山本七平botまとめ/『日本人が抱く”妄想”アジア』/~「花の雨が降った」米軍と「石もて追われた」日本軍の違いとは~
- yamamoto7hei
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32】そしてその背後にあるのは「ピリ公なんざぁアジア人じゃネエ」という「アジアという妄想」に基づく、抜きがたい偏見であった。「どうせやつらはそういう民族なんだ。骨の髄まで植民地根性がしみこんでやがる。
2012-05-29 23:57:3533】敗者には石を投げ、勝者には土下座する。確かに我々は敗れたさ、だが、やつらにゃ敗れる能力もないくせしやがって。そういうやつらなんだ、石しか投げられないのは……」呪詛のようにこういう言葉が延々とつづく。まるで自分の傷口をなめるように。
2012-05-30 00:26:4134】だが、結局それが事実でないことは、比島独立運動史を多少とも読んでいた我々自身、よく知っていた。しかし、知っていながら、そう信じたい。またそういう呪詛を正面から反論する者もいない。いわば一種の自慰か創のなめあいであろう。
2012-05-30 00:57:1535】「違いますぜ、そりゃあ――」。収容所で、私の斜め前のカンバスベッドからSさんが言った。~略~殆ど口をきかず、口を出さず、何か言うときは呟くように言う。温和そのものの人だが、その目には一種の冷たさがあった。その彼が不意に言った。「違いますぜ、バターンのときは違いましたぜ」。
2012-05-30 01:26:3836】私は驚いて彼の顔を見た。当時「パターン」は禁句だった。バターンの死の行進に、何らかの形でタッチしたなどとは、絶対だれも言わなかったし、ききもしなかった。彼は、一兵卒から叩きあげた老憲兵大尉であり、あの行進のとき米軍の捕虜を護送した一人であった。彼は言った。
2012-05-30 01:56:5737】あの行進のことは誰も絶対口にしない。だからあなたは何も知らないだろう。石の雨ではない花の雨が降ったのだ。沿道には人びとがむらがり、花を投げ、タバコを差し出し、渇いた者には水を飲ませ――それがどこまでもつづく。追い払っても追い払ってもむだだった。
2012-05-30 02:26:3838】「全く、頭に来ましたよ、あれにゃ。でもわかるでしょ。彼らだって別に、いつも敗者に石を投げ、勝者に上下座するわけじゃありませんぜ」では一体なぜ彼らには花を、我々には石を――、彼らはマッカーサーの「アイ・シャル・リターン」を先取りしたのであろうか。そうではない。
2012-05-30 02:56:4839】彼らはそういう適性が最もない「感情過多な一面」をもつ民族である。また、あの時点では「計画的先取り」の名人なら、一部の華僑のように「アイ・シャル……」をとらなかったはずである。日本軍はまだ破竹の勢い~略~という状況がまだまだつづくのだから。では一体なぜか。
2012-05-30 03:26:3340】私は~略~さらに詳しい当時の状況と、彼の意見とを聞きたかった。だが、以上の数語を呟くようにぼそぼそと語り終わると、彼はまた取りつくしまもない黙念の人にもどってしまった。
2012-05-30 03:56:4841】しかし少し調べれば、自分の呪詛が、結局自己を語っているにすぎないこと、言いかえれば、自らの尺度で相手を計っているにすぎないことに気がついたはずだ。というのは、その時点ではフィリピン人ゲリラが、比島解放の”英雄”だったはずだ。
2012-05-30 04:26:3242】だがその時でも彼らはこの”英雄”を「勝てば官軍」とあがめていない。ゲリラのうちフィリピン人に残酷な事をした者をその勝利の暁に堂々と裁判に付している。一方対日協力者は、対日協力者であったという理由だけで処刑はしていない。従って比島には厳密な意味での”戦犯”はいない。
2012-05-30 04:56:3843】それが一見極めて感情過多に見える彼らがあの戦争直後の集団ヒステリー的状態の中で行なった事なのである。この事は彼らには彼らの哲学とそれに基づく規範があり、それが我々とは別種のものである事を物語っている。従って花を投げるにも石を投げるにも、彼らには彼らの基準があったのである。
2012-05-30 05:26:34