のなかにもリニアな歴史的時間に収斂しえないものがある。ひとつの時間軸(歴史性)を前提化しようとする意志によって露呈する視点や時間軸そのものの複数性というものがある。
2012-06-02 06:48:44昨夜のツイート、《生々流転》の例の使い方とかはちょっと単純化しすぎたかも。「生々流転」の核心を営々と続く自然の大きな時間の流れのなかでの人間の忘却と捉えれば、それを震災の「事後」の視点の避けられぬ場に出品することで観客がそこに読み取る「意志」とはどんなものかと考えるに…
2012-06-02 07:24:42まず出品者がその作品を出品することの「意志」、「生々流転」の思想を伝えてきた人類の「意志」、作者である大観がそれを描いた「意志」、その作品が関東大震災にかち合うことでひとびとが作品に対して注いだ眼差し、そしてそこから伝えられてきたもの。
2012-06-02 07:24:59「作品」も「作者」も「美術史」も「芸術」も、それに注がれる眼差し如何でいかようにもその意味は変化する。視点を固定化して盲信してしまうといろいろ変なことも起きる。予言的価値の手柄を作者に一元化すると単なるオカルトにしかならないのと同じ。
2012-06-02 07:25:24つまり《生々流転》のなかに既に個別の事象に対する「事前/事後」も普遍的な「事前/事後」の視点も含まれている。そこに含まれうる「意志」の総合を、作者や出品者に仮託して見ることは可能。というかそのようにして「作品」や「芸術」というものは見られてきたのではないかということ。
2012-06-02 07:25:13「作品」も「作者」も「美術史」も「芸術」も、それに注がれる眼差し如何でいかようにもその意味は変化する。視点を固定化して盲信してしまうといろいろ変なことも起きる。予言的価値の手柄を作者に一元化すると単なるオカルトにしかならないのと同じ。
2012-06-02 07:25:24RT @nakashima001: 事前/事後という見方のなかにも入れ子構造があり、また事前/事後という時間軸のなかにもリニアな歴史的時間に収斂しえないものがある。ひとつの時間軸(歴史性)を前提化しようとする意志によって露呈する視点や時間軸そのものの複数性というものがある。
2012-06-02 07:27:47でもTLの時間軸をリニア(リアルタイム)だけに還元するのは、そこにある時間軸の複数性やその可能性を見落とすことにもなるな。そうやって見るとツイッターの“ゆるやかな”構造はやっぱりなかなかに面白い。
2012-06-02 08:09:34@cezannisme ぼくはこれから起こりうるあらゆる災害だけでなく、出来事全般に対して開かれていくといいかなと思っています。でも作品ってそういうものですよね。
2012-06-02 06:31:55@kktnk おっしゃる通りです。正確にいえば、あらゆる災害というよりあらゆる出来事ですね。そのような作品を震災後に作ることも可能でしょうし、田中さんのヴェネチア作品がそのようなものになるよう期待しております。
2012-06-02 10:21:48ベネチアビエンナーレに参加する田中功起と、参加してない村上隆と、以前に少しだけ関わった岡崎乾二郎の話題の流れ、面白く、呆れた発想。http://t.co/PEsFUlNQ → http://t.co/DJv0mork → http://t.co/W4xAyyUO
2012-06-02 14:04:05
「しかし、美術史において作品の評価を決定するのは、アーティストによる理性的な作品の説明とは全く関係のない考察を通じてである。」#gjks2011
2011-01-02 21:23:12
関連情報
1996年 第6回ヴェネチアビエンナーレ建築展 金獅子賞・パビリオン賞(日本館)受賞
コミッショナー:磯崎新
テーマ:「亀裂」
作家:石山修武、宮本佳明、宮本隆司
企画出品作家:安藤忠雄、磯崎新、伊東豊雄、長谷川逸子、入江経一、岸和郎、妹島和世(以上建築)、二川幸夫、鈴木久雄(写真)
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